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2005年に日本の広島県広島市で発生した殺人事件 ウィキペディアから
広島小1女児殺害事件(ひろしましょういちじょじさつがいじけん)とは、2005年(平成17年)11月22日に広島県広島市安芸区矢野西で帰宅途中の女子児童がペルー人の男によって強制わいせつのうえ、殺害された事件。
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11月22日午後、下校途中の女子児童A(当時7歳)が学校を出てから行方不明となり、同日17時頃に空き地に放置されていた段ボール箱の中から遺体となって発見された[1]。
この日は来春に入学する児童の就学前検診のために午前で授業が終わり、12時30分頃には下校だった。普段は一緒に下校している友達が早退していたため、女児は一人で下校していた[1]
死因は絞殺による窒息死で、推定死亡時刻は13時から14時[2][3]。登下校時に身につけていたランドセルが失くなっていたが、遺棄現場から北東約300メートルの植え込みで紙製ごみ袋に入れた状態で見つかった[4]。また、ランドセルにつけていた防犯ブザーも奪われていた[5]。
広島県海田警察署の捜査により、遺体が入れられていた段ボール箱から東広島市のホームセンターで売られていたガスコンロを購入した顧客が割り出された。これを受けて29日夜、事件現場の近所に住んでいた自称・ペルー人の男X(当時30歳と自称していたが、後に33歳であることが判明[6])が指名手配され[7]、この男は翌30日に三重県鈴鹿市内の親族宅で逮捕された[8]。
このXはペルー国内でも未成年者に対する3件以上の婦女暴行をしたとして指名手配されていたため[9]、本名を偽って就労ビザを不正取得したうえで2004年4月に日本に渡航していたことが判明した[10]。Xは当初は三重県に在住し、2005年夏頃に広島県に引っ越していた。母国には被害者Aと同じくらいの年齢の子供を残してきていた。
当初、Aの実名は報道されていたが、性的暴行を受けた事が判明したため、各種報道機関は遺族の感情を考慮するという名目の下、実名報道を取りやめた。しかし、その後、Aの遺族が氏名報道を行うこと、性犯罪が行われた事実を報道することを各種報道機関に要請したため、実名報道及び性犯罪に関する報道も復活する形となった[11]。
最高裁判所判例 | |
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事件名 | 強制わいせつ致死、殺人、死体遺棄、出入国管理及び難民認定法違反被告事件 |
事件番号 | 平成21年(あ)第191号 |
2009年(平成21年)10月16日 | |
判例集 | 刑集第63巻8号937頁 |
裁判要旨 | |
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第二小法廷 | |
裁判長 | 古田佑紀 |
陪席裁判官 | 今井功、中川了滋、竹内行夫 |
意見 | |
多数意見 | 全員一致 |
意見 | なし |
反対意見 | なし |
参照法条 | |
刑事訴訟法294条、刑事訴訟法379条、刑事訴訟規則208条 |
Xは取り調べに対し「悪魔が乗り移った」などと主張。広島地裁における第一審では検察より死刑を求刑された。
初公判から50日目の2006年7月4日に求刑・死刑に対し無期懲役の判決が言い渡された[12][13]。判決では猥褻行為を生前に行ったこと、「悪魔」は罪を逃れるための言い訳であり「責任能力はある」と認められた[13]。一連の犯行については「動機・経緯は卑劣かつ冷酷で、何ら酌むべき点はない」「犯行態様は残忍」「被害児童の尊い人命が奪われ、遺族の悲しみや社会に与えた影響も甚大で、結果は重大」「罪質・動機・犯行態様・結果の重大性・遺族の処罰感情・社会的影響・犯行後の行動からは永山判決が示す死刑の適用基準を満たしていると考えてもあながち不当とは言えない」などとXを厳しく非難した[13]。一方で、「殺害人数が1人である」「犯行に計画性がない可能性がある」「被告人が過去ペルー国内において犯した犯罪について指名手配中であったが無罪推定の原則上前科が証明できない」などとも述べた[13]。
2008年12月9日、控訴審の広島高裁は、被告人の検察官面前調書において、犯行場所についての供述を含んだ取り調べがされていなかったことは違法であるとして、第一審判決を破棄し審理を広島地方裁判所へ差し戻した。スピード裁判で十分な審理が行われなかったことに触れ、前科について破棄した事について「賛同することはできない」とした[14]。この判決に対し、検察側は「適法な上告理由がなかった」として2008年12月22日までに上告をしない方針を決定した[15]。一方、X側は「控訴審判決のすべてが不服だ」とし、2008年12月12日、最高裁へ上告した[16]。
2009年10月16日、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は控訴審判決を破棄、審理を広島高裁に差し戻した[17]。その理由は、検察が第一審で取調べを請求したXの検察官面前調書の立証趣旨はXの弁解状況、殺意の存在及び被告人の責任能力とされ、犯行場所については立証趣旨とされていなかった[17]。そのような中で、第一審裁判所が被告人質問の内容から犯行場所に関する供述内容が記載されていると推測し、弁護人に具体的な任意性を争う点を釈明させ、検察に任意性立証の機会を与える義務まではないとして否定した[17]。さらに、検察は控訴審においてこの点について特に解明する必要がないと態度をとっていた。したがって、第一審において釈明義務を認め、検察に対し任意性立証の機会を与えなかったことが審理不尽として違法であるとし、当事者の主張もないのに、前記審理不尽を認めた判決は違法であるとした。
この事件は、裁判員裁判のモデルケースとされ、公判前整理手続が行われ、従来に比べ短い期間で判決が下され、公判における証拠調べのあり方についても問われた[18][19]。最高裁は、証拠の採否について第一次的にゆだねられている第一審裁判所の合理的裁量を尊重し、当事者からの主張もないのに、たやすく控訴審がその判断を覆すのは妥当でないと判断したと思われる。
差し戻し控訴審が行われた広島高裁では、2010年7月28日、判決公判が開かれ、無期懲役を言い渡した一審判決を支持し、検察側・弁護側の各控訴を棄却した[20]。判決では、Xが首を絞めて窒息死させた犯行態様から「確定的な殺意があったと十分に推認できる」と認定し、弁護側の強制わいせつ致死について無罪を求める主張を退けた[20]。また、わいせつ目的や犯行当時の責任能力も認定して退けた[20]。 一方、差し戻し前の控訴審で検察側が提出し、証拠採用されたXのペルーでの性犯罪歴に関する資料については、「日本の前歴と同じ評価はできない」とし、量刑判断には用いなかった[20]。 その上で量刑については、死刑の適否について「犯行の計画性は認められず、証拠上、考慮すべき前科は存在しない」と判断。「性犯罪の有無は重要な意味をもつが、総合的に量刑を判断し、無期懲役とした一審判決は不当とはいえない」と結論付けた[20]。
この判決に対し、検察側は遺族が上告を要請していた点も考慮して最高裁への上告を検討したものの「判決内容を検討したが、適切な上告理由を見いだすことができなかった」として上告を断念した[21]。またX側も「まっとうな判断」と差し戻し審の判決を評価し、上告しなかったため、上告期限の2010年8月12日0時をもって、Xの無期懲役の判決が確定した[21]。
本事件の被害者Aは1年生の1学期まで千葉県船橋市の小学校に通っていたが、自衛隊員である父親の転勤により2005年夏に転居後、2学期から事件が起きた広島県広島市安芸区の矢野西小学校[22]に通っていた。
Xが逮捕された5日後である2005年12月5日に本事件と、同年12月に発生した栃木小1女児殺害事件による子どもの安全対策を問われた事に触れ、和歌山市市長の大橋建一が「広島もかなり郊外ですし、栃木の今市もイマイチのまちであります。そういうところで事件が相次いで起こる。我々のまちも全くひとごとではない」と発言した。大橋は、同年12月6日の本会議で発言を取り消した上「不用意な、配慮を欠いた発言だった」として謝罪した[23]。
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