東京生まれ。東京高等学校を経て、1932年(昭和7年)東京帝國大學文學部國文學科卒業。“非常に秀才だった”という[2]。
1935年(昭和10年)『沙羅』を作詞。1936年(昭和11年)信時潔が独唱曲として歌曲集『沙羅』を発表。(発表時、清水27歳、信時49歳)
大學卒業後、岡崎師範学校、東京高等学校教授をへて、1943年(昭和18年) 東京音楽學校教授・文部省嘱託 となる。(昭和20年まで)
1945年(昭和20年)北海道第三師範学校(学芸大学)・旭川分校着任。
1948年(昭和23年)群馬師範学校教授(群馬大学)へ転出
1943年(昭和18年)9月『木下保第10回独唱会・信時潔歌曲の夕』において全曲初演(水谷達夫ピアノ伴奏)。木下・水谷によりコロンビヤレコードへの録音も行われ、レコードが1943年度(昭和18年度)の文部大臣賞を受賞した。
清水は北海道師範学校在任中、金田一京助の膨大な研究成果をもとにアイヌ研究、アイヌに関する著書が多数ある。また北海道の小中学校の校歌を数多く作詞している。戦前ら戦後にかけて、主に国文学についてきわめて旺盛な執筆・論説活動を行っていたことが確認できる。また、北海道以外の校歌の作詞も手がけている。特に東京音楽学校在任中は全国から校歌の作成依頼が多かったと清水が記している。
1958年(昭和33年)4月23日、東京歯科大学教授在任中、東京にて死去[1]。48歳没。
- つれづれぐさ 卜部兼好 [著]、清水重道 訳 1941年(昭和16年)柴山教育出版社[3]
- 今昔物語 清水重道 著、清水有声 絵 1943年(昭和18年)至文堂[3]
- たまがつま 本居宣長 [著]、清水重道 著 1943年(昭和18年)柴山教育出版社[3]
- よしのしふゐ 清水重道 著、望月春江 絵 1944年(昭和19年)柴山教育出版社[3]
- 日本文学の歴史 清水重道 著 1953年(昭和28年)青也書店[3]
- アイヌの神話と伝説 少年読物文庫 清水重道 著、畠山三代喜 絵 1955年(昭和30年)同和春秋社[3][4]
- 今昔物語 清水重道 著 1956年(昭和31年)至文堂[3]
- 更級日記 福音館古典全釈文庫 清水重道 著 1956年(昭和31年)福音館書店[5]
- 朝の笛第1巻第9号 日本児童文芸家協会編集 びんの小鬼・1(原作・スチブンスン 岸なみ 絵・松井末雄)まよなかのきつね(花岡大學 絵・菊地長市)赤いリヤカー(村松千代 絵・岩崎ちひろ)カッパとこどもたち(絵と文 久米宏一)グラビア・地下鉄 川のある村(内木村治 絵・安泰)アイヌ民話・おにばな(清水重道 絵・輪島清隆)1956年(昭和31年)10月 朝の笛社[6]
- アイヌの神話と伝説 少年読物文庫 清水重道 著 1961年(昭和36年)同和春秋社[7]
- 赤い鳥6巻5号 『秋の野』清水良雄・『支那手品』坪田譲治・『煙草』清水重道・『ぬり絵』土居その子 他 1933年(昭和8年)赤い鳥社[8]
- 赤い鳥7巻2号 表紙清水良雄 挿絵-深澤省三・前島とも子 童話-鈴木三重吉・森三郎・坪田譲治・清水重道・小林七葉他 1934年(昭和9年)2月 赤い鳥社[9]
- 山.1(4) (梓書房、1934-04)うづき-(旋頭歌 )/淸水重道[10]
- 山.1(7) (梓書房、1934-07)榛原-(長歌 )/淸水重道[10]
- 朝鮮公論.22(8)(257) 8月號(朝鮮公論社、1934-08)登山の全一性/淸水重道[10]
- 山.2(4)(梓書房、1935-04)煙-(詩)/淸水重道[10]
- 山.2(5)(梓書房、1935-05)運材圖會/淸水重道[10]
- ケルン.5(6月号)(25)(ケルン編輯室、1935-06)山の歌(ヘンリー・ヘーク)/淸水重道[10]
- 山.3(4)(梓書房、1936-04)小さき祭壇-(旋頭歌)/淸水重道[10]
- 國文學:解釈と鑑賞.2(3)(10) 至文堂 編(ぎょうせい、1937-03)熊野落ちの御道筋/淸水重道[10]
- 朝鮮公論.25(4)(289) 4月號(朝鮮公論社、1937-04)春の丘/淸水重道[10]
- 國文學:解釈と鑑賞.2(7)(14) 至文堂 編(ぎょうせい、1937-07)論說 『和歌に於ける制禁詞』の解說/淸水重道[10]
- 國文學:解釈と鑑賞.2(8)(15) 至文堂 編(ぎょうせい、1937-08)論說 和歌に於ける『制禁詞』の解說(下)/淸水重道[10]
- 國文學:解釈と鑑賞.3(3)(22) 至文堂 編(ぎょうせい、1938-03)論說 歌はれる日本語/淸水重道[10]
- 國語と國文學.15(4)(168) 東京大学國語國文學会 編(明治書院 、1938-04)書評 武田祐吉氏著『國文學硏究歌道篇』/淸水重道[10]
- 國文學:解釈と鑑賞.4(7)(38) 至文堂 編(ぎょうせい、1939-07)日本語の諸相 軍隊用語について/淸水重道[10]
- 國語と國文學.18(4)(204) 東京大學國語國文學会 編(明治書院、1941-04)顯輔の歌論と詞花集/淸水重道[10]
- 國文學:解釈と鑑賞.6(5)(60) 至文堂 編(ぎょうせい、1941-05)特輯・日本文學の表現美 定家の心/淸水重道[10]
- 國文學:解釈と鑑賞.7(4)(71) 至文堂 編(ぎょうせい、1942-04)特輯・少國民文學の檢討 童話と國文學/淸水重道[10]
- 國文學:解釈と鑑賞.7(6)(73) 至文堂 編(ぎょうせい、1942-06)大東亞戰爭と機會に國文學は如何あるべきか/玉井幸助、齋藤茂吉、小寺融吉、若月保治、柳田泉、尾山篤三郞、新村出、森本治吉、西下經一、佐藤一英、淸水重道、下村宏、能勢朝次、石村貞吉、松村博司、大西貞治、室積徂春、長谷川かな、山口誓子、各務虎雄、岩田九郞、松尾聰、髙須芳次郞、土井重義、河竹繁俊、杉浦翠子、五十嵐力、吉田澄夫、片寄正義、飯島正、阪口玄章、百田宗治、古谷綱武、宮田和一郞、石山徹郞、兒山敬一、石田吉貞、飯塚友一郞、窪田敏夫、藤森成吉、山崎麓、秋山謙藏、井本農一、重友毅、金子元臣、宮崎晴美、神崎淸、高木武、岡山巖、田中重太郞、湯山淸、後藤興善、吉川孝一[10]
- 財政.7(12) (大蔵財務協会 、1942-12)新嘗祭/淸水重道[10]
- 國文學:解釈と鑑賞.8(6)(85) 至文堂 編(ぎょうせい、1943-06)後鳥羽院を偲び奉る/淸水重道[10]
- 國文學:解釈と鑑賞.9(3)(94) 至文堂 編(ぎょうせい、1944-03)大東亞建設と國文學/淸水重道[10]
- 國語國文學教育の方向 久松潜一 編(健文社、1949)中學校に於ける古典教材・群馬大學教授 清水重道[10]
- 国語研究.1(3) (国語研究編集部(群馬大学学芸学部国文学研究室内)、1952-06)批判ということの一面/清水重道[10]
- 小説公園.4(2)、2月號(六興出版社 、1953-02-01)むさしの(詩)/淸水重道[10]
- 国文学:解釈と鑑賞.18(8)(207) 至文堂 編(ぎょうせい、1953-08)今昔物語と宇治拾遺物語/清水重道[10]
- 実力本位枕草子 詳解(實力本位国漢詳解叢書)/清水重道 著(山海堂 、1953)[10]
- 解釈.1(3) (解釈学会、1955-07)誦ず/清水重道[10]
- 教育音楽.2(7) 日本教育音楽協会 編(音楽之友社 、1958-07)朝は明けたり(歌劇『オルフェオ 』終末合唱)/淸水重道、グルック[10]
- 教育音楽.4(5) 日本教育音楽協会 編(音楽之友社、1960-05)春の風/清水重道、モーツアルト[10]
『男声合唱組曲『沙羅』』音楽之友社、1982年9月30日。
木下保指導による混声合唱組曲『沙羅』CD フォンテック ライナーノーツ 制作ノート 荒巻亀太郎
“清水 重道”. WebcatPlus. 2020年4月3日閲覧。
“[雑誌赤い鳥 7巻2号]”. 日本の古本屋. 2020年4月3日閲覧。
“清水重道”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2020年4月3日閲覧。
“校章・校歌”. 秋田県立湯沢高等学校. 2020年4月3日閲覧。
原典では『滝川江陵中学校校歌』『永山中学校校歌』『旭川西高校校歌』が含まれていたが、別サイトで作曲者が異なることが判明したため除いて別記した。
木下保の藝術-信時潔、團伊玖磨歌曲集- CD ライナーノーツ「昭和を生きた藝術家・木下保」戸ノ下達也
“校歌”. 旭川市立永山中学校. 2020年4月3日閲覧。
“沿革”. 士別市立士別中学校. 2020年4月3日閲覧。
“校歌”. 滝川市立江陵中学校. 2020年4月3日閲覧。
“校歌”. 埼玉県立浦和西高等学校. 2020年4月3日閲覧。
“校歌”. 北海道立旭川西高等学校. 2020年4月3日閲覧。
“母校の沿革”. 東京都立西高等学校同窓会. 2020年4月3日閲覧。
“校歌・学友歌”. 東京都立西高等学校同窓会. 2024年5月6日閲覧。
“沿革”. 秩父市立南小学校. 2020年4月3日閲覧。
“校歌”. 秩父市立南小学校. 2020年4月3日閲覧。
“学校紹介”. 東京都中野区立塔山小学校. 2020年4月3日閲覧。