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神奈川県横浜市金沢区の町名 ウィキペディアから
長浜(ながはま)は、神奈川県横浜市金沢区の町名。長浜一・二丁目は住居表示実施済みで、丁目を設けていない部分は住居表示未実施である[5]。
金沢区東部の丘陵地に位置する[6]。京急本線能見台駅にほど近い北東の住宅地は長浜一・二丁目、残る部分は丁目が設けられていない。北は富岡東、東は並木、南は柴町、西は西柴および堀口に接する。東側は1970年代から1980年代にかけて埋め立てられる以前は海岸線に面していた。旧海岸線沿いに長浜公園および長浜野口記念公園として緑地化されている。長浜野口記念公園は横浜検疫所長浜措置場の跡地で、事務所棟を改築した横浜市長浜ホールや、野口英世が勤務した旧細菌検査室が保存されている。町の南部には在日米軍小柴貯油施設があったが2005年に日本国に返還され、横浜市により公園とする計画が進められている。
面積は以下の通りである[2]。
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、長浜1-8-14の地点で18万7000円/m2となっている[7]。
長浜の地名は戦国時代から見られ、金沢文庫に所蔵されている古文書「鏡心日記」の1484年(文明16年)8月17日条に「長浜へ参下向」との記述がある。町名としての長浜は、1939年(昭和14年)7月1日に横浜市磯子区金沢柴町および同金沢洲崎町の一部から新設。町名は、柴から富岡にかけての長い浜からつけられた[8]。1948年に、磯子区から金沢区が分離されたことにより金沢区長浜となる。1952年に、埋立地を編入[9]。1971年から1988年にかけて金沢地先埋立事業が行われ、当地の東側の水域が埋め立てられた[10]。1986年7月21日に長浜・西柴・堀口の各一部から長浜一丁目および長浜二丁目が新設されるとともに、その部分について住居表示が実施された[5][8]。
1895年(明治28年)に三浦郡長浦(現:横須賀市長浦)から移転した検疫施設は約83000m2の敷地を持ち[6]、迎賓館などを備えていたが、1952年に大さん橋近くに機能を移し、廃墟化していった。横浜市は1993年にこの敷地と一部の建物を取得。1997年に長浜野口記念公園および横浜市長浜ホールとして開園した[11]。
第二次世界大戦前に日本海軍により設けられた貯油施設は1948年に在日米軍に接収され、2005年に日本国に返還された。その間の1981年10月13日にはタンクの爆発を起こし、長浜の町域を中心に536世帯に被害が生じている[6]。
2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[18]。
大字・丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
長浜 | 6番地 94番地 106番地の9 107番地 114番地 | 横浜市立並木第四小学校 | 横浜市立並木中学校 |
106番地の6・8 | 横浜市立並木中央小学校 | ||
1〜5番地 7〜93番地 95〜105番地 108〜113番地 115番地以降 | 横浜市立西柴小学校 | 横浜市立西柴中学校 | |
長浜一丁目 | 全域 | ||
長浜二丁目 | 全域 |
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[19]。
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
町内の警察の管轄区域は以下の通りである[22]。
町丁・丁目 | 番・番地等 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|---|
長浜 | 一部 | 金沢警察署 | 柴町駐在所 |
一部 | 能見台駅前交番 | ||
長浜一丁目 | 全域 | ||
長浜二丁目 | 全域 |
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