竹浦駅
北海道白老郡白老町にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
北海道白老郡白老町にある北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
竹浦駅(たけうらえき)は、北海道白老郡白老町字竹浦[2][3]にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線の駅である。駅番号はH26。電報略号はタケ。事務管理コードは▲130319[3]。
同地はもともとアイヌ語で「シキウ[9]」あるいは「シキオイ[4]」(いずれも「鬼カヤの群生する(ところ)」)と呼ばれ[10]、1880年(明治13年)には「敷生村」が設置され[11]、当初は駅名もこれを採用した。
その後、敷生村は合併により白老村(白老町の前身)となり、敷生の名称は字名として用いられていたが、1939年(昭和14年)2月の字名改正で「ごろが悪い[4]」ため「竹浦」に改称され、1942年(昭和17年)4月1日に駅名もこの名称となった[4]。
なお「竹浦」の名称についてはいくつか由来が紹介されている。
混合ホーム2面3線の地上駅。配線の関係から下り列車のみ待避可能である。
無人駅である。2007年5月31日までは簡易委託駅(窓口営業時間6時00分 - 16時00分)であった。
上り線と下り線のホームを結ぶ跨線橋は、国鉄の赤字削減案に対する白老町の要望から社台駅と共に昭和55年に新設設置され、駅前・駅裏を結ぶ陸橋と併用する構造となった[12]。
駅舎は上り線ホーム側にある。かつては、駅前に日本通運の営業所があり夜行の貨物も扱っていたため、宿直室も備えた比較的大きなものであったが、火災で一部損傷し現在の小さなものに変わった。また、下り線ホーム上に木造の小さな待合室があったが、現在は撤去されている。
1日の平均乗降人員は以下の通りである[13]。
乗降人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
2011 | 122 |
2012 | 104 |
2013 | 86 |
2014 | 86 |
敷生鉱山は、第一次世界大戦の軍事的な要求から室蘭の北海道製鐵輪西製鉄所(現在の日本製鉄室蘭製鉄所)へ鉄鉱石を運搬するため、1918年(大正7年)に国鉄によって当駅から飛生地区まで(一部砂利線と兼用)専用線が敷かれて蒸気機関車が乗り入れた。埋蔵量が少なかったことと、戦争終結のために、結果的にたった3年でこの専用線の公的な運用は廃止されたが、その後1921年(大正10年)から民間に10年間程貸し出され、トロッコ貨車(動力は機関車ではなく農耕馬)により、また勾配がきつかったためにインクラインを設けて運用されていた。その後レールが撤去されて砂利線が残るが、こちらも1944年(昭和19年)には砂利が少なくなったことで廃止となり、1950年(昭和25年)頃には当駅までの全てのレールが撤去された。駅裏が広い空き地になっているのはかつてトロッコから鉄道貨車への貨物積み替え用の施設があった名残である。施設撤去後は昭和40年代頃まで火山礫(有珠山、樽前山由来)を使ったコンクリートブロック製造工場があったが、現在は空き地のまま。終着の停留所(旧飛生小学校の裏手)のあったあたりは現在でも「終点」と呼ばれている。昭和40年代から50年代にかけて跡地の道路が舗装されるまではレールの残骸の一部が道ばたにところどころ放置されていた。日鐵鉱業所有となった敷生鉱山は、その後1952年(昭和27年)から1957年(同32年)の間再開したが、運搬はトラックで行われた。
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