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発狂した人間、端的に状態が著しく常軌を逸した人間のこと ウィキペディアから
きちがいとは、本来は発狂した人間、端的に状態が著しく常軌を逸した人間を指す。漢字では気違い、気狂いと表記する。また、気が違う、気が狂う、気がふれる、狂人(きょうじん)、キチガイ、キ印(キじるし)とも表現する。インターネットスラングでは基地外、または略してキチ、基地と表記することもある。動詞にすると、「気違いじみる」(自上一)などと使われる。転じて理性が欠如した者や「釣りキチガイ」など愛好家に対する蔑称として使われた。現代の日本では一般的に放送禁止用語としても知られる。
この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。 (2008年5月) |
江戸時代に精神病の呼称として平安時代からの「物狂い」に加えて「きちがひ(幾知可比)」としてこの言葉が生まれた[1]。当時の公文書、少なくても仕置に関する公文書(たとえば判例集の御仕置裁許帳)では、江戸時代はじめ1670年代から1680年代までは「気違」が使われていたが[注 1]、罵り言葉としてもしばしば使われる一方で、「○○キチガイ」といった表現は「○○愛好家」「○○マニア」といった肯定的な意味で使われている[注 2][注 3]。
テレビ等の日本のメディアで使用が忌避される単語だが、1970年代頃まではテレビや書籍、漫画などのメディア媒体や一般の会話でも日常的に使われていた。1974年以降一時期、精神障害者の家族らで構成される精神障害者家族会の会の一部から、家族は萎縮し、回復治療期に、テレビ・ラジオでこの語を聞いた精神障害者がショックを受けることにより、治癒を妨げるなどの医学的根拠を理由に大阪の各放送局が激しい抗議を受けたことが発端となり、以降使用自粛につながった。テレビ・ラジオを一日中モニターする体制を整え、NHK、民放を問わず、時には団体幹部の独断でも抗議するという激しさであった[3]。
このため、現在では一般に放送禁止用語と呼ばれる放送を自粛すべき言葉とされているが、これに関する明文化されたルールは存在しない。これが転化して放送禁止用語=差別用語とみなされるようになった。スタジオには「気違いは禁句」と書いた紙を貼り出して誤って使用したりすることがないように努めている。例えば『新・荒野の素浪人』第22話「くノ一情話」(1974年5月28日放送)でこの語を使用していたため、放送局で最初に抗議を受けた毎日放送では謝罪し、1974年8月からスタジオに「きちがいというコトバは禁句」の掲示板を常設することになった。一般社会においても差別用語とされる。
現在ではテレビのみならず、書籍や漫画、一般の会話でも使用されることは減っている。RPGなど自由に名前をつけられるゲームソフトにおいても「きちがい」という名前は入力できない場合が多い。昔のドラマやアニメがソフト化される際にこの言葉が入っている場合、以前はカットされる動きがあったが、ボイス部分に不自然な空白(無音)が生まれるため、最近では「原作を尊重する」意味で、冒頭に「お断り」のテロップが入れるのみで手を加えないことも多くなっている。昔の漫画や書籍が近年になって復刻される際にも、「きちがい」や「気が狂う」という表記は「気が変になる」「気がおかしくなる」など、比較的穏当な表現に差し替えられるか、別のセリフに置き換えられることが多い。ただし、一部の復刻本では「当時の表現を尊重」し、断り書きを載せた上でそのままにしている場合もある。現代の漫画や書籍においては「きちがい」と堂々と書かれることはほとんどないものの、「き○がい」など一部を伏字にした上で書かれる例もある[注 4]。
「気」という言葉の意味は日本語的に広い解釈があり(たとえば「病気」「気が弱い」など)、「気」という物の概念の広さから、ほかの人と違う考えを持っている、あるいは若干ずれた考えを持っているという意味も含むという本来の趣旨とかけ離れ、単に世間から見て異常な行動を取る人物、または社会的に容認されない行動、もしくはその人物そのものを指す意味に(悪意的あるいは過剰的に)理解された事情もあり、この言葉を用いることにマスコミ・報道関係が過剰に反応するのはナンセンスであるという意見や、単なる言葉狩りという意見もある。
沖縄国際大学の山口真也准教授は、J-CASTニュースの取材に対し「団体が言ってくる、言ってこないで対応を変えるのはおかしい」とし、「差別とは何かをしっかり考えて言葉を使うべき」とテレビなどの自主規制の方法に疑問を投げかけている。日本民間放送連盟も同じテーマの取材に答えており、「状況に応じて必要があれば使われてもいいはず」とした一方、「表現で傷つく人もいる以上放送できないのは仕方がない」と回答している[4]。
出典は「続・差別用語 用語と差別を考えるシンポジウム実行委員会編 汐文社 ISBN 9784811300979」である。関東学院大学法学部教授である丸山重威が主宰するウェブサイト「ジャーナリズム・マスコミュニケーション・世界の平和と私たちの暮らし」の『また「戦友」を失った…「ジャーナリスト・江上茂さん」のこと[5]』では、「用語と差別を考えるシンポジウム」は1975年に日本新聞労働組合連合、日本出版労働組合連合会、日本民間放送労働組合連合会、映画演劇関連産業労組共闘会、日本放送作家組合、日本俳優連合、放送芸能者協会、全日本視覚障害者協議会の8団体が主催し、提示された用語タブーの実態や資料に本質的な問題を加えて江上茂と丸山重威が出版し、後の「続・差別用語」と「新・差別用語」は実質江上茂が手がけた。
「続・差別用語」に寄せられた精神科医の吉川修のコメントによると、あくまで毎日放送の説明であって、医学的には合点がいかないとしている。第一に、この言葉がストレス、病状悪化、ショックを与えるか否かはその情況によるからで、一般に、自分とは場面や状況で言われたこの「言葉」「音声」が患者の病状を悪化させるとは考えられないとしている。
大久保彦左衛門の『三河物語』に、「波切孫七郎ト申は、無レ隠武辺之者、又ハ気チガ(イ)者ナレバ」とある。三河一向一揆の際に、主君の徳川家康に逆心した家臣を指していたようである。
趣味などに常識を超えて没頭する者のことを「○○キチ」や「○○きちがい」と表現するが、現在ではこれらも望ましくない表現とされている。「オトキチ」、「カーキチ」[6]、「碁キチ」、「雀キチ」、「パチキチ」、「トラキチ」など(参照:マニア、おたく)。これは本来侮蔑の意味ではなく一般にも浸透しているため、テレビの生放送などで出演者が言ってしまう放送禁止用語としてよく見られる[要出典]。古いテレビ番組や映画などでも顕著に見受けられ、放送ではよく削除されている。例外として『釣りキチ三平』があり、このことから熱烈な釣り愛好家のことを釣りきちがい、あるいはツリキチと自称する例は多い。
イタリアでは狂人を表す語としてfolle(フォッレ)、matto(マット)、pazzo(パッツォ)があるが、侮辱的なニュアンスはほとんどない[7]。
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