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エントゥームド (Entombed) は、スウェーデン出身のデスメタル・バンド。
エントゥームド Entombed | |
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エントゥームド A.D. - ドイツ公演 (2016年7月) | |
基本情報 | |
別名 |
ニヒリスト (Nihilist)(1987-1989) エントゥームド A.D.(2014- ) |
出身地 |
スウェーデン ストックホルム |
ジャンル |
デスメタル デス・エン・ロール エクストリームメタル |
活動期間 | 1987年 - 現在 |
レーベル |
イヤーエイク・レコード ミュージック・フォー・ネイションズ スリーマン・レコーディングス ナイントーン・レコード センチュリー・メディア・レコード トイズファクトリー ポニーキャニオン ビクターエンタテインメント BAREKNUCKLE |
メンバー |
アレックス・ヘリッド(G) ウフェ・セイダールンド(G) ニッケ・アンダーソン(Ds) (エントゥームド A.D.) L-G・ペトロフ(Vo) ニコ・エルグストランド(G) ヴィクトル・ブラント(B) オーレ・ダールステット(Ds) |
旧メンバー | 以下を参照 |
母国のデスメタル・シーン創生期から活動し、影響を与えた先駆者として知られている[1]。2014年にバンドが分裂した「エントゥームド A.D.」名義も、この項目で扱う。
1987年、デスメタル・バンド「ニヒリスト (Nihilist)」を結成。1989年、同名バンドの存在を知り「エントゥームド(Entombed)」と改名し再始動。数本のデモを作成後、イギリスのイヤーエイク・レコードと契約。
1990年、ストックホルムのサンライト・スタジオでトーマス・スコッグスベリをプロデューサーに迎えレコーディングを行い、1stアルバム『Left Hand Path』(邦題:顛落(てんらく)への道)をリリースする。アルバムではベースはニッケ・アンダーソン(Ds)とウフェ・セイダールンド(G)が兼任する形となった[2]。
1991年、ラーズ・ローゼンバーグ(B)が加入したが、L-G・ペトロフ(Vo)が脱退してしまいコメコンに加入してしまったので、代わりにニルバーナ2002のボーカリスト、オルヴァル・サフストロムをゲストに迎えシングル『Crawl』をリリース。続いてニッケ・アンダーソン(Ds)がボーカルを兼任する形で2ndアルバム『Clandestine』(邦題:密葬)をリリースすることとなった。その後新ボーカルとして元カーネイジのジョニー・ドルデヴィックを加入させヨーロッパとアメリカをツアーした。
1992年、イヤーエイク・レコードによるパッケージ・ツアー「ゴッズ・オブ・グラインド」をカーカス、カテドラル、コンフェッサーと共に行い、ツアーに合わせてシングル『Stranger Aemons』をリリースした。ジョニー・ドルデヴィックが脱退したのでL-G・ペトロフを再度加入させる事になった。
1993年、ミニアルバム『Hollowman』、次いで3rdアルバム『Wolverine Blues』をリリース。
1994年、ミニアルバム『Out of Hand』をリリース。
1995年、ラーズ・ローゼンバーグ(B)が脱退し、後任にグレイブのユルゲン・スンドストロム(B)が加入した。
1996年、イヤーエイク・レコードを離れ、ミュージック・フォー・ネイションズと契約し、サンライト・スタジオでアルバムのレコーディングを行う。
1997年、3月にミュージック・フォー・ネイションズより4thアルバム『DCLXVI: To Ride, Shoot Straight and Speak the Truth』(邦題:スピーク・ザ・トゥルース!)をリリース。ニッケ・アンダーソンは1995年より活動していたサイド・プロジェクトヘラコプターズに専念するために脱退し、後任にフェイス・ダウンのドラマー、ピーター・スターンヴィンドを迎える。
1998年、プロデューサーに初めてトーマス・スコッグスベリではなく、ダニエル・レイを起用してレコーディングを行い、5thアルバム『Same Difference』をリリース。また、古巣のイヤーエイクから、契約消化のためか1992年にロンドンのアストリアで行われた「ゴッズ・オブ・グラインド」ツアーのファイナル公演を記録したライブアルバム『Monkey Puss』がCDとビデオでリリースされる。ビデオはその後2001年にPVを加えてDVDとして発売された。またこの年に初来日公演を行う。
1999年、マンズ・ルーイン・レコードよりミニアルバム『Black Juju』をリリース。2000年、初のセルフ・プロデュース作となる6thアルバム『Uprising』をリリース。
2001年、7thアルバム『Morning Star』をリリース。
2002年、2月15日からスウェーデン、ストックホルムのロイヤル・オペラ・ハウスでロイヤル・バレエ団との公演が8回行われ大盛況を迎えた。
2003年、8thアルバム『Inferno』をリリース。2004年、2002年3月1日にスウェーデン、ストックホルムのロイヤル・オペラ・ハウスで行われたロイヤル・バレエ団の公演が『Unreal Estate』としてリリースされた。
2006年に、初期メンバーのウフェ・セイダールンド(G)、更にユルゲン・サントストロム(B)、ピーター・スターンヴィンド(Ds)の3名が脱退し、ニコ・エルグストランド(B)、オーレ・ダールステッド(Ds)が加入。
2007年に、9thアルバム『Serpent Saints - The Ten Amendments』をリリース。
2010年に、ニコ・エルグストランドがギターに転向し、ヴィクトル・ブラント(B)が加入した。
2013年にセンチュリー・メディア・レコードに移籍し、10thアルバム『Back to the Front』をリリースする予定だったが、「予測不可能な技術的問題」発売が延期された[3]。
2014年1月、アレックス・ヘリッド(G)と、L-G・ペトロフ(Vo)側4名で分裂。バンド名がオリジナル・メンバー4名に所有権があるため、ペトロフ側は名義を「エントゥームド A.D.」(Entombed A.D.)に変更して活動開始。10thアルバムになる予定だった『Back to the Front』には、元々アレックスは参加しておらず、エントゥームド A.D.名義でリリースされた[4]。アレックス側のエントゥームドは、活動を停止する。
2016年、エントゥームド A.D.2ndアルバム『Dead Dawn』をリリース[5]。アレックス側にウフェ・セイダールンド(G)とニッケ・アンダーソン(Ds)が復帰し、オリジナル・メンバー3名で活動を再開。
最初の2枚のアルバムはストックホルムのサンライト・スタジオでトーマス・スコッグスベリをプロデューサーに迎え、共にレコーディングを行い、チリチリとした高音のギターサウンドが特徴的なスウェディッシュ・メタルのサウンドをディスメンバーらと共に確立させ世界中に影響を与えた。今でも北欧デスメタルと言えば当時の彼らのようなサウンドのことを指すことが多い。
その後のロックンロールにデスメタルのエッジを加えたかのようなサウンドに変化し、デス・エン・ロール(Death 'N' Roll)と呼ばれるようになった。ドラムのニッケ・アンダーソンが脱退後の5thアルバム『Same Difference』ではオルタナティブ・ロック寄りのサウンドになったが、6thアルバム『Uprising』より再びモーターヘッドばりの暴走デス・エン・ロールに回帰した。
また、2002年にはスウェーデン、ストックホルムのスウェーデン王立歌劇場でスウェーデン王立バレエ団とエントゥームドが競演するという公演が8回行われ大盛況を迎えた。これはエントゥームドがバレエ公演用の曲を演奏するのではなく、エントゥームドの曲(勿論デスボイスで歌っている)に合わせてバレエ団が踊るという大変実験的なものであったらしい。この公演の様子は『Unreal Estate』としてCDでリリースされている。
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