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1998年にフランスで行われた第16回FIFAワールドカップ ウィキペディアから
1998 FIFAワールドカップ(英: 1998 FIFA World Cup)は、1998年6月10日から7月12日にかけてフランスで開催された16回目のFIFAワールドカップである。決勝戦は地元のフランス代表と前回優勝国のブラジル代表の顔合わせとなったが、フランス代表がジネディーヌ・ジダンの2得点などでブラジル代表を3-0と下し初優勝を果たした[1]。大会最優秀選手はブラジル代表のロナウドが、得点王はクロアチア代表のダヴォール・シューケルが受賞した[1]。FIFAワールドカップとしては20世紀最後の大会[2][3]。
1998年大会には当初フランス、モロッコ、スイス、イングランド、ドイツの5ヶ国が招致の意向を示したが、ドイツは早々に撤退(後に2006年大会を招致)、イングランドもUEFA EURO '96の招致に成功したこともあって撤退、更にスイスは国際サッカー連盟 (FIFA) の求める招致基準を満たすことが出来ず、最終的にフランスとモロッコによる一騎打ちとなった。1992年7月1日にチューリッヒで行われたFIFA総会で、12対7の得票で、フランスが1938年大会以来2回目となるホスト国に選出された[4][5][6]。
この大会より、本大会出場チームが24から32に拡大された。
出場選手は1998 FIFAワールドカップ参加チームを参照。
大陸連盟 | 出場 枠数 | 予選 | 組 予選順位 | 出場国・地域 | 出場回数 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
UEFA | 1+14 | 開催国 | フランス | 3大会ぶり10回目 | |||
欧州予選 | 1組 | 1位 | デンマーク | 3大会ぶり2回目 | |||
2位 | クロアチア | 初出場 | ☆ | ||||
2組 | 1位 | イングランド | 2大会ぶり10回目 | ||||
2位 | イタリア | 10大会連続14回目 | ☆ | ||||
3組 | 1位 | ノルウェー | 2大会連続3回目 | ||||
4組 | 1位 | オーストリア | 2大会ぶり7回目 | ||||
2位 | スコットランド | 2大会ぶり8回目 | |||||
5組 | 1位 | ブルガリア | 2大会連続7回目 | ||||
6組 | 1位 | スペイン | 6大会連続10回目 | ||||
2位 | ユーゴスラビア | 2大会ぶり9回目 | ☆ | ||||
7組 | 1位 | オランダ | 3大会連続7回目 | ||||
2位 | ベルギー | 5大会連続10回目 | ☆ | ||||
8組 | 1位 | ルーマニア | 3大会連続7回目 | ||||
9組 | 1位 | ドイツ | 12大会連続14回目[注釈 1] | ||||
CONMEBOL | 1+4 | 前回優勝国 | ブラジル | 16大会連続16回目 | |||
南米予選 | 1位 | アルゼンチン | 7大会連続12回目 | ||||
2位 | パラグアイ | 3大会ぶり5回目 | |||||
3位 | コロンビア | 3大会連続4回目 | |||||
4位 | チリ | 4大会ぶり7回目 | |||||
CONCACAF | 3 | 最終予選 | 1位 | メキシコ | 2大会連続11回目 | ||
2位 | アメリカ合衆国 | 3大会連続6回目 | |||||
3位 | ジャマイカ | 初出場 | |||||
CAF | 5 | 最終予選 | 1組 | 1位 | ナイジェリア | 2大会連続2回目 | |
2組 | 1位 | チュニジア | 5大会ぶり2回目 | ||||
3組 | 1位 | 南アフリカ共和国 | 初出場 | ||||
4組 | 1位 | カメルーン | 3大会連続4回目 | ||||
5組 | 1位 | モロッコ | 2大会連続4回目 | ||||
AFC | 3.5 | 最終予選 | A組 | 1位 | サウジアラビア | 2大会連続2回目 | |
2位 | イラン | 5大会ぶり2回目 | ○ | ||||
B組 | 1位 | 韓国 | 4大会連続5回目 | ||||
2位 | 日本 | 初出場 | |||||
OFC | 0.5 | 地区予選 | 出場国無し |
参加国数が24から32に増えて初の大会。本大会出場選手本登録は22人で、1998年6月2日夜が締め切りであった。グループリーグがそれまでの4チームのA-Fの6グループからA-Hの8グループに増加し、各グループ上位2チーム、合計16チームがノックアウト方式の決勝トーナメントに進む[7]。トーナメント1回戦は、各グループ1位は2位のチームと、グループの対戦はAグループはBグループと、他はCとD、EとF、GとHとなる。大会は、前回大会優勝のブラジル対スコットランド戦でブラジルの2対1の勝利で幕を開けた。
いわゆる「パリの悲劇」で、アメリカ大会に出場できなかったフランスが、1978年大会のアルゼンチン以来20年ぶり史上7カ国目の初優勝を遂げた。エリック・カントナを代表から外し、ジネディーヌ・ジダンを中心に据えたエメ・ジャケ監督のチーム作りが成功した。またユニフォームは代表初戴冠となるUEFA欧州選手権1984時代を模したものにして縁起を担いだ。グループリーグではローラン・ブラン、マルセル・デサイー、ディディエ・デシャンといったベテランがチームをまとめ、ジダンを中心に、若手の成長株のティエリ・アンリやダビド・トレゼゲといったストライカーが得点を重ねる、理想的なサッカーを展開した。決勝トーナメントに入り、その世代交代の過渡期だったストライカーが力不足を露呈して得点力不足に苦しんだが、1回戦ではDFブランがゴールデンゴールを挙げ、準決勝ではそれまで代表戦でゴールのなかったDFテュラムが同点、そして逆転ゴールを挙げる活躍でそれをカバー。決勝戦においては下馬評ではブラジルが有利と言われていた。しかし決勝当日の朝、泡を吹いて卒倒しているブラジルのエースロナウドが発見された。ブラジルはチーム全体がパニック状態に陥ることになる。発作が治まったロナウドは結局先発出場するのだが、怪物の抜け殻であり、エースを失ったブラジルは砂上の楼閣さながらだった、結果はフランスが3対0とフランスのサッカーを思う存分見せつけた試合と言える(決勝戦でもMFのジダンが2ゴール、同じくMFのエマニュエル・プティが1ゴールと、ストライカー以外のプレーヤーが得点を挙げている)。なお、ホスト国が優勝するのは1978年大会のアルゼンチン20年ぶり[3]。
大会自体は、下馬評通りに優勝候補と目されていたブラジル、フランス、オランダ等が順当に勝ち進んだ。ガブリエル・バティストゥータ、ディエゴ・シメオネを中心にしたアルゼンチンはベスト8まで進んだが、オランダ戦ではアリエル・オルテガの退場もあり敗退した。一方で、スペインのグループリーグ敗退や、クロアチアの躍進は観客に驚きを与えた。また前述のアンリ、トレゼゲを含めイングランド代表のデビッド・ベッカムやマイケル・オーウェン、ブラジル代表のロナウド、イタリア代表のアレッサンドロ・デル・ピエロ、スペイン代表のラウル・ゴンサレスといった初登場の若手が活躍した大会でもあった。
またアジア勢は不振で、4カ国いずれもグループリーグで敗退した。前回アメリカ大会で初出場ながらベスト16に入り、旋風を起こしたサウジアラビアが1分2敗、韓国は1分2敗だった。イランはアメリカに2対1でワールドカップ初勝利を挙げるも、1勝2敗に終わりグループリーグで敗退した。日本もこの大会で初出場を果たしたが、3戦全敗に終わった[3]。
日本代表が初出場するとあって、多くのサポーターが現地へ観戦に行くため、大手旅行代理店への観戦ツアーの申込は約35,000人となった[8]。
しかし開幕となる6月10日直前になっても、日本戦観戦ツアーの申込分の一部のチケットが旅行代理店に到着しない事態が発生。フランス組織委員会(以下、CFOと記述)は当初、「5月中旬までには全てのチケットを発行する」としていたが、チケットの偽物が発見されたり、カメルーンサッカー協会とイギリスの業者(チケット問題発生時には、すでに倒産)によるチケットの横流し事件が発覚したため、CFOがチケットの発券をストップ。その為、公認代理店以外でチケットを注文した旅行会社にチケットが届かない事態となった[9](なお、チケットの不足は、イングランド、スコットランド、ブラジル、ドイツ、オランダの試合でも起きている)。
このため旅行会社ではチケットが手元に無いため、ツアーの実施、中止への対応を余儀なくされた。またツアー参加者は、出発の集合場所にて「チケットが届かない」旨の説明を受けたりしたため、参加者が突然の事態に泣き出す、説明に訪れた旅行会社社員に対し怒号が飛び交う等の事態になった(主な旅行会社の対応は、以下の通り[10][11])。
旅行会社 | 日本戦3戦申込枚数 | 実入手枚数 | 入手率 (%) | 対応 |
---|---|---|---|---|
ジェイワールドトラベル | 不明 | 不明 | 100 | 日本で唯一のオフィシャルエージェントの旅行会社であった為、参加者全員分のチケットが割り当てられた。 |
西鉄旅行 | 不明 | 不明 | 100 | JFAや国外のFIFA正規代理店からチケットを確保し、ツアー参加者数をチケットを確保できた分だけ募集したため、参加者全員分のチケットが割り当てられた。 |
JTB | 7,000 | 5,100 | 72 | 希望者にはツアーを予定通り決行。 試合を観戦出来なかったツアー参加者には、旅行代金を全額返還。 |
近畿日本ツーリスト | 5,583 | 384 | 6 | 原則ツアー中止。旅行代金全額+おわび金5万円を返還。 リスク覚悟の希望者には、別ツアーを用意。 |
京王観光 | 120 | 0 | 0 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
日本旅行 | 5,500 | 200 | 3 | アルゼンチン戦のツアーは中止。他の2試合はツアーを決行。 旅行代金全額+おわび金5万円を返還。また観戦出来なかったツアー参加者には、代金の3割を返還。 後日11ヶ国・地域34ヶ所の現地法人の社員約500人を動員し、チケット200枚を入手。 |
東武トラベル | 200 | 0 | 0 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
東急観光 | 3,499 | 303 | 8 | 原則ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
エイチ・アイ・エス | 500 | 不明 | 不明 | ツアーは予定通り実施。 |
名鉄観光サービス | 482 | 57 | 11 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
マップ・インターナショナル | 不明 | 不明 | 不明 | 「チケット確保の目処がついた」として、ツアーを決行。 |
阪神電鉄旅行部 | 450 | 0 | 0 | ツアーを全面中止、旅行代金を全額返金。 |
日通旅行 | 4,257 | 100 | 2 | 希望者にはツアーを予定通り決行。 試合を観戦出来なかったツアー参加者には、旅行代金を全額返還。 |
この事件に対し、CFOは「販売は順当に進んだと認識している。残念だが、こちらとしては何も出来ない。」との見解を示した[12]。これに対し日本旅行業協会がフランス政府に問題の調査を依頼、またCFOへ抗議文書を送った[13]。これに対しまた後日チケットの注文を受けながら入場券を渡さなかったとして、ISLワールドワイド社の子会社「ISLフランス」の役員マルク・ルワゾンが身柄を拘束された[14]。
尚、チケットは無くても現地まで行ったサポーターやチケットをより多く確保したい旅行会社等により、ダフ屋が横行しチケットの価格は高騰、1枚36万円で販売するダフ屋まで出現した[15]。挙句の果てには、対アルゼンチン戦にて偽チケットが発見される事態も発生した[16]。
このチケット問題に対し、アルゼンチン戦を開催するトゥールーズは、「日本人サポーターに、せめてスクリーンで試合を見て欲しい」と、市内のスポーツセンターと公園に試合を実況中継する巨大スクリーンを設置した。また座席も8,000席用意し、軽食や飲み物を無料配布した[17]。尚、この巨大スクリーンの会場の一角を東急観光が占拠し、自社のツアー客以外を締め出すという事態を起こした[18]。
日本政府も藤井孝男運輸大臣(当時)は、遺憾の意を表明[19]。また運輸省は少しでもチケットを確保するよう、FIFAに要請した[20]。
この一連の事件により、FIFAは不正を働いた疑いが強いとして、カメルーンとコロンビアのサッカー協会を調査[21]。またFIFAのゼップ・ブラッター次期会長は主催者側の不備を認め[22]、次大会以降のチケット販売は、大会開催国の組織委員会が扱うのではなく、FIFAの直接管理下で販売する方針となった[23]。
サン=ドニ | マルセイユ | パリ | リヨン |
---|---|---|---|
スタッド・ド・フランス | スタッド・ヴェロドローム | パルク・デ・プランス | スタッド・ジェルラン |
北緯48度55分28秒 東経2度21分36秒 | 北緯43度16分11秒 東経5度23分45秒 | 北緯48度50分29秒 東経2度15分11秒 | 北緯45度43分26秒 東経4度49分56秒 |
収容人数: 80,000 | 収容人数: 60,000 | 収容人数: 48,875 | 収容人数: 44,000 |
ランス | |||
スタッド・フェリックス・ボラール | |||
北緯50度25分58.26秒 東経2度48分53.47秒 | |||
収容人数: 41,300 | |||
ナント | |||
スタッド・ドゥ・ラ・ボージョワール | |||
北緯47度15分20.27秒 西経1度31分31.35秒 | |||
収容人数: 39,500 | |||
トゥールーズ | サン=テティエンヌ | ボルドー | モンペリエ |
スタッド・トゥールーズ | スタッド・ジョフロワ・ギシャール | パルク・レスキュール | スタッド・ドゥ・ラ・モッソン |
北緯43度34分59.93秒 東経1度26分2.57秒 | 北緯45度27分38.76秒 東経4度23分24.42秒 | 北緯44度49分45秒 西経0度35分52秒 | 北緯43度37分19.85秒 東経3度48分43.28秒 |
収容人数: 37,000 | 収容人数: 36,000 | 収容人数: 35,200 | 収容人数: 34,000 |
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