矢田次夫
日本の海軍軍人、海上自衛官 ウィキペディアから
矢田 次夫(やだ つぎお 、1923年〈大正12年〉5月1日 - 2012年〈平成24年〉4月24日)は、日本の海軍軍人及び海上自衛官。海兵72期。第13代海上幕僚長、第13代統合幕僚会議議長。
略歴
鳥取県倉吉市出身。旧制鳥取県立倉吉中学校を経て海軍兵学校を卒業。太平洋戦争中は主として潜水艦に乗組み、終戦は太平洋上で当時世界最大の潜水艦「伊四〇一」で迎えた[1]。横須賀に帰港した途端、他の姉妹艦2隻の乗員とともに全員捕虜となった。伊四百型潜水艦を接収するための整備補修を命じられ、終戦後にもかかわらず米軍の監視の下、約40日間収容所生活を送った[1]。その後、復員局に召集され復員輸送に従事し[1]、公職追放となる。
海上自衛隊に入隊後は海幕防衛部長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などの要職を経て第13代海上幕僚長に就任。その後、第13代統合幕僚会議議長を務めた。
年譜
- 1940年(昭和15年)
- 12月1日:海軍兵学校入校
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)
- 1952年(昭和27年)7月:海上警備隊入隊(1等海上警備士)
- 1966年(昭和41年)7月1日:1等海佐に昇任
- 1968年(昭和43年)1月16日:海上幕僚監部防衛部防衛課編成班長
- 1970年(昭和45年)2月16日:第1駆潜隊司令
- 1971年(昭和46年)4月1日:海上幕僚監部防衛部防衛課長
- 1973年(昭和48年)7月1日:海将補に昇任、第4護衛隊群司令
- 1974年(昭和49年)7月1日:統合幕僚会議事務局第5幕僚室長
- 1976年(昭和51年)
- 3月16日:海上幕僚監部防衛部長
- 7月1日:海将に昇任
- 1977年(昭和52年)7月1日:第16代 佐世保地方総監に就任
- 1979年(昭和54年)2月1日:第20代 自衛艦隊司令官に就任
- 1980年(昭和55年)2月15日:第13代 海上幕僚長に就任
- 1981年(昭和56年)2月16日:第13代 統合幕僚会議議長に就任
- 1983年(昭和58年)3月16日:退官。退官後は三菱重工業顧問等を務める。
- 1993年(平成 5年)11月3日:勲二等瑞宝章受章[18]
- 2012年(平成24年)4月24日:虚血性心不全のため神奈川県海老名市の自宅で死去(享年88)[19]、叙・正四位[20]
栄典
脚注
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