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アーロン・ジェームズ・バレット(Aaron James Barrett, 1988年1月2日 - )は、アメリカ合衆国・インディアナ州バンダーバーグ郡エバンズビル出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
ワシントン・ナショナルズ時代 (2019年3月25日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | インディアナ州バンダーバーグ郡エバンズビル |
生年月日 | 1988年1月2日(36歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 215 lb =約97.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 MLBドラフト9巡目 |
初出場 | 2014年3月31日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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2006年、MLBドラフト44巡目(全体1311位)でロサンゼルス・ドジャースから指名されたが、ウォバシュ・バレー大学へ進学した。
2008年、MLBドラフト20巡目(全体606位)でミネソタ・ツインズから指名されたが、契約には至らず、ミシシッピ大学に編入した。
2009年、MLBドラフト27巡目(全体814位)でテキサス・レンジャーズから指名されるも拒否した。
2010年のMLBドラフト9巡目(全体266位)でワシントン・ナショナルズから指名され、6月14日に契約。契約後、傘下のA-級バーモント・レイクモンスターズでプロデビュー。10試合(先発4試合)に登板して0勝5敗、防御率9.43、25奪三振を記録した。
2011年はA-級オーバーン・ダブルデイズ[1]でプレーし、19試合に登板して1勝2敗9セーブ、防御率4.05、32奪三振を記録した。
2012年はまずA級ヘイガーズタウン・サンズでプレーし、31試合に登板して3勝2敗16セーブ、防御率2.60、52奪三振を記録した。7月にA+級ポトマック・ナショナルズに昇格。11試合に登板して1セーブ、防御率1.06・21奪三振を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、ソルトリバー・ラフターズに所属した。
2013年はAA級ハリスバーグ・セネターズでプレーし、51試合に登板して1勝1敗26セーブ、防御率2.15、69奪三振を記録した。オフの11月20日にナショナルズとメジャー契約を結び、40人枠]入りした[2]。
2014年はスプリングトレーニング中のプレシーズン・ゲームで10試合に登板して10.2回を無失点に抑え[3]、開幕ロースター入りを果たした[4]。3月31日に行われたニューヨーク・メッツとのシーズン開幕戦でメジャーデビュー。5対5の同点で迎えた9回裏から登板。1回を投げ無安打無失点2奪三振と好投し、直後の延長10回表にナショナルズが4点を入れ勝ち越したため、メジャー初勝利を挙げた[5]。開幕後6試合で、1勝0敗1ホールド・防御率0.00と好投を見せていたが、4月12日にAAA級シラキュース・チーフスへ降格[6]。4月22日に再昇格した[7]。再昇格後はリリーフに定着したが、7月は9試合の登板で防御率が9.53と落ち込み、8月1日にAAA級シラキュースへ降格[8]。登録枠が拡大した9月1日に再昇格した[9]。この年は50試合に登板して3勝0敗8ホールド、防御率2.66、49奪三振を記録した。
2015年も開幕ロースター入りしたが、6月12日に右腕の故障で15日間の故障者リスト入りした[10]。7月10日に復帰し[11]、25日のピッツバーグ・パイレーツ戦で自己最多の10ホールドを記録した[12]が、8月5日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で0.1回を4安打3失点と打ち込まれ[13]、9日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした。トミー・ジョン手術を受けることになり、8月21日に60日間の故障者リストへ異動し[14]、そのままシーズンを終えた。この年は40試合に登板して3勝3敗10ホールド、防御率4.60、35奪三振を記録した。12月には左足首の骨棘除去手術を受けた。
2016年はリハビリ中の7月23日に右腕を骨折した。銃声のような大きな音を立てて起きたこの怪我は目撃したマット・レイトスが嘔吐としてしまうほど酷いものだったようで[15]、録画されていた映像は当時の監督であるダスティ・ベイカーにより閲覧禁止にされた[16]。2枚のプレートと16本のボルトを入れる大きな手術を受け[17]、故障者リストに入ったままシーズンを終えた。シーズン終了後の10月25日にマイナー契約でAAA級シラキュースへ配属された後、翌26日にDFAとなった。
2017年4月3日、球団とマイナー契約を結び、AAA級シラキュースへ配属されたが、この年も登板しなかった。
2018年はメジャーのスプリングトレーニングに参加し、春のエキシビションで2015年以来の登板を果たした。シーズンではA-級オーバーンでこれもまた3年ぶりとなる公式戦復帰を果たした[18]。オフの11月2日にFAになるも、すぐに再びマイナー契約を結んだ。
2019年はAA級ハリスバーグで開幕を迎え、防御率2.75、31セーブでシーズンを終えた。9月3日にメジャー昇格することが監督のマシュー・リークロイから伝えられた[19]。同7日のアトランタ・ブレーブス戦で4年ぶりのメジャー登板を果たし、1回無失点に抑えて降板すると、ベンチで涙を見せた[20]。計3登板した。ポストシーズンでの登板はなかったが、ワールドシリーズ制覇を経験した。
2020年10月9日にマイナー契約となってAAA級フレズノ・グリズリーズ[21]に送られ[22]、翌日に自由契約となった[23]が、11月5日に再びマイナー契約を結んで2021年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになったと報じられ[24]、20日に正式公示された[25]。
2021年はメジャー昇格の機会はなく、オフの11月7日にFAとなった[25]。
2022年3月16日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ[25]。シーズン中の8月9日に現役引退が発表された[25]。
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014 | WSH | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 8 | 1.000 | 174 | 40.2 | 33 | 1 | 20 | 2 | 1 | 49 | 6 | 1 | 17 | 12 | 2.66 | 1.30 |
2015 | 40 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 10 | .500 | 123 | 29.1 | 28 | 1 | 7 | 0 | 3 | 35 | 1 | 0 | 15 | 15 | 4.60 | 1.19 | |
2019 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 16 | 2.1 | 5 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 4 | 4 | 15.43 | 3.86 | |
2020 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 9 | 1.2 | 2 | 0 | 2 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 10.80 | 2.40 | |
MLB:4年 | 95 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 18 | .667 | 322 | 74.0 | 68 | 3 | 33 | 3 | 5 | 86 | 8 | 1 | 38 | 33 | 4.01 | 1.36 |
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