第二次世界大戦では航空機が主力となり、活躍の機会はまったくなく終戦と同時に米軍により撤去された。
現在は遺構の大部分が失われてしまったが、一部が残るほか、砲も展示されている。
- 生石砲台群:公園として整備され、砲台跡、棲息掩蔽部が残り、破損した砲身が展示されている。
- 成山砲台群:不明
- 高崎砲台 :不明
- 赤松山保塁:不明
- 伊張山堡塁:不明
- 生石山堡塁:不明
- 友ヶ島砲台群:一部崩落したり、ゴミの不法投棄がなされているが、ハイキングコース(旧要塞内交通路)沿いに見て回ることが可能。第一砲台では観測所の装甲掩蓋、等が原型を保つ。2003年に土木学会選奨土木遺産に選ばれる[7]。
- 虎島堡塁:煉瓦造りの掩蔽棲息部の遺構が残る。戦後、陸軍の財宝騒ぎで盗掘による破壊を受けている。友ヶ島側からの交通路は台風で崩壊している為、陸路での立ち入りは禁止されている。
- 深山砲台群:第二砲台跡は休暇村紀州加太となっており、煉瓦造りの棲息掩蔽部が1箇所残されている。第一、第三(男良谷)砲台は休暇村周辺の散策道(旧要塞内交通路)沿いに比較的良好な状態で保たれている。
- 深山重砲兵連隊跡:休暇村加太遊園地となっている。将校集会所基礎、等が残されている。
- 城ヶ崎探照灯台跡:国民休暇村研修センター城ヶ崎荘となっていたが、閉鎖・取り壊しとなった。
- 加太砲台 :和歌山市立少年自然の家となっている。第一砲座、右翼観測所跡が現存、第四砲座は半分埋められ構内道路が設置されているが檣壁上部が一部露出している。半地下式の掩蔽棲息部は第一~二砲座間、第三~四砲座間のものが現存、施設の倉庫として使用されている。兵舎や倉庫群は現在も民家として使用されている。加太・田倉崎砲台は「少年自然の家」事務所へ当日簡単な申請をすれば見学可能。
- 田倉崎砲台:少年自然の家・家族の広場(アスレチック公園)となっている。一部公園遊具が設置され、砲床も植込みや池にされ、棲息掩蔽部の入り口は塞がれているが、檣壁など砲座の全体感は比較的残されている。右翼観測所は公園付属の展望台「見晴らしの丘」、左翼観測所は「小鳥の森」内に遺構が残る。
- 大川山堡塁:地表に露出しているが、樹木の繁茂が激しい。交通路へ続く峠越え道路は一般車両進入禁止(歩行者・自転車は進入可)。道から交通路への入り口も樹木が繁茂し判別が難しい。
- 高森山堡塁:計画案のみ。要塞地帯標が散見される。高森山・佐瀬川・西ノ庄各保塁は深山重砲兵連隊跡北側~和歌山西高校に至る車道(旧堡塁交通路)に沿って配置されている。
- 佐瀬川堡塁:低堡塁と高堡塁の内、低堡塁は炭焼き窯となっている。掩蔽部は陶芸教室の倉庫となっている。高堡塁の一部は耕作地の物置として利用されている。
- 西ノ庄堡塁:1983年3月1日大蔵省国有財産近畿地方審議会にて堡塁交通路とともに和歌山市への売払いが決定。1984年4月より和歌山県立和歌山西高等学校が開校。
- 深山火薬本庫: 煉瓦の瓦礫、建造物の基盤、井戸跡、小型の橋梁が2基残るのみ。状態は非常に悪い。
- 演習砲台: 砲座跡には民家が建っている。観測所、用途不明の建造物が残る。加太団地付近に存在。