藤原英幸

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藤原 英幸(ふじわら ひでゆき、1970年3月27日 - )は、埼玉県出身の元騎手調教助手

概要 藤原英幸, 基本情報 ...
藤原英幸
基本情報
国籍 日本
出身地 埼玉県
生年月日 (1970-03-27) 1970年3月27日(54歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 美浦仲住芳雄(1988年 - 1995年)
美浦・成宮明光(1995年 - 1996年)
美浦・仲住芳雄(1996年 - 1997年)
美浦・フリー(1997年 - 2004年)
美浦・菊川正達(2004年)
初免許年 1988年3月5日
免許区分 平地
騎手引退日 2004年12月31日
2004年11月7日(最終騎乗)
重賞勝利 1勝
通算勝利 2980戦165勝
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来歴

要約
視点

競馬学校4期生として内田浩一岡潤一郎菊沢隆徳岸滋彦千田輝彦町田義一横田雅博と同期になり、1988年3月美浦仲住芳雄厩舎からデビュー。

1年目の1988年は3月5日東京第2競走4歳未勝利・ライジングイースト(12頭中4着)で初騎乗[1]を果たし、5月1日新潟第4競走4歳未出走・ダイシンピジョンで初勝利[2]を挙げる[3]6月11日の東京で初の1日2勝、翌12日の東京でも勝って初の2日連続勝利を挙げる[4]など、初年度から2桁勝利の15勝[5]をマークし、関東の新人賞に当たる民放競馬記者クラブ賞を受賞[6]

2年目の1989年には同年から始まった阪神ヤングジョッキーズステークス[7]でローヤルドラゴンに騎乗し、1年先輩の寺島祐治武豊に次ぐ3着に入った[8]。重賞初騎乗となった新潟記念でもチョウカイエクセルで3着[9]に入り、新潟戦では春夏共に5勝の計10勝[10] [11]を挙げるなど、2年連続2桁で自己最多の24勝[5]をマーク。

3年目の1990年にはクイーンステークスでヘイアンダームに騎乗しキョウエイタップに先着する3着[12]に入り、ブルーベイブリッジでテレビ東京賞3歳牝馬ステークスを制し管理する山田要一調教師と共に唯一の重賞勝利[3] [9] [13] [14]を挙げ、3年連続2桁勝利であると同時に2年連続で最後の20勝台となる22勝[5]をマーク。

1991年は6勝に終わったが、1992年には2年ぶりの2桁となる16勝を挙げ、1994年まで3年連続2桁勝利を記録[5]

1992年にはアズマハンター産駒の関西馬ユーセイフェアリーの関東遠征時に2度騎乗し、中山牝馬ステークスではスカーレットブーケの2着、牡馬相手のエプソムカップでも4着と重賞で好走[15]

1994年1月31日の東京第2競走サラ4歳未勝利・ケイアイトップで通算100勝[16]を達成し、1995年には成宮明光厩舎に移籍。

1995年3月26日中山第4競走4歳未勝利ではユーワキングでマイケル・ロバーツ騎乗のサマーサスピションから9馬身差2着[17]に入り、10月7日の新潟第8競走4歳未勝利を18頭中15番人気のテイエムファミリーで勝利し単勝・枠連万馬券[18]の波乱を呼んだ。

1996年には仲住厩舎に復帰し、1月27日小倉第8競走4歳以上500万下では16頭中12番人気のピンクタイフーンで逃げ切った8番人気グリーンパラダイスの2着に入り、枠連・馬連万馬券を演出[19]3月9日中京第8競走4歳以上500万下では16頭中11番人気のオギタイショウで8番人気ホークブレーヴとハナ差2着に入って枠連36560円[20]の波乱を呼び、5月19日の東京第9競走牡丹賞ではケイアイグローリーでクロカミの3着[21]に入った。10月26日の新潟第8競走4歳未勝利ではマイネルトムで3着[22]であったが、最後の直線で2着のポットベルーシーに騎乗した大塚栄三郎[22]と鍔迫り合いになり、レース後には検量室で大塚と揉み合いになる[23]。大塚は施行規定第126条第20号により、翌27日から11月9日まで実効4日間の騎乗停止となった[23]。同年は2年ぶりの2桁となる10勝をマークしたが、自身最後の2桁勝利となった[5]

1997年からはフリーとなり、同年には天皇賞(秋)マイネルブリッジ(16頭中7着)でGI初騎乗[9]を果たし、福島記念ではヤシマソブリンアロハドリームを抑えてテイエムオオアラシの3着[24]に入った。

1998年にはファンネルマークで京都金杯ミッドナイトベットエリモダンディーに次ぐ4着[25]に入ったほか、ディヴァインライトで新馬→500万下を2連勝し、重賞初出走の弥生賞ではキングヘイロースペシャルウィークセイウンスカイの三強に次ぐ4番人気に支持されるが5着[26]で降板[27]

1999年には中野栄治厩舎のトロットスター中日スポーツ賞4歳ステークスを9番人気ながら2着に好走し[28]2000年にはトロットスターと同厩で父メジロマックイーン・母父カツラギエースタイムフェアレディで新馬を10頭中9番人気の低評価を覆して勝ち、ファンタジーステークスでは16頭中11番人気ながら関東馬最先着でタシロスプリングの5着[29]福島3歳ステークスではテンシノキセキの4着に入った[30]

2001年には父ウイニングチケット、母父バンブーアトラス・母母テイタニヤのノアパンチ[31]で新馬を11頭中10番人気ながら勝利し、単勝・枠連・馬連・ワイド万馬券の波乱となった[32]

2004年には菊川正達厩舎所属となり、3月13日の中京第11競走知立特別でトロットスターの弟マキシマムスピード[33]に騎乗し最後の勝利[34]を挙げる。11月7日の東京第2競走2歳未勝利・ヨシノボンボン(12頭中11着)が最後の騎乗[35]となり、12月31日付で現役を引退[36]

騎手成績

さらに見る 通算成績, 1着 ...
通算成績1着2着3着4着以下出走回数勝率連対率
平地 165 178 162 2475 2980 .055 .115
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主な騎乗馬
  • ブルーベイブリッジ(1990年テレビ東京賞3歳牝馬ステークス)

脚注

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