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いすゞ自動車で製造・販売されていた小型乗用車 ウィキペディアから
いすゞ・ジェミニ(ISUZU Gemini)は、いすゞ自動車がかつて製造・販売していた小型乗用車である。1993年からはOEM供給による販売となっていた。
1974年の初代「PF型」は、提携先のGMの「グローバルカー(世界戦略車)構想」に基づき、オペル・カデット(GM・Tプラットフォーム (1973))をベースに開発された。この当時、世界各国でカデットをベースに開発された姉妹車たちが生産されていた。販売面では、多彩なボディカラーやチェック柄のシート、さらにはジウジアーロデザインのアルミホイールなど、ディティールにおいても訴求力を有し、若者から大いに支持を得た[1]。
2代目「JT0型」と3代目「JT1型」は、GMの「Rカー」としてOEM生産(相手先ブランド供給)を視野に入れ自主開発されたモデル。特に2代目は、いすゞの乗用車史上最大の販売台数を記録した。
しかし、3代目へのモデルチェンジでは一転して販売台数が低迷した。以後のいすゞ全体の業績悪化と販売不振により、4代目以降は自社開発を断念、ホンダのOEM供給を受けたが、いすゞの乗用車販売縮小[注釈 1]に伴い5代目で販売を打ち切った。
いすゞ・ベレットジェミニ いすゞ・ジェミニ(初代) PF50/PF60/PFD60型 | |
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セダン LD 1974年11月発売型 | |
セダン ZZ-R 1981年10月改良型 | |
概要 | |
販売期間 |
ベレットジェミニ:1974年11月 - 1975年 ジェミニ:1975年4月 - 1987年2月 合計1974年11月 - 1987年2月[1] |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ |
2ドアクーペ[2] 4ドアセダン[2] |
駆動方式 | FR[3] |
パワートレイン | |
エンジン | G180型 キャブレター直列4気筒SOHC |
最高出力 | 100 ps/6,000 rpm |
変速機 | 3速AT/4速MT/5速MT |
前 |
前:ダブルウィッシュボーン[2] 後:3リンク式[2] |
後 |
前:ダブルウィッシュボーン[2] 後:3リンク式[2] |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,405 mm[2] |
全長 | 4,135 mm |
全幅 | 1,570 mm |
全高 | 1,365 mm |
車両重量 | 930 kg |
その他 | |
タンク容量 | 52 L |
生産台数 | 76万8537台(いすゞHPより) |
系譜 | |
先代 | いすゞ・ベレット |
1974年11月登場。型式は1.6 Lガソリン車がPF50型、1.8 Lガソリン車がPF60型。1.8 Lディーゼル車がPFD60型。
いすゞではこの時期まで、基本設計が10年以上前に遡り、陳腐化したベレットの生産が続いていた。GMが引き続きベレットの生産継続を主張したのに対し、いすゞは市場性の見地よりモデルチェンジを要望、その結果、GMの「グローバルカー(世界戦略車)構想」に基づきオペル・カデット(GM「Tカー」)をベースに新型車を開発する事が決定した。
「Tカー」はオペル・カデットのほか、
など世界中で姉妹車が生産されていた。オーストラリアのGM系メーカーであるホールデンは「ホールデン・ジェミナイ("Gemini"のオーストラリア英語発音)」として日本からいすゞ製ジェミニを輸入した。
車名の「ジェミニ」は英語で「ふたご座」の意味。ベレットの後継車としての位置を明確とするため1975年までは「ベレットジェミニ」と名乗っていた。
ボディタイプは4ドアセダンと2ドアクーペの2種類。当初は1.6 LシングルキャブのSOHCエンジンを搭載したPF50型のみのラインナップであったが、ベース車両となったオペル・カデットそのままに逆スラントノーズを採用し、直線を基調にした欧州風のボディデザインで、ドアまわりは当時としては珍しく丸みを帯びているのが特徴である。
先代のベレットは基本設計の古さもあり、開発当初の本来の車格はともかく、ボディサイズは1970年代中期では廉価な「大衆車」クラスに位置していたが、ジェミニは開発年次の新しいカデットをベースとしたため、ボディサイズが大幅に拡大されていた。[要出典]このため、日本の大衆車の代表的車種であるカローラ、サニーの当時(1974年)のモデルよりもエンジン、ボディとも一回り大きく、やや上位クラスにあった。ベースのカデット譲りの堅実な設計に、実績のあるいすゞ製エンジンを組み合わせたスペックは一定の商品性があり、ジェミニはすぐにいすゞの主力車種となった。
同じいすゞでも上級車種のフローリアンとは明確な差があったが、1977年にジェミニにも1.8 Lエンジン搭載車が追加され、フローリアンと重複するようになった。しかしこの頃には、旧弊化したフローリアンを購入する一般ユーザーはほとんどおらず、両車のスタイルや性格の差もあり、元々不人気車種になっていたフローリアンの販売に特に影響は無かったようである。
ヘッドランプは、オリジナルは丸目2灯であったが1977年6月に角目2灯に変更。1979年6月にジェミニ独自のフェイスリフトが行われスラントノーズ形状に変更[4]、ヘッドランプもスポーティー系グレードに限り丸目2灯に戻った。1981年に異型角目2灯に変更される。
1979年11月にはディーゼルエンジン搭載車と1.8 L DOHCガソリンエンジン搭載のホットモデル「ZZ」(ダブルズィー)シリーズが追加された。また車名表記も大文字&小文字の「Gemini」から大文字の「GEMINI」と変更されている。「ZZ」シリーズには「ZZ/L」「ZZ/T」に加え極めてハードなサスペンションセッティングが施され走りに特化したモデルとして「ZZ/R」というスポーツモデルも存在した[5]。
このディーゼルエンジンモデルは「第二次オイルショック」の時期と重なったことで、低燃費車として脚光を浴び、1982年には世界初の電子制御式ディーゼルエンジンモデルも登場した。このため、後期型の初代ジェミニは「80年代のディーゼル車」とも言われるように、ディーゼル乗用車の代表として広く認知される。
もっともその後は、従前のいすゞ乗用車の多くと同じく、1980年代に入っても基本設計の変わらないままにフェイスリフトやマイナーチェンジを施されての長期生産が続くことになった。
1985年には2代目となるFFジェミニが登場するが、ディーゼルエンジン搭載車やスポーツモデルが当初設定されていなかったことから、それらの領域をカバーするため初代ジェミニも継続生産された。バリエーションは整理され、クーペは廃止されたものの、スポーツモデル「ZZ/R」や1.6 L、1.8 Lのガソリン (SOHC) エンジン搭載モデルも残された。
その後、2代目ジェミニのバリエーションが充実したことを受け、1987年2月に生産・販売を終了した。総生産台数は76万8,537台(いすゞHPより)。
駆動方式は後輪駆動。エンジンは当初1.6 L SOHCの「G161型」のみであったが、1977年6月より1.8 L SOHCの「G180型」が追加。さらに、1979年のビッグマイナーチェンジ時に1.8 L DOHCエンジンと1.8 Lディーゼルエンジンが追加された。
組み合わされるトランスミッションは当初4速MTのみでスタートするが、1975年に3速AT、1976年に5速MTが追加された。
サスペンションは前輪がダブルウィッシュボーン式、後輪が3リンク・コイルスプリング式リジッドで、ステアリングはラック・アンド・ピニオン式を採用していた。
いすゞ・FFジェミニ/ジェミニ(2代目) JT150/190/600型 | |
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セダンC/C FFジェミニ 1985年5月 - 1987年2月 | |
ハッチバックC/C | |
セダン 1987年改良型 1987年2月 - 1989年2月 | |
概要 | |
別名 | いすゞ・アイマーク(2代目、北米向け) |
製造国 | 日本 |
販売期間 |
FFジェミニ:1985年5月 - 1987年2月(製造終了) ジェミニ:1987年2月 - 1990年3月 (合計1985年5月~1990年3月[3]) |
デザイン | イタルデザイン・ジウジアーロ |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ |
3ドアハッチバック[6] 4ドアセダン[6] |
駆動方式 | FF[3] |
パワートレイン | |
エンジン |
4XC1型 1.471 L キャブレター直列4気筒SOHC 4EC1-T型 1.487 L 分配型燃料噴射ポンプ式直列4気筒SOHCディーゼルターボ |
変速機 | NAVi5/3速AT/5速MT |
前 |
前:マクファーソンストラット式[6] 後:コンパウンドクランク式[6] |
後 |
前:マクファーソンストラット式[6] 後:コンパウンドクランク式[6] |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,400 mm[6] |
全長 | 3,995 - 4,070 mm |
全幅 | 1,615 mm |
全高 | 1,370 - 1,405 mm |
車両重量 | 880 - 980 kg |
その他 | |
最低回転半径 | 4.8 m |
新車登録台数 | 20万6459台[7] |
2代目は1985年5月、「FFジェミニ」[注釈 2]として発売された。型式名は1985年に登場した1.5 Lガソリン車がJT150型、1988年に登場した1.6 L DOHCガソリン車がJT190型。そして1.5 Lディーゼルと1.5 Lディーゼルターボ車はJT600型。燃費は10モードで13.8 - 16.0 km/L。
初代のベースとなったオペル・カデットは、1979年のフルモデルチェンジで前輪駆動化されたが、本車はそれとは直接関係なく、「クオリティ・コンパクト」というコンセプトでいすゞが独自に開発したものである。その一方で、GMの世界戦略に組み込まれ「Rカー」として1984年11月よりGM向けに供給(輸出)もされた。
117クーペ以来、17年ぶりとなるいすゞ自社設計の乗用車で、モデルチェンジにあたりアスカとの競合を避け、なおかつ米国市場をも意識して初代より一回り小型のクラス(現在のCセグメント)をターゲットとし、居住性と取り回しの良さを得るために前輪駆動化、パワーステアリングやサーボブレーキなど特に操縦性を重視した設計とされた。このコンセプト内容は、かつてベレット後継車の構想時にも検討されていた。そして、一般的なテストコースだけでなく、一般道を中心とした走り込みを敢行し、走りを磨き込んだ。それ故、正式発表前に、自動車雑誌にデモンストレーション同然にスクープ写真が掲載された。
ボディデザインは、117クーペやピアッツァなどでいすゞとの関係が深かったジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた。しかし、いすゞ社内によるリデザインにジウジアーロが難色を示したため、発表時には彼のデザインであることは伏せられた[注釈 3]。ボディタイプは4ドアセダンと、先代の2ドアクーペに代わって3ドアハッチバックが設定された。
1986年には専用の電子制御式ターボ付き1.5 Lの2バルブSOHCガソリンエンジン「4XC1-T型」を搭載し、足回りを旧・西ドイツのイルムシャー社がチューニングしたスポーツモデルの「1.5 イルムシャー」が登場している。
当初は大衆車クラスに変更された関係で販売面が憂慮されたが、後述するテレビCMが大きな反響を呼んだことと、カラーバリエーションが豊富なことで人気を集めた。
1987年2月にビッグマイナーチェンジを実施。初代ジェミニの製造・販売が終了したため、差別化のために冠されていた「FF」というサブネームが取れ、単に「ジェミニ」(通算2代目)となった。
特に大きな変更を受けたのはフロントマスクで、サイドマーカーをサイドに回りこませた、通称「つり目」といわれるフォグランプ一体の異型ヘッドランプを採用し、同時にグリル形状も変更された。インテリアも見直しが行われ、インパネやクラスタースイッチの形状変更などが行われた。
1988年には、1.6 Lの4バルブDOHCエンジン「4XE1型)を搭載し、足回りを英国のロータス社がチューニングしてBBSホイールをオプション設定(ZZ-SEのみ標準装備)した「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様が追加された。のちに同じエンジンを搭載した「1.6 イルムシャー」も追加される。
「イルムシャー」は高い走行性能を有するヨーロピアン・スポーツ車として、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」は高性能ながらも落ち着いた操縦性を有するラグジュアリ・アダルトスポーツ車としての性格付けがなされていた。また、いずれも前席にレカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。
1989年2月、2度目のマイナーチェンジを実施。サイドマーカー(ターンシグナルレンズ)の位置がフェンダー部分に変更され、セダンのみリヤナンバープレートの位置が、トランクリッド部分からバンパー中央部分に移動されている[注釈 5]。
2代目の総生産台数は74万8,216台(いすゞHPより))、米国販売数はいすゞ名義で150,873台、GM名義で363,171台(Ward's Automotive Yearbook[要文献特定詳細情報]より)。
グレード展開は当初「C/C」を基本グレードとして、実用仕様の4ドア「T/T」とビジネスユースに徹した3ドア「D/D」の実質3種類だった[注釈 6]。その後、スポーツモデルの「イルムシャー」、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」を追加。また、1988年には「C/C」の上級モデルである「G/G」が追加された。
他にも「パティオ」、屋根がキャンバストップになった「C/Cユーロルーフ」、レカロシート装備のターボディーゼル「S/S」(中期のみ)、ガソリン・ディーゼル共にNAVi5モデルなどが設定されていた。
基本的なコンセプトは、当時いすゞが生産していたアスカと共通しており、それをサイズダウンしたものである。
エンジンは1.5 L SOHCの4XC1型および同ターボ付の4XC1-T型、1.6 L DOHCの4XE1型、1.5 Lディーゼルの4EC1型および同ターボ付の4EC1-T型。組み合わされるトランスミッションは当初、5速MTと3速ATでスタートしたが、1986年にコンピュータ制御の5速オートマチックであるドライビングロボットこと「NAVi5」を搭載したモデルが登場した。
サスペンションは前輪にマクファーソンストラットコイル式、後輪にコンパウンドクランクコイル(トーションビーム)を採用。また、スポーツモデルの「イルムシャー」仕様にはメーカーオプション扱いでビスカス式LSDの装備も可能だった。
ステアリングはラック・アンド・ピニオン式。パワーステアリング仕様も選べた。また、ブレーキには全車サーボが標準装備されたのも特徴の一つである。
いすゞ・ジェミニ(3代目) JT151/191/641型 | |
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セダン イルムシャーR フロント | |
セダン 1.5C/C リア | |
概要 | |
別名 | いすゞ・スタイラス (北米向けセダン) |
販売期間 | 1990年3月 - 1993年9月[9] |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ |
2ドアクーペ[10] 3ドアハッチバック[10] 4ドアセダン[10] |
駆動方式 | FF[9] / フルタイム4WD[9] |
パワートレイン | |
エンジン |
4XC1型 1.471 L 電子制御燃料噴射式 ECGI 直列4気筒SOHC12バルブ |
変速機 | 4速AT/5速MT |
前 | 前後ともストラット式4輪独立懸架[10] |
後 | 前後ともストラット式4輪独立懸架[10] |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,450 mm[10] |
全長 | 4,185 - 4,195 mm |
全幅 |
1,680 mm(セダン) 1,695 mm(セダン以外) |
全高 | 1,325 - 1,390 mm |
車両重量 | 970 - 1,030 kg |
その他 | |
最低回転半径 | 4.8 m |
販売終了前月までの新車登録台数の累計 | 7万579台[11] |
3代目は1990年3月登場。ボディサイズは2代目よりも拡大された。燃費は10モードで13.6 - 14.8 km/L。
形式名は、1,500 cc ガソリン車がJT151F型、1,600 cc DOHCガソリン車がJT191F型、1,600 cc DOHCガソリンインタークーラー付きターボ4WD車がJT191S型、1,700 cc ディーゼルターボ車がJT641F型、同4WD車がJT641S型。
これらにホットモデルとして「イルムシャー」仕様および「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様がラインナップされている点は先代と変わらない。その中でもハイパワーエンジン+フルタイム4WDを搭載したJT191S型は「イルムシャーR」を名乗る最上位ホットモデルである。
デビュー当初4ドアセダンのみの設定だったが、1990年9月にクーペが、翌1991年3月に3ドアハッチバックが追加されている。
セダンは北米市場において「いすゞ・スタイラス (STYLUS)」の名称で1990年12月より販売が開始された。また、クーペとハッチバックはいすゞが北米のゼネラルモーターズ(GM)向けに供給していた「ジオ・ストーム」がベースであり、日本ではヤナセ専売の「いすゞ・PAネロ」としても販売されていた。ストームはその後、2代目ピアッツァのベースにもなっている。
3代目は技術的に特徴が多く、販売当時ジェミニシリーズが使われたラリーフィールドを意識した設計が施されている。1,500 cc ガソリン車の動力性能は著しく向上し、「カプセルシェイプ」と銘打った一体型ボディ構造を持ち、強度重視で厚い鉄板を使用したため、当時の1,600 ccクラス車としては車重は重い部類に入る。
足回りでは「ニシボリック・サスペンション」の採用が挙げられる。多くの評論家が酷評したニシボリック・サスペンションであったが、国内ラリーシーンにおいては"FF車ベースなのにFR車的なドリフトが出来る"という好評もあった。1991-92年の全日本ラリー選手権では連続でクラス優勝に輝いている。
デザインは中村史郎を中心に(チーフデザイナー本多卓夫、セダンエクステリア中村史郎、クーペエクステリア前田克紀、中村がブラッセル駐在となった為セダンも前田が引継ぐ)いすゞ社内でまとめられたものであるが、GMの意向が強く影響した点は否めず、欧州車の味わいが売りであったいすゞ車では異例の、アメリカンなデザインとなった。4ドアセダンにはリアのドアフレームがCピラーを覆い隠すように閉じるなど、他に例を見ない斬新なデザイン手法も使われていた。
販売面では、フルモデルチェンジ後、旧型モデルからの買い替えが順調に進んだことやCM効果によって、日本国内月販目標5千台に対し1990年4月21日時点における受注台数が6,602台と目標を超えて達成したものの販売可能台数が4,300台と品不足状態になったり、重視した米国市場で月間販売台数が一万台を超える販売好調状態であるなど、新車効果が大きく作用した出足であった[12]が長くは続かず、バブル景気の終焉もあいまって、1991年4月には「乗用車販売の不振に苦しむいすゞ」[13]と伝えられるなど、世界的な自動車不況などの影響によってジェミニは極度の販売不振に陥った[14]。
この事実は1991年10月期決算におけるいすゞの大幅な経常赤字の要因となっており[14][15]、次期ジェミニの開発延期を決定するなどの再建計画を実施したが、1992年10月期決算においても再び大幅な経常赤字を記録したことによって、資金回収の目処が立たない乗用車生産から撤退し得意分野の商用車事業とSUVに経営資源を集中化させる等の内容が1992年度中期経営計画にて決定[14]したことに伴い、ジェミニの自社生産も1993年7月限りで終了し、日本国内では9月までに販売終了となった。
3代目の総生産台数は 40万6,625台(いすゞHPより)、米国販売数は17,754台(Ward's Automotive Yearbook[要文献特定詳細情報]より)。
駆動方式は前輪駆動を基本とし、イルムシャーRと一部のターボディーゼル車には四輪駆動(4WD)仕様も設定される。
また、イルムシャーRの4WDにはLSDが組み込まれ、前後トルク配分可変機構が備わっている。
エンジンは1,500 cc SOHC 12バルブの4XC1型、1,600 cc DOHC 16バルブの4XE1型、同インタークーラーターボ付の4XE1-T型、1,700 cc ディーゼルインタークーラーターボ付の4EE1-T型[注釈 7]の4種類が搭載された。
特に4XE1-T型 (180 PS) は、ホンダ・シビックタイプRのB16Bエンジン (185 PS) が登場するまで1,600 ccクラス最強のエンジンであった。
組み合わされるトランスミッションは5速MTと電子制御式4速AT。
サスペンションは四輪独立操架で、前輪がマクファーソンストラットコイル、後輪にはパラレルリンク・ロアアームのストラット形式をベースにナチュラル4WSと称したトーコントロール機構の一種であるニシボリック・サスペンションを装備する。
ステアリングはパワーステアリング付ラック・アンド・ピニオン式。ブレーキにサーボが標準装備されている点は先代と同様だが、本車はこのクラスではめずらしく全グレード前後輪ともディスクブレーキとなっている。
そのほか、ガソリン車の排気系パイプ類にステンレス材を採用したり、「C/C-X」以上のグレードにヒーター付きドアミラーを標準装備するなどコストを掛けたつくりとなっている。シートは先代のJT0型を踏襲した「ファニチャーシート」と呼ばれるヨーロピアンテイストのデザインだが、クッション硬度を上げたり、前後部別のハイトアジャスターを装備するなどより人間工学に配慮したものとなっていた(「C/C」シリーズのみ)。スポーツ系グレードの前席には先代同様、レカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。
4代目は、いすゞ自動車が乗用車の自社生産から撤退したため、ホンダ・ドマーニのOEMモデルとなった。ドマーニに設定されていた1,800 cc・DOHCエンジンは設定されず、1,500 cc・SOHCと1,600 cc・SOHCの2本立て[注釈 10]となる。先代よりラインナップが縮小され、ボディタイプは4ドアセダンのみとなり、ジェミニの売りだったホットモデル(イルムシャー/ハンドリング・バイ・ロータス)やディーゼル車は廃止された。
不評だった3代目と比較して「デザインは先代よりもジェミニらしい」「運転ポジションが悪かった先代より前が見やすい」という意見もあった。
販売先は、ほとんどがいすゞ固定客の業務用車の代替などであり、一般ユーザー向けの広告展開は殆どされず、更にはこの頃にはミニバンやステーションワゴンが全盛となっており、セダン型車の人気が著しく低下していたこともあり、このモデル以降、地味な存在の車となった。だがドマーニ自体も兄弟車であるシビックフェリオの影に隠れたモデルであったため、OEM車両としてはそこそこ売れた口でもある。
ドマーニとの違いは、フロントグリルと樹脂製ホイールキャップのデザインと専用のボディカラーが追加されていた事である[18]。
型式名はE-MJ1[注釈 11]とE-MJ2[注釈 12]の2種類。
グレードは「1600G/G」[注釈 13]、「1600C/C」[注釈 14]、「1600C/C 4WD」[注釈 15]。
「H」マーク、「VTEC」等が入るエンジンヘッドカバーも含め、仕様はドマーニと殆ど同じだが、若干の違いがあった。ドマーニの「1600Ri」「1600Ri-F」は175/70R13が標準だったが、ジェミニの「1600C/C」「1600C/C 4WD」は175/65R14が標準とされた[注釈 16]等。
ボディカラーはフロストホワイト、ボーグシルバー・メタリック、ハーバードブルー・パール、ローザンヌグリーン・パールの4色[注釈 17]。
ボディカラーはハーバードブルー・パール、ローザンヌグリーン・パールが廃止され、ファントムグレー・パール、サイプレスグリーン・パール、ダークアメジスト・パールを設定、等。
いすゞ・ジェミニ(5代目) MJ4/5/6型 | |
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フロント | |
リア | |
概要 | |
販売期間 | 1997年2月 - 2000年10月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
駆動方式 | 前輪駆動 / 四輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
D15B型:1.5 L SOHC D16A型:1.6 L SOHC |
前 |
前:ダブルウィッシュボーン 後:ダブルウィッシュボーン |
後 |
前:ダブルウィッシュボーン 後:ダブルウィッシュボーン |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,620 mm |
全長 | 4,480 mm |
全幅 | 1,695 mm |
全高 | 1,390 mm |
その他 | |
製造メーカー | 本田技研工業 |
新車登録台数 | 5689台[20] |
系譜 | |
後継 | 2002年のいすゞ自動車の乗用車部門からの完全撤退に伴い、なし |
5代目も、ボディは先代から引き続き、ドマーニと共通するが、バッジ以外でもフロントグリルのデザインや、ヘッドライトリフレクター・ガーニッシュの色合いなどによって両車を見分けられる[20]。前後ウインカーの色がアンバーであることや、フロントグリルの形状は、ドマーニよりもカナダで製造・販売されていたアキュラ・EL(初代)の前期型に近い外観である。
ジェミニは、全日本ラリー選手権へ参戦し1980年、1981年、1990年、1991年、1992年のBクラスにおいて優勝している。
ジェミニを語る上で欠かせないのが、2代目および3代目におけるカースタントを使ったテレビCMである。映画「007シリーズ」のカースタントで名を知られ、当時世界最高レベルのカースタント技術を持つレミー・ジュリアンが監修を務め、キャッチコピーである「街の遊撃手」を視覚表現した、ジェミニがクラシック音楽やシャンソンなどに乗せてパリの街並みを踊るように駆け抜けていく映像が大きな反響を呼んだ[23][24]。広告代理店はマッキャンエリクソン博報堂。
これらの映像には合成やCGを一切使っていないことで有名だが、撮影用の車体には細工を施している場合がある。2台並んでのドリフト走行や、4台が同一の動きをしているシーンでは、ほぼすべてにおいて相互の車体の下部をジョイントでつないでいる。当時CM撮影に携わったスタッフはジョイント部分が見えないように、カメラアングルひとつにも綿密な計算をし膨大な時間を費やしたという。それでもジョイント部分の映り込みが避けられない場合はテロップで隠すといった手法も使われていた。なお、CMは世界各国での放映を想定して制作されたため、撮影には海外輸出仕様の左ハンドル車が用いられていた。日本国内および東南アジアではいすゞ・ジェミニとして、中南米ではシボレー・ジェミニ(CHEVORET GEMINI)として放映されていた。
2台で並走している車が異なる動きをするシーンでは、ジョイントでつながっていないシーンとつながっているシーンを別撮りした上で組み合わせることでひとつのシーンを作っている。CMのメイキング映像では、川を飛び越えるシーンや車2台が橋の上で交互にジャンプを繰り返すシーン、また片輪走行で階段を下っているシーンが有名だが、これらは車体に一切の細工をしていない。そのため、これらのCMメイキング映像では車体[注釈 19]や映像[注釈 20]を一切加工していないことが有名となったため、全てが実際の車の挙動だと思い込む視聴者も多かったという。
3代目のCMは車体そのものが意思を持って自律で動いているという設定のため、スタントドライバーが一切車内に映りこまないようにする必要があり、トランク部にドライバーが隠れて運転できるよう改造を施している。
2017年に開業したいすゞプラザ内のジオラマ「いすゞミニチュアワールド」では、公園内を走行するジェミニのスタントが再現されている[25]。
英語でふたご座を表し、いすゞとGMの協力で誕生したことから、両者のパートナーシップをふたご座に例えて命名。
ちなみにGM「Tカー」オペル・カデット(後輪駆動モデル)をベースにした車種は、アジア・オセアニア地域においては、Geminiの名称でいすゞの他に、韓国・セハン自動車(当時、現在の韓国GM)[注釈 21]、豪・ホールデンでも販売された。
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