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コンピュータ・オペレーティング・システム ウィキペディアから
UNIX (ユニックス、Unix、英語発音: [júːniks][1])は、コンピュータ用のマルチタスク・マルチユーザーのオペレーティングシステムの一種である。
UNIXおよびUnix系システムの系統図 | |
開発者 | ケン・トンプソン, デニス・リッチー, ブライアン・カーニハン, ダグラス・マキルロイ, ジョー・オサンナ(ベル研究所) |
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OSの系統 | Unix |
開発状況 | 開発継続中 |
ソースモデル | 歴史的にはある時期からクローズドソースとなったが、近年のUnix系プロジェクトの一部はオープンソースである。 |
初版 | 1969年 |
カーネル種別 | モノリシック |
既定のUI | コマンドラインインタフェース & GUI (X Window System) |
ライセンス | プロプライエタリ |
ウェブサイト | opengroup.org/unix |
公式な商標は「UNIX」だが、商標以外の意味として「Unix」、またはスモールキャピタルを使用して「Unix」などとも書かれる。2007年に、「UNIX」の商標の所有者である標準化団体のThe Open Groupは、Single UNIX Specificationを完全に満たすと認証を受けたシステムのみが「UNIX」の商標を得られるとした。このためそれ以外のシステムは(ずっと以前から[いつ?]、AT&T版およびBSD以外を指して使われていた用語だが)「Unixシステムライク」または「Unixライク(Unix系)」と呼ばれるようになった。ただし The Open Groupはその呼称を気に入っていない[2]。
2021年現在では「Unix」という語は、Unix標準に準拠するオペレーティングシステムの総称でもある。既にUnixシステムは多数の系統に分かれており、AT&Tの開発停止後も、多数の商用ベンダーや非営利組織などによって開発が続けられている。現在では[いつ?]多く使われているUnixとしてはmacOS、AIX、HP-UX、Solarisなどがある(いずれも商用)。また認証を受けていないUnix系としてはLinux(派生OSにAndroid他)やMINIX、BSDの派生OS(FreeBSD、NetBSD、OpenBSD、DragonFly BSDなど)がある[3]。
Unixは1969年、AT&Tのベル研究所にて、ケン・トンプソン、デニス・リッチーらが開発を開始した[4]。当初はアセンブリ言語のみで開発されたが、1973年にほぼ全体をC言語で書き直した。1970年代から1980年代の初期にかけて、Unixは大学や研究所などの教育機関で広範囲に採用され、特にカリフォルニア大学バークレー校をオリジナルとするBSD系統が誕生した。
また Version 7 Unix や UNIX System V の特徴を持つオペレーティングシステムは「伝統的なUNIX」(traditional Unix)とも呼ばれる。開発開始から半世紀以上に渡る技術の進歩やプロジェクトの変遷により、オリジナルのUNIXのソースコードは既に使われなくなったが、現在でも派生OSの開発は続けられており、特にシステムのバックエンドで動くスーパーコンピュータやサーバ向けの市場では圧倒的な存在感を示している。
Unixオペレーティングシステムは、サーバやワークステーションだけでなく、携帯機器でも広く使われている[5]。またUnix環境とクライアントサーバモデルは、個々のコンピュータによるコンピュータ処理を、コンピュータネットワークで連係されたコンピュータ処理に変革し、インターネット構築の重要な要素ともなった。
もともとUnixはベル研究所内部の開発プロジェクトであった。1973年のOSに関するシンポジウム以降、このOSはベル研究所外部にも知られるようになる。特に1980年代には、教育機関等でUnixが広がり、ユーザーが自前のツールをその上で作り、それを同僚などと共有する形が定着した[6]。
Unixは当初はパイプの概念もなかった。その後の発展の中で、徐々に「パイプ」などが実装されていった。1977年には、PDP-11以外のプラットフォームで動作するようになった。その後移植が徐々に進み、Unixが動作するプラットフォームが増えていった。
Multicsで用いられていたコンピュータであるGE-645は約2MBのメモリを有していたが、最初にUnixが動作したコンピュータであるPDP-7は約16KBのメモリしか有していなかった。このため、Unixの実装にあたっては、メモリ上に載せられる機能は制限され、当初Multicsで予定されていた多くの機能を諦めざるをえなかった。また、メモリ上でUnixのカーネルが占める領域を除くと、各種のユーティリティやアプリケーションが使えるメモリは数KBしか残っていなかった[7]。このため、高機能でサイズの大きいアプリケーションを動かすことは不可能であり、単機能で小さいアプリケーションを作成し、それらを順につないでいく方法をとらざるをえなかった。 このような、簡単なプログラムをコマンドラインインタプリタのパイプ等を使ってつないでいくという方法は、単一の多機能プログラムで同等機能を実装するのとは逆の発想である。これらのコンセプトはUNIX哲学という言葉で表現されることがある。しかしながら、Unixの開発者であるトンプソンやリッチーは、Unixの開発にあたって何らかの「哲学」や「開発理念」があったとは語っていない。むしろ、理念が先にあったのではなく、メモリ制約等の現実的問題があり、それに適合するために、そのような方法にならざるをえなかったという側面が強い。 また、商用Unixの中には、単一で多機能なアプリケーションも見られ、"Unix哲学"が一貫してUnixに関するすべての関係者で共有・実現されていたわけでもない。
その後、メモリの低価格化・大容量化によって、Unixは多くの機能を実現することが可能となった。今日のUnixは移植性、マルチタスク、タイムシェアリング方式によるマルチユーザなどを重視して設計されている。Unixでは、「オペレーティングシステム」は主となる制御プログラムであるカーネルと、多数のユーティリティより構成される。カーネルは、プログラムの開始や停止、ファイルシステムの取り扱い、他の多くのプログラムが共用する共通的な「低レベル」のタスク、そして重要なスケジューリングなどのサービスを提供する。これらのアクセスを調停するために、カーネルはシステムへの特権を持ち、システムは「ユーザー領域」と「カーネル領域」に分けられる。
カーネルの肥大化の潮流を逆転させ、より少ないユーティリティで最大のタスクを実行できるシステムに戻る目的で、マイクロカーネルのコンセプトが登場した。またコンピュータが1つのハードディスクと入出力用の端末から構成されていた時代には、Unixのファイルモデル(ストリーミングデータ)は最適な入出力として働いた。しかし現代のシステムではネットワークや新しい装置が求められ、グラフィカルユーザインタフェースが開発され、ファイルモデルはマウスなどが発生させる非同期イベントの取り扱いのタスクには不適当と判明し、1980年代には非同期入出力やIPCのメカニズムに加えて、ソケット、共有メモリ、メッセージキュー、セマフォなどが追加された。また通信プロトコルなどの機能はカーネルの外に移動した。
Unixは現在では[いつ?]、サーバやパーソナルコンピュータの一部に加え、携帯電話などの組み込みシステムから、メインフレームやスーパーコンピュータなどの一部にも使われている。
Unixの歴史は、1960年代中ごろに、マサチューセッツ工科大学 (MIT)、ベル研究所、General Electric (GE) がGEのメインフレームコンピュータGE-645用にMulticsと呼ばれるタイムシェアリングオペレーティングシステムを共同開発していたことにさかのぼる[8]。Multicsは多くの革新的技術を導入したが、同時に、多くの問題を抱えてもいた。Multics の目指すものに賛同しても、巨大で複雑なものになっていくことに嫌気がさしたベル研究所は、プロジェクトから徐々に距離をおくようになった。
最後までMulticsに関与していたケン・トンプソン等はファイルシステムを担当していたが、設計が行われただけで実装されていない段階であった。トンプソン等は、実際にファイルシステムを実装してみたいと考えた。この作業は、当時ベル研究所内に使われない状態でおいてあったPDP-7を借りて行われた。ファイルシステムが完成すると、それを活用するためのユーティリティを作成していった。こうして、おおむねOSの機能を有するものができあがった[7]。
1969年の夏、トンプソンはこれらを全面的に書き直し、新たなOSを作成した。トンプソンによれば、このOSはマルチプロセスを備えていたが、PDP-7には一台の端末しか接続されていなかったため同時に一人しか利用できなかった。そこでグラフィック表示用のディスプレイを端末として使い、同時に二人が利用できるようにした。このシステムは同僚の研究者達の好評を博し、二台の端末は常に満席であったという[9]。
この時点では、OSの開発はベル研究所に認知されたものではなく、彼らの私的な活動であった。研究所からの資金提供はなく、OSには名前も付けられていなかった。できあがったOSはMulticsと比べると小さなOSであった事から、ブライアン・カーニハンによって、MulticsのMulti(多数の)をUni(単一の)に変えてUnicsと名付けられた[7][10][11][12]。後につづりがUnixと変更された。このつづりの変更の経緯について、カーニハンは「思い出せない」と言っているが、当時の開発グループ内では比較的年長者であったピーター・ノイマンは「法務上の理由であろう」と語っている[12]。
PDP-7は当時としても古く、また開発グループの所有する計算機でもなかった。このため、開発グループでは、当時の最新機種であったPDP-11を購入し、その上でUnixが動作するようになった。1971年のUnixバージョン1はPDP-11/20上で動作した。バージョン3までのUnixはアセンブリ言語で開発された。ベル研究所ではその後もUnixの改良が続けられ、パイプなどの機能が追加されていった。1973年に公開されたバージョン4において、UnixはC言語で書き直された[7]。リッチーによれば、この高級言語の使用はコードの書き易さや可読性を念頭に置いたもので、この時点では移植性は重視されていなかった[13]という。1975年に公開されたバージョン6はソースコードと共にベル研究所の外部、主に大学に広く配布され、教育・研究に使われた。バージョン6の対象機種はPDP-11シリーズのみであった。1976年の12月、ウロンゴン大学のリチャード・ミラーらはInterdata 7/32への移植を開始した。彼らは1977年の4月にInterdata 7/32上でUnixを動かす事に成功し、7月には大学の正式なシステムとなった[14]。
ベル研究所では、Unix上で開発されたアプリケーションを他のOSに移植する過程で、OS間の差異がその障壁となる事を認識していた。この解決策として、Unix自体を移植可能にするプロジェクトがスティーヴ・ジョンソンらによって1977年初頭に始まり、1978年の春にInterdata 8/32への移植を完了した[15]。この移植版自体は公開されなかったが、この時に開発されたソースコードチェックツールや新たなCコンパイラは、1979年に公開されたバージョン7と共に配布された。これらの、ベル研究所で開発された初期のUnixは、現在ではResearch Unixと呼ばれている。
1970年代末から1980年代初頭にかけて、Unixは学術分野だけではなく産業分野でも使われるようになっていき、HP-UX, SunOS/Solaris, AIX, Xenix等のOSが作られた。 1980年代の末には、AT&T Unixシステムズ・ラボラトリーズとサン・マイクロシステムズが共同でUNIX System V Release 4 (SVR4) を開発した。これは、後の多くの商用Unixの母体となった。
1990年代には、BSDやLinuxといったUnixあるいはUnix系OSが、コンピュータ・ネットワークを通じて世界中の開発者の協力を得て開発され、人気を得ることになった。2000年には、AppleがUnixに基づいてDarwinというコアに基づくMac OS Xを開発した[16]。
1980年代後半から始まったオペレーティングシステム標準化の動きはPOSIXとなって結実し、あらゆるオペレーティングシステムの共通のベースラインとなっている。IEEEは主要なUnixシステムに共通する構造からPOSIXを作り、1988年に最初のPOSIX標準を公表した。1990年代初め、よく似た標準化が業界団体Common Open Software Environment (COSE) イニシアティブによって開始され、The Open Groupの管理するSingle UNIX Specificationとなった。1998年、POSIXとSingle UNIX Specificationの共通定義を提供するため、IEEEとThe Open GroupはAustin Groupを立ち上げた。
1999年、互換性を達成するため、いくつかのUnixシステムベンダーはSVR4のExecutable and Linkable Format (ELF) をオブジェクトファイルおよび実行ファイルの標準規格とすることに合意した。これによって、同一CPUアーキテクチャでの各種Unixシステムでバイナリ互換性の大部分が確保されることになった。
Unix系オペレーティングシステム(特にLinux)におけるディレクトリ構成の標準としてはFilesystem Hierarchy Standardがある。
Unixシステムは複数のコンポーネントから成っている。カーネルに加えて、開発環境、ライブラリ群、文書、ソースコードなどが含まれる。Unixは自己完結的ソフトウェアシステムだった。そのため重要な学習ツールとして頭角を現し、幅広い影響を及ぼすことになった。
各種コンポーネントを含めても初期のシステムは大きくはなかった。V7 UNIXの場合、全バイナリと全ソースにマニュアルなどの文書を含めても10MB以下であり、9トラックの磁気テープ一本で事足りた。文書を印刷したものも2巻にまとまっていた。
Unixコンポーネントの名前やファイルシステム上の位置は歴史と共に変化している。それでもV7の実装は多くの場合初期の正規な構造と見なされている。
Unixシステムは他のオペレーティングシステムに大きな影響を及ぼした。成功の要因は以下の通りである。
初期の実装では必須とされていたアセンブリ言語ではなく高水準言語で書かれている。先例として Multics や バロース B5000 があるが、このアイデアを一般化したのはUnixである。
当時の他のOSに比べて大幅に単純化したファイルモデルを採用しており、あらゆるファイルを単純なバイト列として扱っている。ファイルシステムの階層にサービスやデバイス(プリンター、端末、ディスクドライブなど)が含まれており、一様なインタフェースを提供しているが、単純なバイトストリームモデルに適さないハードウェア機能にアクセスする場合は、ioctlとモードフラグなどの追加機構を必要とすることがある。なおPlan 9ではこのモデルをさらに推し進め、追加機構を不要にしている。
Unixはまた、Multicsで導入された階層型ファイルシステムを一般化させた。当時の主要なOSでもストレージを複数のディレクトリやセクションに分割していたが、その階層レベルは固定で、1レベルということが多かった。いくつかの主要OSもMulticsにならってサブディレクトリを再帰的に追加する機能を備えるようになった。DECのRSX-11Mは "group, user" 型階層を採用し、それがVMSのディレクトリに進化した。CP/Mではボリューム単位であってディレクトリ階層がなかったが、MS-DOS 2.0 以降でサブディレクトリが利用可能となった。HPのMPEにおける group.account 型階層や、IBMのSSPやOS/400のライブラリシステムもある。それらシステムがまとめられ、より広範囲なPOSIXのファイルシステム仕様となった。
Multicsはまた、コマンドラインインタプリタを通常のユーザーレベルのプログラムとし追加コマンドを個別のプログラムで提供したが、Unixがその方式を一般化させた。Unixシェルはコマンドの対話的使用にもスクリプト言語としても使える(シェルスクリプト。IBMのJCLのようなジョブ制御専用言語は存在しない)。シェルもOSコマンド群もそれぞれ独立したプログラムなので、ユーザーはシェルを選べるし、自分で書くこともできる。新たなコマンドを追加してもシェルを修正する必要はない。また、Unixの独創的なコマンドライン構文により、パイプでコマンド同士を連結して使用することが可能となった。後のコマンドラインインタプリタの多くはUnixシェルに触発されている。
Unixの根本的な単純化想定は、ほぼあらゆるファイルフォーマットに改行コードで分割されたASCIIテキストを採用した点である。初期のUnixにはバイナリエディタはなく、システムの設定は全てシェルスクリプトというテキストファイルで行われていた。入出力もバイト単位が基本であり、Record-oriented filesystemとは異なる。ほとんどあらゆるものをテキストで表したことでパイプの有効性が高まり、単純で汎用的なツール群を開発するだけで、それらを連結して複雑な処理が可能となった。テキストとバイトに集中したことで、他のシステムよりもスケーラビリティと移植性が遥かに向上した。その後、テキストに基づくインタフェースは様々に応用可能と判明し、印刷言語(PostScriptやODF)やインターネット・プロトコル・スイート上のアプリケーション層のプロトコル(FTP、SMTP、HTTP、SOAP、SIPなど)に採用されている。
Unixは正規表現を一般化させるのにも一役買っており、今では様々な場面で正規表現が見られる。
C言語はUnix以上に広がり、今ではシステムプログラミングやアプリケーションプログラミングで広く使われている。
初期のUnix開発者らは、モジュール性と再利用性の概念をソフトウェア工学に導入する重要な役目を果たし、「ソフトウェアツール」という考え方を生み出すことになった。
Unixは比較的安価なコンピュータにTCP/IPプロトコルをもたらし、それがインターネットの爆発的な広がりに貢献するとともに、他のプラットフォームへのTCP/IP実装の手本となった。これによりネットワークの実装における多数のセキュリティホールが明らかとなった。
当初からUnixがオンライン文書を揃え、ソースコードへのアクセスを可能にしていたことは、プログラマの期待を高めることにつながり、1983年のフリーソフトウェア運動立ち上げに貢献した。
Unixの主要な開発者ら(およびUnix上で開発されたプログラム群)は、ソフトウェア開発の文化的規範を徐々に確立していき、その規範群がUnixのテクノロジー自体と同じくらい重要で有力なものとなっていった。それをUNIX哲学と呼ぶ。
UNIXが商用の「閉じた」OSとなっていく中で、現在につながるフリーソフトウェア/オープンソースのムーブメントが勃興し、UNIX同様の操作性と機能を提供するフリーなOSが生み出された。
多くのUNIX系OSがオープンソースで開発されているが、以下に挙げるOSは、ライセンスなどの問題からUNIXとは公称しない。
1983年にリチャード・ストールマンはフリーソフトウェア財団 (Free Software Foundation; FSF) を設立し、GNU (Gnu's Not Unix) プロジェクトを開始した。このプロジェクトの目的は、再配布自由・改変自由なUNIXクローンのOSを作成することであった。このプロジェクトにより、多くのUNIXシステム上で動作するソフトウェア、例えばEmacsやGCC等が作成され、これらソフトウェアは多くのUNIXシステムで使用されるようになった。しかしながら、OSの中核をなす "Hurd" の完成に手間取った(Hurdは現在も開発中)。
1991年にリーナス・トーバルズがLinuxカーネルを開発した。Linuxカーネルの特徴として、POSIXに準拠するように設計されたこと、GNUプロジェクトによって開発された様々なツールが動作するように作成されたこと、またライセンスにGPLが採用されたこと等が挙げられる。その結果、GNUプロジェクトの開発したソフトウェア等と共に、完全フリーのUNIXクローンとして利用されるようになった。有名な商用ディストリビューションとしてかつて[いつ?]Red Hat Linuxが存在し、現在では[いつ?]Red Hat Enterprise LinuxやSUSE Linux等がある。
なおLinuxという名称は本来カーネルのみの名称にすぎず、OSとして完成させるための他のシステムの多くはGNUプロジェクトの産物である。そのためFSF側ではOSとしての名称は「GNU/Linux」とすべきだと主張しており、この名称を採用した最も有名かつ完全にフリーなディストリビューションのひとつとして「Debian GNU/Linux」、およびそこから派生した「Ubuntu」などがある。ただし、そのようなディストリビューションの多くは、FSF の唱えるフリーソフトウェアの精神と相容れない仕様を含むものが多いため、FSF からは「不自由」なディストリビューションと見なされている。[18]
Linuxカーネルを利用した派生OSにAndroid他がある。
4.3BSD Network Release 2 (Net/2) に起源を持つのがFreeBSD・NetBSD・OpenBSD・DragonFly BSD・TrueOSのいわゆるBSD系Unixである。FreeBSDは安定性重視、NetBSDは新機能対応と移植性に優れ、OpenBSDはセキュリティを重視し、DragonFly BSDはマルチCPU構成での高性能という特徴を有し、TrueOSはカジュアルユーザにおいて簡単に導入して使えることを目指しており、特にFreeBSDはウェブ・ホスティングなどで標準的に使用されている。
USLとの和解以降これらBSD系UNIXはライセンス問題を排除した4.4BSD-Lite2をベースに移行し、いずれもフリーなOSとなっている。
オープンソース系BSDをベースとした商用OSとしてはAppleの「macOS」が知られており、中核部分を「Darwin」としてソース公開している。
Unixでは、システム時刻の値を1970年1月1日の午前0時0分0秒からの秒数で表しており、これをUNIX時間と呼ぶ。この値のデータ型は time_t
で、歴史的に「符号つき long」と定義されている。32ビットのシステムでは、2038年1月19日にこの値が1個の0に31個の1が続く最大値 (0x7FFFFFFF
) となり、1秒後には1個の1と31個の0が続く値 (0x80000000
) となる。するとシステム時刻は、実装によって(符号ビットを無視するか否かによって)1901年または1970年にリセットされる。
1970年より前の時刻をUNIX時間で表すことは滅多にないため、time_t
を符号なし32ビット整数と定義し直すという対策が考えられる。しかし、それでは単に問題を2106年2月7日に遅延させるだけであり、時刻の差を計算するソフトウェアでバグを生じる可能性がある。
この問題に対処しているバージョンもある。例えば、SolarisやLinuxの64ビット版では、time_t
は64ビットとなっており、OS自身も64ビットのアプリケーション群も約2920億年間正しく動作する。64ビット版Solarisで既存の32ビットアプリケーションを動作させることもできるが、その場合は問題が残ったままである。一部ベンダーは標準の time_t
はそのままにして、64ビットの代替データ型とそれを使用するAPIを別途用意している。NetBSDでは、次のメジャーバージョンである 6.x で32ビット版でも time_t
を64ビットに拡張することを決定した。従来の32ビットの time_t
を使用しているアプリケーションは、バイナリ互換性レイヤーを作って対応する。
1975年5月、DARPAは、ARPANETで使用するOSとしてなぜUnixが選ばれたのかを詳細に説明するRFC 681を文書化している。評価過程も文書化されている。当時のUnixのライセンス料は教育機関以外には2万ドル、教育機関には150ドルとなっていた。ARPAネットワーク全体でライセンス供与を受けるという提案に対して、ベル研究所はそういった示唆についてオープンだったと記されている。
その中で特に長所とされたのは、以下の点である。
1993年10月、Unix System Vのソースについての権利を保有していたノベルは、登録商標の権利をX/Open(現在のThe Open Group)に移管し[19]、1995年にはUNIX関連事業をSCOに売却した[20]。ノベルが実際のソフトウェアの著作権もSCOに売却したのかについては2006年に裁判となり、最終的にノベルが勝利した。SCO側は控訴したが、2011年8月30日に裁判所が棄却したため、裁判は終結した[21]。
アメリカなどで、登録商標としてのUNIXはThe Open Group が保有している。現在[いつ?]、日本における「UNIX」という商標は複数の区分で登録されており、電子計算機関連においてアメリカン テレフォン アンド テレグラム カムパニーやエックス/オープン・カンパニー・リミテッドの登録もある。
日本では、日本マランツ(現在は合併してディーアンドエムホールディングス)が、電気機器分野でUNIXという名前で先行して商標登録を行なっていたため、UNIXという商標の権利関係がはっきりしていなかったことがあった。このことから、書籍などでの商品名などの登録商標についての断り書き一覧などで「UNIXオペレーティングシステムは,AT&Tのベル研究所が開発し,AT&Tがライセンスしています.」(『Life with UNIX』邦訳版での例)などのように書かれたことがあった。現在も日本マランツは音響機器用に「unix」を使用している。他の国でも同様に分野を限定して同じ商標を別の意味で登録することができ、本棚、インクペン、瓶詰めの膠(にかわ)、おむつ、ヘアドライヤー、食品コンテナなどで登録された例がある[22]。
Single UNIX Specificationに完全に準拠しているとThe Open Groupに認められたシステムだけがUNIXを名乗ることができる。そのため認証を受けていないシステムは「Unix系」と呼ばれる。
The Open Groupは "UNIX" を特定のOS実装ではなく、OSのクラスを指すものと定義している。すなわち、Single UNIX Specificationに準拠しているとThe Open Groupに認められたシステムのみがUNIX 98やUNIX 03といった登録商標を付けることを許されており、そのためにベンダーは認証料と毎年のロイヤルティを支払わなければならない[23]。認証を受けたOSとしては、AIX、HP-UX、IRIX、Solaris、Tru64(かつての "Digital UNIX")、A/UX、macOS[24][25]、z/OSの一部などがある。
認証を受けていないシステムを表すため、(また、ジャーゴンファイルのUN*Xの項目によれば、商標であることを標示するための「TM」を避けるために)、「UN*X」のようにグロブ記法を使って表記されることがある。ジャーゴンファイルの記述によれば、法的にはUNIXと書いてもTMを付けることは強制されないのだが、この記法は広く使われてしまっている(ジャーゴンファイル訳本の『ハッカーズ大辞典』初版にある「逆にアスタリスクを使うと権利侵害になるらしい」という記述は誤訳なので注意)。
The Open Groupは商標の普通名称化を防ぐため、UNIX という語には常に「システム」などの語をつけて使って欲しいとしている。
本来の形は "Unix" なのだが、Unix という形もよく使われている。これについてデニス・リッチーは、Association for Computing Machinery (ACM) の開催した第3回OSシンポジウムにUnixの論文を送る際「troffと新たな組版システムを開発したばかりでスモールキャピタルを印字できることに興奮して、それを使ってしまったため」だとしている[26]。当時の多くのOSは大文字のみで名称を記述するのが一般的だったため、多くの人は習慣的に大文字のみで "UNIX" と記述した。
UnixやUnix系の複数のブランドを総称するため、Unixの複数形が時折使われることがある。最も一般的な複数形は Unixes だが、Unixをラテン語の名詞の第3格変化として扱い複数形を Unices とする例もよく見られる。古英語的に Unixen とする例はまれだが、ときおり見かける。
OSではないが、UNIXに相当する環境を提供するソフトウェア。
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