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清水 重道(しみず しげみち、1909年〈明治42年〉12月14日[1] - 1958年〈昭和33年〉4月23日[1])は、日本の国文学者・詩人・作家・歌人。
東京生まれ。東京高等学校を経て、1932年(昭和7年)東京帝國大學文學部國文學科卒業。“非常に秀才だった”という[2]。
1935年(昭和10年)『沙羅』を作詞。1936年(昭和11年)信時潔が独唱曲として歌曲集『沙羅』を発表。(発表時、清水27歳、信時49歳)
大學卒業後、岡崎師範学校、東京高等学校教授をへて、1943年(昭和18年) 東京音楽學校教授・文部省嘱託 となる。(昭和20年まで)
1945年(昭和20年)北海道第三師範学校(学芸大学)・旭川分校着任。
1948年(昭和23年)群馬師範学校教授(群馬大学)へ転出
1943年(昭和18年)9月『木下保第10回独唱会・信時潔歌曲の夕』において全曲初演(水谷達夫ピアノ伴奏)。木下・水谷によりコロンビヤレコードへの録音も行われ、レコードが1943年度(昭和18年度)の文部大臣賞を受賞した。
清水は北海道師範学校在任中、金田一京助の膨大な研究成果をもとにアイヌ研究、アイヌに関する著書が多数ある。また北海道の小中学校の校歌を数多く作詞している。戦前ら戦後にかけて、主に国文学についてきわめて旺盛な執筆・論説活動を行っていたことが確認できる。また、北海道以外の校歌の作詞も手がけている。特に東京音楽学校在任中は全国から校歌の作成依頼が多かったと清水が記している。
1958年(昭和33年)4月23日、東京歯科大学教授在任中、東京にて死去[1]。48歳没。
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