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高田 宏(たかだ ひろし、1932年8月24日 - 2015年11月24日)は、日本の編集者・作家・随筆家。多くの著書がある。
京都市出身で石川県加賀市育ち。石川県立大聖寺高等学校、京都大学文学部仏文学科卒業。
1955年に光文社に入社し雑誌『少女』の編集者となる[1]。のち雑誌『マイホーム』の創刊に関わる[2]。1962年にアジア経済研究所入社して雑誌『アジア経済』の編集長となる[3]。
1963年エッソ・スタンダード石油(現・ENEOS)PR課に入社[4]。
1964年からPR誌『エナジー』を編集者として創刊して、11年間、編集者をつとめる[5]。大学時代の友人の小松左京や、梅棹忠夫などの京大人文研のメンバーに多く執筆を依頼し、PR誌を越えた雑誌として評価された[6]。『エナジー』では会社PRは一切せず、当時としては先駆的な一冊一特集主義をとり、全40冊のうち33冊が他の出版社から単行本として刊行された[7]。他に雑誌『オイルワールド』、エッソの社内報の編集も担当した[8]。
1973年から梅棹の依頼で、国立民族学博物館の創設準備室の企画委員となる(委員長は小松左京)[9]。
また1975年に石油危機により『エナジー』を廃刊して[10]同年からから1982年まで『エナジー対話』を、1973年から1975年までエナジー叢書を刊行した[11]。
自身の退社を予定として、1982年に『エナジー対話』を廃刊し、1983年に『エナジー小事典』を創刊[12]。同年末に退社し、翌84年から文筆専業となる[13]。
代表作となった『言葉の海へ』は、近代日本最初の国語辞書『言海』を編んだ大槻文彦の生涯を描いた評伝。以後『島焼け』、『雪 古九谷』などの歴史小説、樹木・森・島・旅・雪などの自然、猫などをテーマにした随筆や児童向け図書、日本の伝統文化・風土を紹介した紀行・評論など約100冊を出版した。
他にも日本ペンクラブ理事、石川県九谷焼美術館館長、深田久弥山の文化館館長[14]をそれぞれ務め、また将棋ペンクラブ会長にも就いた。1998年から1999年まで、および2006年から2007年まで、将棋ペンクラブ大賞の選考委員をつとめた。
小諸・藤村文学賞、ゆきのまち幻想文学賞の審査員も務めていた。
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