東京丸・京平
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東 京丸・京平(あずま きょうまる・きょうへい)は、漫才協会・落語芸術協会所属の漫才コンビ。1972年結成。東京二・京太門下。出囃子は「リパブリック讃歌」(「お玉じゃくしは蛙の子」)。
メンバー
芸風・来歴
- 当初はツービートや星セント・ルイスと並び、スピーディーな漫才で売り出しており、客をほめたあとにはしごを外す「ヨイショ漫才」を得意としていた。過労がたたり、京丸がうつ病を発症する。引退も考えるが、芸人を続けられることを京平が確信。療養を経て2002年に復帰後、京丸の持ち味だったスピード感はなりを潜め、非常にゆっくりとした話し方・動き方に変わったが、それが持ち味となっている[3]。ナイツに「浅草の面白い師匠」などとネタにされ、注目を集めることとなった。晩年まで浅草東洋館を中心に、テレビ・ラジオ出演もこなしていた。
- (先述の経緯によって)独特な話し方の京丸と、それを意に介さぬ京平が繰り広げるネタ(「もしも○○が××だったら……」と仮定を並べたネタなど)のさなか、突如として「チャチャンチャチャンチャンチャン」というブリッジ[4]をはさむ、間のおかしさが売りとなっている。
- 京丸は京平のことを本名の「毎田さん」と呼ぶことがある。
- おぼん・こぼんを始めとした他のベテラン漫才コンビが、あくまでも相方とは「ビジネスパートナー」の関係に徹し、プライベートではまず行動を共にしないのに対し、京丸・京平は非常にコンビ仲が良いことで知られる。ナイツの塙宣之曰く「漫才協会で一番仲良し」「一緒の電車で帰る」「ずっと二人でキャッキャしている」と言われるほどの仲の良さで、水曜日のダウンタウンで解散ドッキリが行われた際も仕掛けられた京丸が泣きながら解散を思い止まるよう京平を説得したこともあった。
略歴
出演番組
テレビ番組
ラジオ番組
レコード
- ヨイショ音頭/同カラオケ(ファニーキャットレコード)
- 第一回ヨイショ歌合戦 紅組サイド:東京丸・京平 /同曲 白組サイド:ブービーオービー (センチュリーレコード)
- THIS IS 東京マンザイ!!!(ミソラレコード/牡牛座)
脚注
参考文献
外部リンク
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