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石井 良助(いしい りょうすけ、1907年(明治40年)12月14日[2] - 1993年(平成5年)1月12日[3])は、日本の法制史学者。専門は日本法制史。学位は、法学博士(東京帝国大学・1937年)。東京大学名誉教授。勲二等旭日重光章、文化功労者、文化勲章。贈・従三位 勲一等瑞宝章(没時陞叙)。
東京府(現在の東京都大田区)生まれ。東京府立第一中学校[4]、第一高等学校[5]、東京帝国大学法学部法律学科卒業[6]後の1930年(昭和5年)に東大助手に採用される。2年後に助教授[7]。1937年(昭和12年)には 論文「中世武家不動産訴訟法の研究」で東京帝国大学から法学博士を受ける[8][9]。
1942年(昭和17年)に教授就任[10]。1968年(昭和43年)に退官後は名誉教授となり、新潟大学人文学部教授[11]、1970年(昭和45年)専修大学法学部教授、1979年(昭和54年)創価大学法学部教授として教鞭を執る。
『徳川禁令考』『藩法集』等の史料収集・編集・刊行を初め、近世法制史研究に多くの業績を残した。 また、『天皇-天皇統治の史的解明』(1950年)において、天皇不親政こそが歴史上の天皇統治の本来の姿であることを明らかにした。その改定版である『天皇-天皇の生成および不親政の伝統』(1982年)においては、不親政と並んで天皇の「刀に血ぬらざる」伝統を重視し、北九州の奴国の王が、3〜4世紀の境目頃、東遷して大和に到り、それまで倭国を統合していた邪馬台国の台与に政権移譲を迫り、平和裏に政権を譲渡され、初代天皇崇神として皇統を開いたとする。[12]
1970年(昭和45年)紫綬褒章、1977年(昭和52年)日本学士院会員、1978年(昭和53年)勲二等旭日重光章、1984年(昭和59年)文化功労者、1990年(平成2年)文化勲章。主著に『日本法制史概説』等。満85歳没。
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