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平成名物TV(へいせいめいぶつテレビ)は、1989年2月から1991年9月にTBS他で放送されていた土曜深夜枠(日曜未明枠)のオムニバス深夜番組枠の俗称。日本で初めて「平成」をタイトルに入れた番組と言われている。
1988年4月から10ヶ月放送された『SUPER WEEKEND LIVE 土曜深夜族』をリニューアルする形で放送開始。この前身番組の第1部司会だった三宅裕司はそのまま「いかすバンド天国」の司会者として続投、中盤放送の「オフィスヒット」と後半部の「トンガリ編」もそのまま番組スタイルを継承してスタートした。
ほぼ全編にわたって日比谷シャンテ地下1階のスタジオからの放送だった。第1部は番組終了時まで生放送、第3部は1990年3月まで生放送だった。第2部は第3部への準備のため、事前収録だった。
1991年4月13日から、旧第2部(番組中盤)が終了し、以後第1部と第2部のみとなった。
24:30(→24:40)〜27:00
1990年10月6日からの1クールは「イカ天」に一本化された。
1991年1月12日〜同年9月28日
27:00〜27:30
1989年2月11日〜1990年3月31日
木村降板後は、藍田ほか2名の女性が司会を務める。また、パネラーとして後にT-BACKSの佐藤恵子なども出演していた。
この時間帯はVTRによる放送。前半と後半で同じスタジオを使っての生放送のため、この時間を使ってセットチェンジ及び観客の入れ替えをしていた[1]。ただし、後半の生放送は1990年3月をもって終了している。
1989年2月11日〜1990年3月31日
前身番組「土曜深夜族」から引き続いて放送。
【これ以降、後半部(3部)は事前収録となる】
1990年4月28日〜1991年4月6日
各団体の若手落語家がチームを組み、大喜利やコントで得点を競う。メンバー全員でのリレー落語も演じられた。
ゲスト審査員として出演落語家の師匠(立川談志・春風亭柳昇)や人気落語家・芸能人も出演している。
1991年4月13日〜1992年3月28日(平成名物TV枠としては1991年9月28日まで)
【すべてネット】
【1部のみネット】(放送期間の注釈については、後継枠となる星期六我家的電視も含む)
TBS系列であっても青森テレビ、IBC岩手放送、新潟放送、北陸放送、テレビ山梨、毎日放送(『板東英二のわがままミッドナイト』の放送に伴う)、山陰放送、テレビ山口、大分放送、南日本放送、琉球放送では放映されなかった。あいテレビは当番組放送当時、未開局だった。
また「えび天」中盤から遅れネットとなっていたCBCテレビでは最終回が放映されず、ひとつ前の放送回終盤で三宅裕司が、次回が最終回となる旨のコメントをしている場面に「この番組は今回をもちまして終了させていただきます」というお断りテロップが表示されて終了という、地元在住の視聴者にとっては理不尽極まりない終わり方をした。
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