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元プロ野球選手 ウィキペディアから
長谷部 康平(はせべ こうへい、1985年5月21日 - )は、岐阜県関市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。左投左打。引退後、2017年から株式会社楽天野球団営業第二部スポンサー担当。現在は宮城県を拠点に活動。
小学2年で野球を始めると、中学時代には岐阜中濃シニアでプレー。愛知県の杜若高等学校時代には、後に名城大学を経て中日ドラゴンズへ入団する山内壮馬とエースの座を争いながら、背番号1番と10番を交互に付け合った。ちなみに、在学中には春・夏とも全国大会への出場経験がなく、3年生夏の愛知県大会でベスト4に入ったことが最高の成績だった。
愛知工業大学への進学後に、1年春の愛知大学野球リーグ戦で初登板。3年時からエースとなり、3年生としては唯一人第35回日米大学野球、第3回世界大学野球選手権の代表に選出される。4年秋の名古屋商大とのリーグ開幕戦にて17奪三振を記録。同年8月、北京五輪プレ大会に選出され優勝に貢献。同年11月、第37回IBAFワールドカップに選出され、抑えとして5試合に登板、無失点の好投を見せる。同年12月、プロ野球選手で構成された北京五輪アジア予選メンバーに唯一アマチュアから選出され、自身の登板はなかったもののチームは優勝を果たす。リーグ戦通算21勝21敗、防御率2.39、敢闘賞2回、最優秀防御率1回。北京五輪アジア予選メンバーは、楽天を除く11球団からの選手で構成されていたが、大会準備期間中に楽天が長谷部をドラフトで引き当てたため、全球団が揃うこととなった[注釈 1]。このような活躍から、大場翔太・加藤幹典とともに「大学BIG3」として注目された[1]。
2007年の大学・社会人ドラフト会議では、東北楽天ゴールデンイーグルス・中日ドラゴンズ・広島東洋カープ・千葉ロッテマリーンズ・埼玉西武ライオンズの5球団が1巡目で重複指名。抽選の結果、楽天が独占交渉権を獲得し、契約金1億円、年俸1,500万円に出来高分の5,000万円を加えた条件(金額は推定)で入団した[2]。入団当初の背番号は20。
明るく社交的な性格で、「野球以外の仕事で営業のスキルを身に付けたい」という理由で、楽天球団に在籍したまま職員へ転身。2017年1月10日付で、株式会社楽天野球団営業本部営業第二部営業第二グループへ配属された[24]。楽天の選手が現役引退を機に球団の営業職員へ転身した事例は初めてで、転身後はパソコンの使い方などを一から学びつつ、本拠地・Koboパーク宮城(「楽天Koboスタジアム宮城」から改称)にある年間指定席の新規顧客への販売業務などに携わった[25]。同年5月からスポンサー担当に異動[26]。
2020年からはJ SPORTSの野球解説者としても活動するほか、8月1日オープンの高級生食パン専門店「LA・PAN」の仙台本店の立ち上げと運営を統括している[27]。
その他、宮城県エリアで放送されたキリンビール、カーフロンティアのタイミーのテレビCMなどに出演。楽天OBの枡田慎太郎との共演は、楽天ファンの中でも話題になった。
野球に恩返ししたいとの思いから育成・指導にも携わり、硬式野球チーム・仙台PONYのGM、野球塾バッティングアスリートのアドバイザーも務める。2022年10月に行われた宮城県や仙台市、ミヤギテレビなどが開催する子育てイベント「子育て応援団すこやか2022」ではストラックアウトのブースを設置し子供たちが野球に親しむ活動を行なった。
また、アスリートの目線を活かしスポーツジム「アッティーボジム」のアドバイザーや各種公演活動なども行なっている。
2010年9月3日の埼玉西武ライオンズ戦(Kスタ宮城)に先発した際、1回表に1番片岡易之から3者連続四球で無死満塁。続く4番ホセ・フェルナンデスにも四球を与え、押し出しで1点を失う。さらに5番中村剛也に満塁本塁打を打たれ5点目を失うも以降3人をいずれも三振で打ち取り、この回を終えた。投球内容は「四球-四球-四球-四球-本塁打-三振-三振-三振」。「野手の守備機会0で5失点」というイニングになった[28]。
杜若高校時代のチームメイトだった山内とは、卒業後も仲が良い。2007年の大学・社会人ドラフト会議では、抽選の末に長谷部の交渉権を獲得できなかった中日が、ドラフト1巡目での再入札を経て山内を獲得した。山内は2015年のシーズン終了後に中日から戦力外通告を受けたが、秋季キャンプでの入団テストを経て楽天に入団。2016年に再び長谷部のチームメイトになったが、2人とも球団から戦力外を通告された[29]後に、現役を引退した。
また、2006年のドラフト1巡目指名で投手として楽天へ入団した永井怜とは、大学時代からの知り合いでもある。永井が現役引退によって楽天球団の職員(楽天イーグルスアカデミーのジュニア部門コーチ)へ転じた2015年からは、2016年に自身が引退するまで、永井の付けていた背番号30を引き継いでいた。永井も、背番号の変更が発表された直後に、自身のTwitter公式アカウントを通じて長谷部への激励ツイートを発信している[30]。
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008 | 楽天 | 13 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 181 | 35.1 | 56 | 6 | 22 | 0 | 2 | 23 | 2 | 1 | 41 | 39 | 9.93 | 2.21 |
2009 | 25 | 20 | 0 | 0 | 0 | 5 | 8 | 0 | 1 | .385 | 499 | 109.1 | 132 | 12 | 49 | 1 | 6 | 65 | 8 | 0 | 69 | 63 | 5.19 | 1.66 | |
2010 | 10 | 8 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 0 | 0 | .375 | 200 | 43.2 | 49 | 10 | 23 | 2 | 2 | 30 | 3 | 0 | 42 | 38 | 7.83 | 1.65 | |
2011 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 140 | 35.1 | 26 | 0 | 13 | 0 | 0 | 20 | 1 | 0 | 11 | 10 | 2.55 | 1.10 | |
2013 | 24 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3 | 10 | .500 | 135 | 34.1 | 24 | 1 | 10 | 0 | 2 | 31 | 0 | 0 | 7 | 7 | 1.83 | 0.99 | |
2014 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 156 | 35.2 | 35 | 4 | 14 | 0 | 1 | 31 | 1 | 0 | 18 | 15 | 3.79 | 1.37 | |
2015 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 24 | 4.0 | 6 | 0 | 6 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 4 | 9.00 | 3.00 | |
2016 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 12 | 2.1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 3 | 11.57 | 1.71 | |
通算:8年 | 110 | 42 | 0 | 0 | 0 | 11 | 19 | 3 | 11 | .367 | 1347 | 300.0 | 329 | 33 | 140 | 3 | 14 | 205 | 15 | 1 | 196 | 179 | 5.37 | 1.56 |
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