ソドムとゴモラ
ウィキペディアから
ウィキペディアから
ソドム(ヘブライ語:סדום、英語:Sodom)とゴモラ(עמורה、Gomorrah)は、聖書に登場する都市。旧約聖書の最初の書物『創世記』において、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされ、後代の預言者たちが言及している部分では、例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。また、悪徳や頽廃の代名詞としても知られる[注釈 2]。
旧約時代からの伝承を受け継いで編纂された新約聖書においても、「ユダの手紙」において「ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています 」[4]との記載があり、ソドムやゴモラが「不自然な肉の欲」によって罰されたことを古代のユダヤ地方が伝承していたことが確認できる。
イスラム教の聖典クルアーンにも町の名前は出てこないものの、ほぼ同じ物語が述べられており、クルアーンにおけるルート(ロト)は預言者として認識されている。預言者ルート(ロト)に従わなかったために、彼に従ったわずかな仲間を除き滅ぼされた。その際、神に滅ぼされた他の民(ノアの洪水で滅んだ民や、アード族やサムード族など)とは異なり、ルートの民(すなわちソドムの住民)は、偶像や他の神を崇拝する罪ではなく、男色などの風俗の乱れの罪により滅ぼされた[注釈 3]。
神は『創世記』で罪深い都市に怒り滅ぼしたのち、次の書物『出エジプト記』でモーセに「十戒」を言い渡し、殺人や姦淫を禁じた。神は「十戒」の中で同性愛への具体的言及はしていないが、『出エジプト記』の次の書物『レビ記』18章は性の規定であり、神はモーセに近親者を「犯してはならない」こと(18章前半)、「隣の妻と交わり」の禁止(18章20節)、「女と寝るように男と寝てはならない」こと(18章22節)、「獣と交わり」の禁止(18章23節)などを言い渡し、「あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、これらのもろもろの事によって汚れ、その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪のためにこれを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。」 (18章24節-25節)と警告している。
なお創世記19章と士師記19章には多くの共通点のあることが指摘されている[注釈 4]。
預言者エゼキエルの預言や象徴行動を記した異質の預言書エゼキエル書においてもソドム(エルサレムの妹)の罪に関する記述がある[注釈 5]。
ソドムとゴモラの廃墟は死海南部の湖底に沈んだと伝えられる。これは、「シディムの谷(ヘブライ語: עמק השדים 英語: Vale of Siddim)」と、シディムの谷の至る所にある「アスファルト」の穴[注釈 6]に関する『創世記』の描写と、死海南部の状況が似通っていることなどから、一般にもそう信じられているが、その一方で、死海南岸付近に点在する遺跡と結びつけようとする研究者も存在する。
ソドムを死海南東部に位置する前期青銅器時代(紀元前3150年 - 2200年)の都市遺跡バブ・エ・ドゥラー(Bab edh-Dhra)、ゴモラをこの遺跡に隣接する同時代の都市遺跡ヌメイラ(Numeira)と考える研究者もいる。いずれも現代のヨルダン・ハシミテ王国、カラク県に位置する。なおこの都市遺跡の近隣には、天から降る硫黄と火からロトが逃げ込んだとされるロトの洞窟の遺跡(アラビア語: دير عين 'أباطة UNGEGN式: Deir 'Ain 'Abata デイル・アイン・アバタ)がある。ビザンティン(東ローマ)時代に、ロトの洞窟の伝説地の上に教会が建てられたが、この教会の遺跡が現在残されている。教会の左手には、ロトが逃げ込んだとされる洞窟が実在する。
創世記によると、この洞窟でロトと2人の娘の間に生まれた男の子2人[注釈 7]が、それぞれモアブとアンモンの民族の祖先となったとされるが、ロトの洞窟を含む前述の遺跡すべてが、かつてモアブと呼ばれた地、現代のカラク県(ヨルダン王国)にあることは、ソドムとゴモラ、ロト、そしてモアブの伝承を考える上で興味深い。上記の考古遺跡から出土した考古資料は、現在ヨルダンのカラク考古博物館(カラク城内)やアンマン国立考古博物館で見ることができる。
イスラエル南部の干拓地にセドムと表記される都市がある。
創世記18章後半部(16節から33節)で、ロトのおじであるアブラハムが、ソドムとゴモラに関して事前にヤハウェと問答している。ヤハウェは、ソドムとゴモラの罪が重いという機運が高まっているとして、それを確かめるために降(くだ)ることをアブラハムに告げた。アブラハムはそれに応じて、正しい者が50人いるかもしれないのに滅ぼすとは、全くありえない、と進み出て言った。それに対しヤハウェは、正しい者が50人いたら赦(ゆる)すと言った。そこでアブラハムは「塵芥(ちりあくた)に過ぎない私ですが」と切り出し、正しい者が45人しかいないかもしれない、もしかしたら40人しかいない、30人、20人と、正しい者が少なくても赦すようにヤハウェと交渉をした。最終的に、「正しい者が10人いたら」というヤハウェの言質を取り付けた結果、ロトを救出し、ソドムとゴモラを滅ぼした。
ヤハウェの使い(天使)2人[注釈 8]がソドムにあるロトの家へ訪れ、ロトは使いたちをそれとは知らずにもてなした。やがてソドムの男たちがロトの家を囲み、「なぶりものにしてやるから」と言って使いたちを出すよう騒いだ[5]。ロトは2人の使いたちを守るべく、かわりに自分の2人の処女の娘達を差し出そうとしたが、群衆はあくまで男性の使いたちを要求する。使いたちは、ヤハウェの使いとして町を滅ぼしに来たことをロトに明かし、狼狽するロトに妻と娘とともに逃げるよう促し、町外れへ連れ出した。ロトがツォアル(ヘブライ語: צוער 英語: Zoara)という町に避難すると、ヤハウェはソドムとゴモラを滅ぼした。ロトの妻(ヘブライ語: אשת לוט)は禁を犯して後ろを振り向き[注釈 1]、塩の柱(ヘブライ語: נציב מלח ネツィヴ・メラー)に変えられた[6]。ヤハウェはアブラハムに配慮して、ロトを救い出した。
ケレンサ・グリッグソンによると、死海に沿った平原の5か所の灰白色の町のすぐそばのエリアにおいて、ゴルフボールサイズの硫黄の玉が発見されている。これまでの20年間多くの標本が採取され、世界中の研究所に送られている。ニュージーランドのグレイスフィールドでのスペクトラム解析において解析されたある試料は、硫黄含有量が98.4%であることが明らかになった。この純度の硫黄含有量は、この平原の5つの町以外には世界中のどこにも見られないと報告されている。創世記19章24節には、「主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて」と書かれており、この硫黄の試料の量と純度の観測に基づき、その場所がソドムとゴモラであると結論付けている科学者もいる[7]。
2005年から行われているヨルダンの死海周辺にある古代都市遺跡タル・エル・ハマムの発掘調査により、紀元前1650年ごろに隕石の空中爆発によって広範囲が破壊されたという研究結果が発表された[8]。この隕石爆発は、史上最大級とされるツングースカ大爆発を遥かに上回る、広島型原爆の1000倍以上のエネルギーであったと推定され[9]、通常の自然では考えられないほどのその高熱や衝撃の証拠となる遺物が多数発見されており、その分布も爆風に起因する一貫した方向性が見られる[10]。また、この「破壊層」は、その高熱と衝撃により死海から撒き散らされ、その後600年にも渡って周辺地域一帯が無人の放棄状態とされた原因と考えられる高濃度の塩分が特徴的であり、この際の塩害と「ロトの妻が塩の柱になった」というエピソードには関連性が窺われる[10][11]。研究チームは、この史実が天からの硫黄と火による都市滅亡の伝承につながった可能性があるとしている。この研究については疑問点を指摘する論者や否定的な見解を示す論者もいる(詳細は「トール・エル・ハマム」、英語版「Tell el-Hammam」参照)。
トーラーによるとソドムの平原は肥沃であった[12]。ソドムの住民たちは豊かな土地の恩恵を部外者に分け与えたくないので旅人を締め出す法律を作った[12]。タルムードによると、橋に通行料を課し、橋を渡らず泳ぐ者からは通行料の倍の罰金を徴収した[12]。また旅人の体が旅館のベッドに比べて小さければ体を引っ張り、ベッドより大きければ足を切ることにしていた[12]。
物乞いにお金を恵んでやるがそのお金を受け入れる店はなく、物乞いが餓死するとソドムの人々は自分の名前を記入したコインを回収した[12]。
聖書の解釈書『ヤルクト』(Yalkut)によると、貧しい者にパンと水を与えることは死刑であったという。失われた書物『ヤシャルの書』(Book of Jasher)によると、貧しい者にパンを与えたロトの娘の1人が焼き殺された[12]。娘は叫び、神に正義の執行を懇願すると、神はソドムの悪徳ぶりを降りて確かめると言った(『ヤルクト』)[12]。ある若い女性は物乞いに食べ物を与えたために体をハチミツまみれにされてハチに刺し殺されるという死刑に処せられた[13]。神はこうした数々の残酷な行為に怒り、ソドムとゴモラへの裁きを決意した[13]。
ミドラーシュ『タンフマ』(Tanhuma)によると、ロトが客人(天使)を受け入れたことをソドム人である妻は非難した[14]。ミドラーシュ『アッガーダー』(Aggadah)によると、ロトの妻は夫に頼まれた食事の塩を手配するために近所の家を回って人々に夫の行動を言いふらした[14]。人々は暴徒となってロトの家に殺到した。ロトの妻は塩の罪を塩で罰せられた(『ヤルクト』)[14]。
日本の文豪としては他に三島由紀夫が『仮面の告白』(1949年)冒頭でドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(1880年)の長男ドミートリー(ミーチャ)による「理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一体ソドム(悪行)の中に美があるのかしらん?」などといった言葉を引用している。殊に往来の人々の罪などと云うものを知らないように軽快に歩いているのは不快だった。 — 芥川龍之介、『歯車』
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.