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絶対国防圏の要石とされたサイパンを失いレイテ戦に失敗した大本営は、昭和20年(1945年)1月20日に本土(北海道、本州、四国、沖縄を除く九州)の維持を作戦目的とした帝国陸海軍作戦計画大綱を決定、本土における軍の編制を根本的に改めた。
それまでの防衛総司令部を廃し、日本列島を鈴鹿山系を以って東西に二分し、東部を第1総軍が担当、西部を第2総軍が担当、第2総軍は中部軍管区及び西部軍管区の防衛を主任務として、連合国軍上陸が予想される南九州を重点に編成され、連合国軍の沖縄上陸の6日後の4月7日には司令部が広島市(二葉の里[1])の旧騎兵第5連隊本部に置かれた。
連合国軍の主力アメリカ軍は、昭和20年(1945年)8月6日に広島市へ原子爆弾を投下した。これにより第2総軍の総司令部以下全組織は壊滅的な被害を受けた。総軍の中枢部が崩壊し諸部隊も全滅に近い状態となり、命令系統不全となる。このため爆心地から4kmと比較的離れた宇品にあった陸軍船舶司令部所属の暁部隊が救護・救援活動の主力となった。
全壊全焼エリアの第2総軍司令部は、午後2時に独断で広島市に戒厳令を布告した[2]。そして在宇品の陸軍船舶司令官佐伯文郎中将を広島警備担任司令官に任命した。以降、第2総軍は原爆負傷者の救護・救援活動を任務とする。だが、8月15日に日本軍は無条件降伏し救援業務を広島県と広島市に引き継いだ。
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第16方面軍(九州方面担当)
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