寺島祐治

日本の騎手 ウィキペディアから

寺島 祐治(てらしま ゆうじ、1968年3月12日 - )は、群馬県出身の元騎手

概要 寺島祐治, 基本情報 ...
寺島祐治
基本情報
国籍 日本
出身地 群馬県
生年月日 (1968-03-12) 1968年3月12日(56歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
初免許年 1987年3月7日
免許区分 平地
騎手引退日 2000年2月29日
2000年2月22日(最終騎乗)
通算勝利 1743戦99勝
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経歴

要約
視点

競馬学校騎手課程第3期生では蛯名正義合谷喜壮塩村克己芹沢純一武豊と同期になり、1987年3月美浦沢峰次厩舎からデビュー[1]

1年目の1987年は同7日中山第1競走4歳以上300万下・クボノブレーブ(12頭中8着)で初騎乗[2]を果たし、4月19日の中山第5競走4歳400万下・シービースマイルで初勝利を挙げる[3]。夏の新潟では8月16日9月6日と2度も1日2勝[4]、暮れの中山では12月19日20日と初の2日連続勝利[4]を挙げるなど、1年目の同年から2桁勝利の14勝をマーク[5]

初年度から1990年まで4年連続2桁勝利を記録し、2年目の1988年には自己最多の17勝をマーク[5]

1988年の七夕賞では柴田寛厩舎のティードリームに大崎昭一からの乗り替わりで騎乗し[6]、51kgの軽量でコーセイとアタマ差の2着[7]に入った。

1989年には同年から始まった阪神ヤングジョッキーズステークス[8]高橋成忠厩舎のメイショウマサムネに騎乗し、同期の武が騎乗するワンダーメルベーユを1/2馬身差抑えて逃げ切った[9]。前年暮れから主戦となっていたティードリームとのコンビでは七夕賞を12頭中12番人気、新潟記念を13頭中11番人気ながら共に5着に入った[6]

1990年には7月15日の新潟第3競走3歳新馬でダイナコスモス産駒のビバリーヒルズに騎乗し、単勝1.1倍の圧倒的人気ながら4着に終わり、暮れのテレビ東京賞3歳牝馬ステークスでは15頭中15番人気ながら5着に入った[10]

1991年1月5日の中山第8競走4歳以上500万下でミヤギノフジに騎乗し13位入線も15着に降着[11]となり、同日から導入された降着制度[12]の最初の適用馬となった。

1993年には2年ぶりで自身最後の2桁となる13勝[5]をマークし、ステイヤーズステークスでユーワテイオーに騎乗しアイルトンシンボリの4着[13]に入った。

1996年12月1日の中山第4競走3歳新馬ではイースタンナントで勝利[14]したが、2着にソリストが入り[14]、中央に2頭しかいなかった同年デビューの新種牡馬アズマイースト産駒[15]のワンツーとなった。フェアリーステークスでは15頭中12番人気のドゥーワップに騎乗し、ヒシアマゾンの妹ヒシナイル[16]の3着に入った[17]

1998年には自己最低の0勝に終わり、1999年5月8日の新潟第2競走4歳未出走を13頭中12番人気のスマイルスターで制し1年ぶりの勝利を挙げるが[18]、1999年9月26日の中山第2競走4歳未勝利をイソエイルークで逃げ切り[18]、99勝目を挙げて100勝に王手をかけたが最後の勝利[18]となった。

2000年1月23日の中山第8競走4歳以上500万下・スマイルスター(16頭中16着)が中央最後での騎乗、2月22日浦和第7競走マルチビクトリー特別・ネイタルスター(9頭中7着)が最後の騎乗となった[19]

100勝まであと1勝という形で、2000年2月29日付で現役を引退[20]

騎手成績

さらに見る 通算成績, 1着 ...
通算成績1着2着3着4着以下出走回数勝率連対率
平地 99 117 123 1398 1737 .056 .133
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脚注

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