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関西学生アメリカンフットボール連盟(かんさいがくせい - れんめい、英語: Kansai Collegiate American Football Association)とは、近畿地方2府4県(京都府・大阪府・滋賀県・兵庫県・奈良県・和歌山県)及び岡山県・鳥取県・徳島県における大学のアメリカンフットボール部が所属する連盟であり、日本学生アメリカンフットボール協会の傘下団体である。
団体種類 | 一般社団法人 |
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設立 | 1989年 |
所在地 | 日本 兵庫県神戸市灘区王子町2-1 神戸市王子スタジアム内 |
主要人物 | 理事長 平井英嗣 |
活動地域 | 近畿地方・岡山県・鳥取県・徳島県 |
活動内容 | 学生アメリカンフットボールの統括 |
親団体 | 日本学生アメリカンフットボール協会 |
ウェブサイト | http://www.kansai-football.jp/ |
関西におけるアメリカンフットボールの歴史は、1935年に大阪YMCAに勤務していた松葉徳三郎の呼びかけにより関西大学が創部したことに始まる。1938年には、日本にアメリカンフットボールを普及させたポール・ラッシュ等の尽力により日本米式蹴球協会が設立され、東京の5大学(立教大学、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学、法政大学)と関西大学が加盟。同時に同協会関西支部(松葉徳三郎支部長)が設立された。同年、後のライスボウルに繋がる第1回の東西対抗戦が行われている。
暫くは関西には、関西大学以外の大学チームが存在しなかった(神戸外国人クラブ、関西フットボールクラブ等の社会人チームは存在した)が、1940年に同志社大学が創部したため、リーグ発足の基礎が出来上がり、翌1941年に、東京学生アメリカンフットボール連盟設立に7年遅れて関西鎧球連盟が設立された。連盟設立後、新たに創部した関西学院大学が加盟することで、秋には第1回のリーグ戦が、関西大学・同志社大学・関西学院大学の3校に関西OBクラブを加えた4チームで開催され、関西大学が優勝した。翌1942年には春季と秋季に関西大学・同志社大学・関西学院大学の3大学リーグ戦を開催し、春季・秋季ともに関西大学が優勝した。しかし、1943年にアメリカンフットボールが敵性スポーツとして禁止され関西鎧球連盟は解散となった。
第二次世界大戦の終結後、1946年2月に関西大学・同志社大学・関西学院大学の3大学で関西米式蹴球連盟が設立される。同年4月・5月に3大学のOBも含めた全関西大学・全同志社大学・全関西学院大学によるリーグ戦が行われ、全関西大学が優勝。同年9月関西アメリカンフットボール連盟に改称。10月のリーグ戦は大学生のみの3大学リーグ戦が行われ、同志社大学が優勝し、1947年春に東西大学王座決定戦である第1回「甲子園バウル(ボウル)」が開催された。以降順調に発展を遂げ1989年に関西アメリカンフットボール連盟が関西アメリカンフットボール協会と関西学生アメリカンフットボール連盟に分離・独立して現在に至る。
各大学はディビジョンで分類され、現在はDiv.1(8校)、Div.2(8校)、Div.3(6校・2ブロック)、Div.4(11校・2ブロック)である。試合は各ディビジョンごとにリーグ戦を行い、シーズン終了後に入れ替え戦を行う。
2024年シーズンのブロック編成は以下の通り(順不同)。
春季はリーグとは無関係に各種交流試合が行われる。春季の試合は3月下旬~7月初旬にかけて開催される。試合数は各チームにより様々である。また、部員数が多いDiv.1の上位校では、控え選手や下級生に出場の機会を与えるために、JV戦(Junior Varsity Game) を行うことがある。
連盟が主催するゲームは以下の通りである。関西学生大会と西日本学生大会は、「KANDEN FLASH BOWL SERIES」として関西電力の協賛を受けていた(2012年度からはケイ・オプティコム(関西電力グループの通信会社)へ変更)。
秋季はリーグ戦を戦う。リーグ戦はDivision 1(Div.1)、Division 2(Div.2)、Division 3(Div.3)の3部制となっており、リーグ戦終了後には入替戦が行われ、来季の所属ディビジョンが決定する。
ここでは、Division 1の順位・順列の決定方法について紹介する。
アメリカンフットボールは競技の性質上こなせる試合数には限度があり、日本国内で実施される大学、社会人のリーグ戦では同順位で複数校が並んだ場合、当該チーム間の勝敗、得失点等で優劣を決する運用が多い。しかし、関西学生リーグDiv.1では、順位1位校が複数存在する場合は、無条件で順位1位校全てを優勝校[2] とする。
これは、アメリカンフットボールが他の球技に比しても概して戦術の占めるウェイトが大きく、対戦カードごと、更には同一カードでも対戦時期により、自チームのストロングポイント、ウィークポイントの対比により、勝利を得る為のフィロソフィーが異なり、しかも、サッカーなどと異なり、一度のタッチダウンで6点獲得出来てしまうといった特性などからも、単純に得点失点の大小を比較するだけでは競技の本質から外れてしまうという認識が関係者の間で古くから了解されていることによるものである。
ただし、全日本大学選手権出場(2008年までは甲子園ボウル)に出場できるのは1校だけなので、2015年迄はプレーオフ制が実施されており、実際の最後のプレーオフは2010年に行われた。プレーオフは、通常は最終節終了(11月下旬)後の翌週末に行われていた。また、プレーオフの試合終了時点で引き分けだった場合、そのままタイブレイクシステムによるオーバータイムにより勝敗を決した。プレーオフ出場校が3校以上の場合、2008年まで総当りではなくトーナメント方式(対戦・シードは抽選で決定)で行われていた。2010年はプレーオフ出場校3校+西日本代表決定戦進出校(北陸・東海・中四国・九州の4代表によるトーナメントの勝ち抜き校=南山大学)の4校でトーナメントが行われた。
2016年以降は西日本のすべてのリーグの優勝校がパラマストーナメント方式で勝ち上がってきた大学と関西学生アメリカンフットボール連盟1部の2位校が対戦し、その勝者が「WESTERN JAPAN BOWL」で甲子園ボウルの出場を賭けて戦うことになった。そのため複数校が優勝してもトーナメントは行われなくなり、当該校間での対戦の勝利校が上の順列となる。2019年以降は2位校と3位校が他リーグ優勝校とのトーナメントに出場し、勝ち抜いた学校が関西1位校と「WESTERN JAPAN BOWL」で戦うことになった。2020は新型コロナウイルスの影響で全日本大学選手権が中止となり、2021年は西日本代表決定戦への関西地区の出場校が3位校までになるという変化があった。
2022年からは西日本代表決定戦が中止となり、それぞれの地区の優勝校がパラマストーナメント方式で対戦する方式となった。このため全日本大学選手権には優勝校だけが挑戦権がある方式となった。また、複数の大学が1位となった場合、全日本大学選手権の準決勝出場校はプレーオフではなく、2校優勝の場合は直接対決の勝者となり、3校以上の場合は抽選で決定することになった。なお、抽選では「1位相当」「2位相当」「3位相当」を決定する。これにより、3校とも優勝ではあるが、全日本大学選手権への出場権の決定だけでなく、来シーズンの試合日程も例えば「3位相当」なら3位校としての位置が与えられる。
※1984年は4クォーター終了時点で14-14の同点であったためオーバータイムに突入。タイブレイクシステムではなく、通常の試合方式で2クォーターのオーバータイムを戦った末に関西学院大学が勝利した。
※1996年は3校によるプレーオフとなり、抽選により立命館大学対関西学院大学で準決勝を戦い、京都大学は準決勝はシードで決勝で準決勝の勝利校(立命館大学)と戦った。
※2004年は4クォーターが終わった時点で14-14の同点であったためオーバータイムに突入。リーグ戦では敗北した立命館大学が、3回にわたるタイブレークを制した。
※2010年は関西学生の同率優勝3校に東海学生代表の南山大学を加えた4校よるプレーオフとなり、抽選により関西大学対関西学院大学、立命館大学対南山大学で西日本代表校決定戦(1回戦)を戦った。関西大学対関西学院大学は、4クォーターが終わった時点で3-3の同点であったためオーバータイムに突入。リーグ戦では敗北した関西大学が、2回にわたるタイブレークを制した。立命館大学は南山大学に圧勝。決勝では立命館大学と関西大学が戦った。
優勝校以外で同順位に2校が並んだ場合、当該校間での対戦の勝利校が上の順列となる。3校以上の場合(同順位の2校の対戦が引き分けだった場合も含む)、抽選により順列が決定される。Div.1における順列7位校・8位校は、入替戦出場校決定戦(後述)勝利校とのDiv.1-2入替戦に出場し、順列6位校はウエスタンボウルに出場する。優勝校は複数が1位となるが、優勝校以外は順位そのものが決められる。
2023年は関西学院大学、立命館大学、関西大学の3校が優勝となった。ただし、全日本選手権への出場校は1校だけであり、かつ来季の試合日程を決定するために2位相当校や3位相当校を決定しなければならない。そのための抽選が実際に行われた。その方法は3校の主将によりジャンケンが行われ、予備抽選の封筒を選択する順番が決められ、立命館、関大、関学の順に予備抽選の封筒を受け取った。予備抽選の封筒を開封した結果、本抽選の封筒を選択する順番は関大が1番、関学が2番、立命が3番となった。そして本抽選の封筒を開封した結果、関学が「1位相当」として全日本選手権出場となり、立命が「2位相当」、関大が「3位相当」となった。
東海学生リーグおよび北陸学生リーグは、関西学生リーグから分離・独立したという経緯上、東海学生リーグ1部及び北陸学生リーグ1部は、関西学生リーグDiv.2と同格に扱われている。よって、Div.1への昇格は、Div.2優勝校(Aブロック1校・Bブロック1校)、東海学生リーグ1部優勝校、北陸学生リーグ1部優勝校の4校によって争われる。
まず、東海学生1部優勝校対Div.2(Aブロック or Bブロック)優勝校、北陸学生1部優勝校対Div.2(Aブロック or Bブロック)優勝校の対戦が行われる。この対戦を入替戦出場校決定戦といい、勝利校がDiv.1の順列7位校・8位校のいずれかとDiv.1-2入替戦を戦う。そして、入替戦の勝利校が来季のDiv.1に所属し、敗戦校はDiv.2に所属することになる。なお、入替戦出場校決定戦の組み合わせは毎年シーズン前に発表され、入替戦の組み合わせは、春に開催される西日本学生トーナメント(Div.2A・Bブロック各上位2校によるトーナメント)の優勝校の所属するブロックがDiv.1の順列8位校とそれ以外のブロック所属校がDiv.1順列7位校と対戦する。
甲子園ボウルが、東西大学王座決定戦から、全日本大学選手権へと衣替えしたことを受けて、入替戦のシステムも変更となった。全日本大学選手権では、東海・北陸学生リーグ優勝校は、直接選手権に出られるシステムとなった(西日本代表校準々決勝で東海VS北陸が行われる)。そのため、関西学生リーグのDiV.2と同列という扱いも不要となり、東海・北陸学生リーグのチームが入替戦に出場することはなくなった。現在はDiv.2のAブロック、Bブロックの優勝校がプレーオフを行い、勝者がDiv.1の順列8位校と、敗者がDiv.1順列7位校と入替戦を戦うというシステムに変更されている(入替戦出場校決定戦が無くなった)。
なお、通常は成績面での自動入れ替えは行わないが、2022年度のように、参加校の不祥事などによる出場辞退があった場合には、翌年度の欠員補充の意味で、2部リーグの優勝校が自動昇格となる場合がある。事例として、2022年(上述)は、同志社大学が部員による不祥事で1部リーグの残り試合(入れ替え戦含む)の出場を辞退したため、2部リーグ優勝校が同志社大学と入れ替わって2023年の秋季大会に参戦する。また、入れ替え戦(1部7位対2部2位)については実施する[3]。
Div.3はA~Gの7つのブロックに分かれている(2010年シーズンの場合。出場校数により変動あり)。このうち、F・Gブロックは6人制フットボールのため、入替戦には出場できない。残る5ブロックのうち、A、Bブロックは6チーム、Cブロックは5チーム、D・Eブロックは4チームで構成されており、A・Bブロックの順列2位校およびC・D・Eブロックの優勝校により、入替戦出場校決定戦が行われた後、決定戦の勝利校と、A・Bブロックの優勝校が、Div.2の5位・6位校と入替戦を戦う。
関西学生秋季リーグ戦にはいくつかの運営上の特徴が存在する。
Div.1の試合間隔は原則2週間となっている。2週間の間隔で試合が開催されること(試合は週末開催が原則)で試合の準備やスカウト、怪我人の回復等が行われる。また、等間隔で試合が開催されることで日程上の不公平度が少ない。リーグ戦第1節では熱中病対策からナイター開催を推進しており、ナイター施設がある競技場が限られることから、かつては開催間隔が不平等になるケースもあった(2004年の第1節では龍谷大学対立命館大学の試合だけ他の3試合と比べて1週間遅れて開催された)。しかし2006年6月にナイター設備完備のエキスポフラッシュフィールドが完成したので、日程上の不公平は解消された。
関西学生リーグにおける対戦順序は、前年度の上位校対下位校の対戦から始まり、最後に上位校(下位校)同士の対戦が組まれるようになっている。例えば、Div.1の前年度の優勝校(甲子園ボウル出場校)は、前年度8位校の対戦から始まり、7位、6位…3位と対戦し、最終節に2位と対戦する。
2002年に西宮スタジアムでの試合開催が終了し、関西学生リーグは主要会場を失った。そこで、2003年から一つの会場で集中開催するのではなく、各大学の所在府県で試合を分散開催する方式に転換した。Div.1ではある大学の所在府県で試合が開催される場合は、その大学がホームとして、メイン・スタンドとカラーユニフォームを選択し、対戦相手がアウェイとして、バックスタンドとセカンドユニフォームを選択する(翌年の対戦ではホームとアウェイが反対になる)。Jリーグでは定着したホーム&アウェイ開催だが、大学スポーツでは珍しい試みである。
多くの大学スポーツと同様に関西学生リーグにもライバル校の関係が存在し、リーグ戦を盛り上げる要素の一つとなっている。
関西学院大学ファイターズと京都大学ギャングスターズの対戦。1970年代中盤まで無敵を誇った関西学院大学の独走を止めたのが京都大学であった。1977年秋季リーグの関京戦はテレビ中継の関係から日生球場が使用された。試合は関西学院大学が京都大学を逆転勝利で下して優勝を決めた。以降、両校は1990年代後半まで常に優勝を争い、数多くの名勝負が生まれた。現在でも観客動員はリーグにおける最大水準となっており、1991年のプレーオフでの対戦では西宮スタジアムに41,000人の観客がつめかけた。近年は京都大学が振るわず、優勝を賭けた関京戦は実現していないが、2004年は立命館大学に勝利して優勝確実と見られた関西学院大学を京都大学が17-13で下すなど、ライバル関係は続いている。
関西学院大学ファイターズと1990年代に入り台頭した立命館大学パンサーズの対戦。両校の対戦は現在では関京戦に代わり、関西学生リーグでの最多観客動員カードとなっている。特に近年はリーグ優勝をかけた対戦が多く、2005年には史上初の最終節、全勝対決での関立戦が実現し、約22,000人の観客が西京極陸上競技場に集まった。両校とも関立戦のためだけに多くの準備を実施する。2000年頃から関立戦の勝者がそのまま甲子園ボウルを制することが増え、アメリカンフットボール関係者の間では「学生最高峰の試合」と考えられている。
京都大学ギャングスターズと立命館大学パンサーズの対戦。1994年に立命館大学が初優勝してからは、関西学生リーグは関西学院大学・京都大学・立命館大学の「3強時代」に突入した。その3強時代を象徴する対戦が京立戦である。1995年には最終節に全勝同士の優勝を巡る対戦となった。西宮スタジアムに30,000人を越える観客が入場した。試合は立命館大学が試合終了間際京都大学ゴール前2ヤードまで迫ったものの、京都大学守備陣の堅守を打ち破ることが出来ず、7-3で京都大学が勝利した。京都大学はこのシーズン甲子園ボウル・ライスボウルも制覇して日本一に輝いている。
関西学院大学ファイターズと関西大学カイザースの対戦。関西学生アメリカンフットボール連盟でもっとも古い歴史を持つ関西大学は、戦後長年にわたり関西学院大学の後塵を拝してきた。しかし、関西大学の強化策も確実に進展し、2003年にDiv.1に復帰してからはリーグ上位をうかがう存在になっている。2003年には、関西大学が秋リーグ戦では55年振りに勝利したことで話題になった。そして2009年度の秋リーグ戦では、関西大学が関西学院大学を破ったことなどにより、61年ぶりの同リーグDiv.1の優勝を成し遂げた。
他に、毎年春総合関関戦の一環として交流試合も行っている。
2023年12月現在
2020年12月現在
※関西学院大学の優勝回数は4引分(両校優勝)を含む。
関西学生代表の甲子園ボウルの通算成績は32勝27敗4分。
2009年度からは、「全日本大学アメリカンフットボール選手権大会」の決勝戦として開催(西日本代表としての出場)。各校の年度ごとの成績は甲子園ボウルを参照。
2020年12月現在
※日本選手権となった1984年以降の出場回数
年度 | 優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 |
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1946 | ◎同志社大 | 関西学院大 | 関西大 | |||||
1947 | ◎関西大 | 同志社大 | 関西学院大 | 京都大 | ||||
1948 | 関西大 ◎関西学院大 | 同志社大 | 京都大 | |||||
1949 | 関西学院大 | 京都大 | 関西大 | 同志社大 | ||||
1950 | 関西学院大 | 関西大 | 同志社大 | 京都大 | ||||
1951 | 関西学院大 | 関西大 | 同志社大 | 京都大 | ||||
1952 | 関西学院大 | 同志社大 | 関西大 | 京都大 | ||||
1953 | 関西学院大 | 関西大 | 同志社大 | 立命館大 | ||||
1954 | 関西学院大 | 同志社大 | 関西大 | 京都大 | 立命館大 | |||
1955 | 関西学院大 | 関西大 | 同志社大 | 立命館大 | 京都大 | |||
1956 | 関西学院大 | 関西大 | 同志社大 | 京都大 | 立命館大 | 甲南大 | ||
1957 | 関西学院大 | 同志社大 | 関西大 | 甲南大 | 立命館大 | |||
1958 | 関西学院大 | 同志社大 | 甲南大 | 関西大 | 立命館大 | 京都大 | ||
1959 | 関西学院大 | 関西大 | 甲南大 | 同志社大 | 京都大 | 立命館大 | ||
1960 | 関西学院大 | 甲南大 | 同志社大 | 関西大 | 京都大 | 立命館大 | ||
1961 | 関西学院大 | 甲南大 | 同志社大 | 関西大 | 京都大 | 立命館大 | ||
1962 | 関西学院大 | 甲南大 | 関西大 | 京都大 | 同志社大 | 立命館大 | ||
1963 | 関西学院大 | 甲南大 | 同志社大 | 京都大 | 関西大 | 立命館大 | ||
1964 | 関西学院大 | 関西大 | 甲南大 | 京都大 | 同志社大 | 立命館大 | ||
1965 | 関西学院大 | 関西大 | 甲南大 | 京都大 | 同志社大 | 立命館大 | ||
1966 | 関西学院大 | 関西大 | 京都大 | 甲南大 | 立命館大 | 同志社大 | ||
1967 | 関西学院大 | 関西大 | 京都大 | 同志社大 | 立命館大 | 甲南大 | 近畿大 | |
1968 | 関西学院大 | 同志社大 | 関西大 | 京都大 | 立命館大 | 甲南大 | 近畿大 | |
1969 | 関西学院大 | 同志社大 | 関西大 | 京都大 | 甲南大 | 近畿大 | 立命館大 | |
1970 | 関西学院大 | 京都大 | 関西大 | 桃山学院大 | 近畿大 | 甲南大 | 同志社大 | 立命館大 |
1971 | 関西学院大 | 甲南大 | 京都大 | 関西大 | 追手門学院大 | 桃山学院大 | 近畿大 | 同志社大 |
1972 | 関西学院大 | 京都大 | 甲南大 | 関西大 | 近畿大 | 大阪大 | 桃山学院大 | 追手門学院大 |
1973 | 関西学院大 | 京都大 | 関西大 | 大阪大 | 桃山学院大 | 甲南大 | 近畿大 | 追手門学院大 |
1974 | 関西学院大 | 京都大 | 近畿大 | 甲南大 | 大阪大 | 桃山学院大 | 関西大 | 追手門学院大 |
1975 | 関西学院大 | 京都大 | 関西大 | 近畿大 | 甲南大 | 桃山学院大 | 追手門学院大 | 大阪大 |
1976 | 関西学院大 | 京都大 | 関西大 | 近畿大 | 追手門学院大 | 甲南大 | 桃山学院大 | 大阪大 |
1977 | 関西学院大 | 京都大 | 同志社大 | 近畿大 | 関西大 | 桃山学院大 | 甲南大 | 追手門学院大 |
1978 | 関西学院大 | 京都大 | 近畿大 | 関西大 | 同志社大 | 大阪経済大 | 甲南大 | 桃山学院大 |
1979 | 関西学院大 同志社大 | 関西大 | 京都大 | 近畿大 | 大阪体育大 | 大阪経済大 | 神戸学院大 | |
1980 | 関西学院大 ◎近畿大 | 京都大 | 同志社大 | 大阪体育大 | 関西大 | 立命館大 | 神戸大 | |
1981 | 関西学院大 | 京都大 | 大阪体育大 | 近畿大 | 神戸大 | 同志社大 | 関西大 | 立命館大 |
1982 | ◎京都大 | 関西学院大 | 近畿大 | 大阪体育大 | 神戸大 | 同志社大 | 岡山大 | 関西大 |
1983 | 京都大 | 関西学院大 | 大阪体育大 | 同志社大 | 近畿大 | 大阪市立大 | 神戸大 | 立命館大 |
1984 | 関西学院大 近畿大 | 大阪体育大 | 京都大 | 神戸大 | 立命館大 | 同志社大 | 大阪市立大 | |
1985 | 関西学院大 | 京都大 | 立命館大 | 大阪体育大 | 近畿大 | 神戸大 | 中京大 | 同志社大 |
1986 | 京都大 | 関西学院大 | 近畿大 | 大阪体育大 | 同志社大 | 立命館大 | 神戸大 | 大阪大 |
1987 | 京都大 | 関西学院大 | 近畿大 | 同志社大 | 立命館大 | 甲南大 | 大阪体育大 | 関西大 |
1988 | 関西学院大 | 京都大 | 立命館大 | 同志社大 | 近畿大 | 神戸大 | 大阪体育大 | 甲南大 |
1989 | 関西学院大 | 近畿大 | 立命館大 | 同志社大 | 京都大 | 神戸大 | 京都産業大 | 甲南大 |
1990 | 京都大 | 立命館大 | 神戸大 | 同志社大 | 近畿大 | 関西学院大 | 関西大 | 京都産業大 |
1991 | 関西学院大 京都大 | 立命館大 | 同志社大 | 神戸大 | 大阪体育大 | 関西大 | 近畿大 | |
1992 | 京都大 | 関西学院大 | 神戸大 | 立命館大 | 同志社大 | 関西大 | 大阪体育大 | 京都産業大 |
1993 | 関西学院大 | 京都大 | 立命館大 | 神戸大 | 近畿大 | 大阪体育大 | 関西大 | 同志社大 |
1994 | ◎立命館大 | 京都大 | 関西学院大 | 近畿大 | 甲南大 | 京都産業大 | 神戸大 | 大阪体育大 |
1995 | 京都大 | 立命館大 | 関西学院大 | 甲南大 | 近畿大 | 関西大 | 同志社大 | 京都産業大 |
1996 | 京都大 立命館大 関西学院大 | 近畿大 | 甲南大 | 大阪産業大 | 同志社大 | 関西大 | ||
1997 | 関西学院大 | 立命館大 | 京都大 | 近畿大 | 神戸大 | 大阪産業大 | 甲南大 | 関西大 |
1998 | 立命館大 | 京都大 | 関西学院大 | 近畿大 | 関西大 | 神戸大 | 大阪産業大 | 同志社大 |
1999 | 関西学院大 | 立命館大 | 京都大 | 甲南大 | 神戸大 | 近畿大 | 大阪産業大 | 関西大 |
2000 | 関西学院大 | 京都大 | 立命館大 | 甲南大 | 神戸大 | 同志社大 | 近畿大 | 大阪産業大 |
2001 | 関西学院大 | 立命館大 | 京都大 | 近畿大 | 神戸大 | 甲南大 | 同志社大 | 大阪産業大 |
2002 | 立命館大 | 関西学院大 | 近畿大 | 京都大 | 神戸大 | 甲南大 | 同志社大 | 大阪産業大 |
2003 | 立命館大 | 京都大 | 近畿大 | 関西学院大 | 関西大 | 同志社大 | 神戸大 | 甲南大 |
2004 | 立命館大 関西学院大 | 関西大 | 京都大 | 神戸大 | 龍谷大 | 近畿大 | 同志社大 | |
2005 | 立命館大 | 関西学院大 | 関西大 | 同志社大 | 京都大 | 近畿大 | 神戸大 | 龍谷大 |
2006 | 関西学院大 | 立命館大 | 京都大 | 関西大 | 神戸大 | 同志社大 | 近畿大 | 大阪産業大 |
2007 | 関西学院大 | 立命館大 | 関西大 | 京都大 | 近畿大 | 神戸大 | 龍谷大 | 同志社大 |
2008 | 立命館大 | 関西学院大 | 神戸大 | 京都大 | 関西大 | 甲南大 | 近畿大 | 同志社大 |
2009 | 関西大 | 関西学院大 | 立命館大 | 同志社大 | 甲南大 | 京都大 | 神戸大 | 近畿大 |
2010 | 立命館大 関西学院大 関西大 | 京都大 | 神戸大 | 甲南大 | 同志社大 | 近畿大 | ||
2011 | 関西学院大 | 立命館大 | 関西大 | 京都大 | 龍谷大 | 神戸大 | 同志社大 | 甲南大 |
2012 | 関西学院大 | 立命館大 | 関西大 | 京都大 | 神戸大 | 近畿大 | 龍谷大 | 同志社大 |
2013 | 関西学院大 | 立命館大 | 関西大 | 京都大 | 龍谷大 | 近畿大 | 神戸大 | 大阪教育大 |
2014 | 関西学院大 | 立命館大 | 関西大 | 近畿大 | 神戸大 | 龍谷大 | 京都大 | 同志社大 |
2015 | 立命館大 | 関西学院大 | 関西大 | 京都大 | 神戸大 | 龍谷大 | 近畿大 | 桃山学院大 |
2016 | ☆関西学院大 | 立命館大 | 関西大 | 龍谷大 | 甲南大 | 京都大 | 神戸大 | 同志社大 |
2017 | 立命館大 | ☆関西学院大 | 京都大 | 関西大 | 龍谷大 | 甲南大 | 桃山学院大 | 同志社大 |
2018 | ☆関西学院大 | 立命館大 | 関西大 | 近畿大 | 神戸大 | 京都大 | 龍谷大 | 甲南大 |
2019 | 立命館大 ☆関西学院大 | 神戸大 | 関西大 | 京都大 | 近畿大 | 同志社大 | 龍谷大 | |
2020 | 新型コロナウィルス対策のため関西学院大・立命館大・神戸大・関西大・京都大・近畿大・同志社大・桃山学院大でトーナメントを実施するも、順位付け・入替戦・自動昇降格は行わず。甲子園ボウルには決勝戦の関学対立命戦を制した関西学院大学が出場。 | |||||||
2021 | ☆関西学院大 | 立命館大 | 関西大 | 近畿大 | 神戸大 | 同志社大 | 京都大 | 桃山学院大 |
2022 | 関西学院大 | 関西大 | 立命館大 | 京都大 | 近畿大 | 神戸大 | 甲南大 | 同志社大(注) |
2023 | 関西学院大 立命館大 関西大 | 京都大 | 近畿大 | 神戸大 | 甲南大 | 龍谷大 |
関西学生リーグ戦及び春季公式戦・ボウルゲームは、原則として有料試合であり以下の公共施設(スタジアム)で開催される。2006年度秋季リーグ戦からエキスポフラッシュフィールドの使用頻度が非常に高くなり、尼崎陸上競技場、宝ヶ池球技場でのDiv.1の試合開催がほとんど無くなった。また、エキスポフラッシュフィールドの完成によりDiv.1からDiv.3に至る全てのディビジョンで大学グラウンドでの試合開催が無くなり、全試合公共施設(スタジアム)での試合開催となった。
他に滋賀県立長浜ドーム、宇治太陽が丘球技場B、岡山県総合グラウンド陸上競技場、尼崎市立記念公園陸上競技場等で試合が開催される。
秋季リーグ戦のチケットは、全席自由であり、大人1人あたり前売り1000円、当日1200円である(高校生は前売り400円、当日500円、中学生以下無料)。2005年までは、この他にシーズンパス(5000円)が発売されていた。通常のリーグ戦の他に、入替戦、プレーオフも観戦することが出来たが、2006年秋季からシーズン回数券(8000円・シーズン入場券10枚+えびすボウル入場券1枚)に改定された。
春季の関西学生大会(西日本学生大会)、秋季リーグ戦の前売り券は、各種プレイガイド、コンビニエンスストア、プロショップ等以外に、阪急電鉄の主要駅売店「Lagare Shop(ラガールショップ)」 でも発売されている。駅の売店でスポーツの観戦チケットが取り扱われているのは非常に珍しい。
関西学生リーグの試合が初めてテレビ中継されたのは、1977年秋季リーグの関京戦(いわゆる「涙の日生球場」)であった。この試合本来は11月20日に開催予定であったのが、急遽毎日放送が放送することになり、局の都合上試合予定が1週間繰り上がって11月13日となった。このため、試合会場であった万博記念競技場が使用できなくなり、代わりに日生球場が使用された。試合の録画中継の視聴率は7.4%であった。
関西学生リーグの中継に携わっている解説者・アナウンサーは以下の通りである。対戦する両校OBが1人ずつ、2人で解説を行うことが多い。
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