梟の城
日本の小説作品、テレビドラマ番組 ウィキペディアから
日本の小説作品、テレビドラマ番組 ウィキペディアから
『梟の城』(ふくろうのしろ)は、司馬遼太郎の長編小説。1958年(昭和33年)4月から翌1959年(昭和34年)2月まで宗教専門紙「中外日報」に連載し講談社で刊行された。1960年(昭和35年)前半期の直木賞(第42回)を受賞している。
連載時の題名は『梟のいる都城』。京の都で暗躍し闇に生きる忍者を、夜行性で単独生活をするフクロウに喩えている。こちらの方が作品内容の意味が通るとも指摘があるが、語呂が悪かったのか、単行本刊行に際し「梟の城」に改題されている。
それまで新聞記者であった司馬が作家となる契機となった作品である。司馬が初期に多く手がけた忍者小説の1つで、独自の歴史解釈を交えた後年の歴史小説群とはかなり趣が異なっている。組織のなかで生き、豊臣秀吉の暗殺を狙う葛籠重蔵と、伊賀を捨て武士として立身出世しようとする風間五平の2人の生き方を描く。徳川家康や服部半蔵、石川五右衛門など、実在人物も巧みに配置されている。忍者同士のアクションシーンの描写が評価され、1963年(昭和38年)、1999年(平成11年)の2度にわたり映画化された。1960年(昭和35年)にテレビドラマ化されている。また、1973年(昭和48年)に司馬作品の『国盗り物語』が大河ドラマ化された際には、原作の一部となった。1963年(昭和38年)には久松文雄の作画で東邦図書出版社から漫画版が出版されている。
織田信長による伊賀侵攻である天正伊賀の乱から10年後、伊賀忍者・葛籠重蔵(つづらじゅうぞう)は隠遁生活を送っていた。仇としていた信長はすでにこの世の人ではなくなり、生きる希望を失っていたが、かつての師匠・下柘植次郎左衛門から、信長の後を継ぐ形で天下人になった太閤秀吉を暗殺するという依頼を受ける。忍者としての生涯を華々しく終えることのみを考えていた重蔵は依頼を引き受け、秀吉暗殺に乗り出す。
堺の豪商・今井宗久のもとへ向かう途中、小萩という、宗久の養女が現れ、ふたりは通じ、密かに愛し合うようになる。だが、彼女は重蔵を見張る役目を持ったくノ一だった。重蔵は木さる、黒阿弥らとともに、伊賀を裏切った風間五平らと対決し、秀吉の居城伏見城へ潜入する。
1963年(昭和38年)3月24日に封切り公開。東映製作・配給。カラー、シネマスコープ、91分。
1999年(平成11年)10月30日公開。配給は東宝。篠田監督の時代劇映画としては1995年(平成7年)の『写楽』以来。篠田正浩は1996年(平成8年)に死去した原作者の司馬遼太郎と長い親交があり、1964年(昭和39年)には司馬作品の『幕末』を映画化している。SFXを使用したミニチュアと、CGと実写映像のデジタル合成が特徴的で、堺の町並みや聚楽第など、安土桃山時代を再現した。同様の手法は2003年(平成15年)公開の『スパイ・ゾルゲ』でも用いられた。松竹京都映画撮影所のほか、ロケ地には広島みろくの里写楽オープンセット・彦根城・比叡山延暦寺・錦帯橋で行われた。
出典:東宝WEB SITE・資料室(梟の城)[2]
1960年(昭和35年)4月4日から4月18日まで、フジテレビ系列の『三菱ダイヤモンド劇場』(月曜20:30 - 21:00。新三菱重工(現:三菱自動車工業)一社提供)の「直木賞シリーズ」の枠で放送。
キャスト
フジテレビ系 三菱ダイヤモンド劇場 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
団十郎切腹事件
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梟の城
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強情いちご
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