長澤和明

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

長澤 和明(ながさわ かずあき、1958年2月4日 - )は、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)出身の元サッカー選手・指導者・解説者。日本代表経験を持ち[1]Jリーグ所属のジュビロ磐田の初代監督も務めた。長女は女優の長澤まさみ[2]。子供は、長男と長女(まさみと兄が年子)[3]

概要 長澤 和明, 名前 ...
長澤 和明
名前
本名 長澤 和明
カタカナ ナガサワ カズアキ
ラテン文字 NAGASAWA Kazuaki
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1958-02-04) 1958年2月4日(67歳)
出身地 静岡県静岡市
身長 177cm
選手情報
ポジション MF
ユース
1973-1975 清水東高校
1976-1979 東京農業大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1989 ヤマハ発動機 123 (9)
通算 123 (9)
代表歴
1978-1985[1] 日本 9 (0)
監督歴
1991-1992 ヤマハ/ジュビロ磐田
1995-1996 鈴与清水FCラブリーレディース
1997 本田技研工業
1999-2001 ソニー仙台FC
2001-2007 常葉学園橘高校
2008-2012 浜松大学
2013 グランセナ新潟FC
2014 北越高校
2015-2017 清水東高校
1. 国内リーグ戦に限る。
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経歴

清水東高校高校総体3位(1973年高校選手権準優勝(1974年)を経験、東京農業大学を卒業後、1980年日本サッカーリーグ所属のヤマハ発動機サッカー部に入部。ゲームメーカーとして活躍した。また1982年ハンス・オフトがヤマハのコーチとして初訪日した時の主将であった。1978年からは日本代表に選出されたが、同じポジションに木村和司が存在したため9試合出場に留まっている。その後は怪我に泣かされ31歳で引退した。

引退後はヤマハのコーチを務めた後、1991年に監督に就任。在任中にチームが「ジュビロ磐田」に改称したため、長澤はヤマハ最後の監督と同時にジュビロの初代監督となった。在任中、1992年の旧J1(ジャパンフットボールリーグ)優勝、1993年のJリーグ昇格などの実績を残したが、ジュビロフロントはオフトを監督として再招聘するために事実上長澤を解任し、フロント入りさせた。現場に拘った長澤は、程無くヤマハフットボールクラブを退社した。

その後、1995年から1996年までL・リーグ鈴与清水FCラブリーレディースで、1997年にはジャパンフットボールリーグの本田技研工業サッカー部で、1999年から2001年シーズン途中までソニー仙台FCでそれぞれ監督を務めた。

2001年秋から静岡県の常葉学園橘高校サッカー部で監督を務め、2005年静岡県大会で優勝し全国大会に進出した。

2008年1月より、横浜F・マリノスへの監督就任が決まった桑原隆の後任として、浜松大学サッカー部の監督に就任した。また、前任者の桑原からスカパー!静岡放送ジュビロ磐田ホームゲームの解説を引き継いでいる。

その後は学生の指導に専念していたが2013年より北信越フットボールリーグ2部に所属するグランセナ新潟FCの総監督に就任[4][5]2014年プリンスリーグ北信越北越高等学校サッカー部の監督として活動。2015年に静岡に戻り、全国大会制覇の経歴も持つ静岡県立清水東高等学校サッカー部のヘッドコーチを3年間務め、2017年シーズン終了後に退任した[6]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯天皇杯期間通算
1980ヤマハ24JSL1部1701100181
1981101821000192
1982JSL2部1513050231
1983JSL1部1711010191
1984921000102
19851822032234
1986-872112140272
1987-8800001010
1988-8900000000
通算日本JSL1部 1008829211712
日本JSL2部 1513050231
総通算 115911214214013
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JSL東西対抗戦 2回出場(1983年、1984年)

指導歴

監督成績

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年度所属クラブリーグ戦カップ戦
順位試合勝点勝利引分敗戦JSL杯/ナビスコ杯/Lリーグ杯天皇杯/皇后杯
1991-92JSL1部ヤマハ3位223611381回戦2回戦
1992旧J1ヤマハ優勝18441350-2回戦
1993旧J1磐田準優勝18-14-4予選リーグ1回戦
1995L鈴与清水3位18-10-8-準々決勝
1996L鈴与清水4位18-9-93位準決勝
1997旧JFL本田4位306523-7-3回戦
1999JFLソニー仙台5位24269114-3回戦
2000JFLソニー仙台5位22371309-1回戦
2001JFLソニー仙台---
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代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 9試合 0得点(1978-1985)[1]
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...
日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
19786050110
1985303060
通算 9080170
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出場

さらに見る No., 開催日 ...
No.開催日開催都市スタジアム対戦相手結果監督大会
1.1978年07月13日マレーシアの旗クアラルンプール イラク△0-0二宮寛ムルデカ大会
2.1978年07月15日マレーシアの旗クアラルンプール インドネシア●1-2ムルデカ大会
3.1978年07月17日マレーシアの旗クアラルンプール シリア○3-2ムルデカ大会
4.1978年07月19日マレーシアの旗クアラルンプール 韓国●0-4ムルデカ大会
5.1978年07月23日マレーシアの旗クアラルンプール シンガポール●1-2ムルデカ大会
6.1978年07月26日マレーシアの旗クアラルンプール タイ○4-0ムルデカ大会
7.1985年05月18日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 シンガポール○5-0森孝慈ワールドカップ予選
8.1985年05月26日日本の旗東京都国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ウルグアイ●1-4キリンカップ
9.1985年06月04日日本の旗愛知県名古屋市瑞穂公園陸上競技場 マレーシア○3-0キリンカップ
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脚注

外部リンク

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