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『小沢昭一の小沢昭一的こころ』(おざわしょういちのおざわしょういちてきこころ)は、TBSラジオおよびTBSプロネックス(2012年9月まではテレコム・サウンズ、現在:TBSグロウディア)の制作、TBSラジオをキーステーションに、JRN加盟各局で平日の異なる時間に日本国内で39年間にわたり放送されていた、ラジオトーク番組(モノローグ番組)であった。
お願い:スポンサーの過剰な記述(単なる列挙など)は行わないこと。 (Wikipedia:ウィキプロジェクト 放送番組#各見出しについてを参照) |
小沢昭一の小沢昭一的こころ | |
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ジャンル | 漫談 |
放送方式 | 録音 |
放送期間 | 1973年1月8日 - 2012年12月28日 |
放送時間 | 平日 12:20 - 12:30 |
放送回数 | 10,410回 |
放送局 | 日本 TBSラジオ |
制作 |
TBSラジオ TBSプロネックス |
ネットワーク | 日本 JRN |
パーソナリティ | 小沢昭一 |
テーマ曲 | 山本直純『明日の心だ』(インストゥメンタル) |
プロデューサー | 坂本正勝 |
特記事項: 放送時間は2012年10月以降、TBSラジオでのもの。 制作は2012年10月以降のもの。 放送回数は、2012年12月7日までのもの(過去の放送の傑作選も含む)。 放送終了日は放送していた局によって異なり、TBSラジオでは2012年12月14日まで放送、他のネット局では最長で同年12月28日まで放送。 |
放送期間は、1973年1月8日から[1][2]2012年12月28日(キー局のTBSラジオは、12月14日)まで放送された。
番組開始から1998年4月3日まで、トヨタ自動車・トヨタディーラー(トヨタの販売店)が一社提供を務めており[3]、原則全国同時ネットで放送された。
タイトル名も「小沢昭一です」ならぬ、もちろん『小沢昭一の小沢昭一的こころ』が正式だった。また、単に「小沢昭一的こころ」とも呼ばれていた。[6]また、新聞ラジオ欄等では、「小沢昭一的心」、「小沢昭一」、「昭一」、「昭一的心」、または「心」[7] とそれぞれ表記する場合も多かった。
なお、小沢本人の著書等によるトーク締めの雄叫びについては、「また明日のこころだぁ!!」または「来週のこころまでぇ!!」ではなく、「また明日のこころだァーッ。」または「また来週のこころまでェーッ。」というのが、正しい表記であった。
また、長寿番組として、TBSラジオの看板番組の一つでもあった。番組終了から10年以上が経過した2023年も引き続き、永久保存版等として、当番組の過去の放送の傑作選CDの販売は継続しており、TBSショッピングで購入することができる。
1962年3月から1969年4月までTBSラジオで放送された『森繁の重役読本』の後継番組として企画された[8][9][10]。出演者の小沢が(パーソナリティを)“口演”と称し、週代わりのテーマ(「○○について考える」)に沿って(番組開始当初から)、小沢さん本人の軽妙な節回しでの話術で物語る。扱うテーマは時事問題から下ネタまで幅広く、永年の固定ファンが多かった。落語家の五代目柳家小さんが「本当の現代の落語」とつぶやいたというエピソードを弟子の柳家小三治が残している[5]。
「宮坂さん」なる架空の人物が、概ねストーリーの主人公を務める[11]。番組初期には「昭和ヒトケタ」の働き盛り、かつ悲哀漂うサラリーマンの設定(実際には小沢の分身的な役回り)が多かった宮坂さんも、小沢が年輪を重ねるに従い「宮坂お父さん」「宮坂薬局店長の宮坂さん」等、第一線から退いたことを伺わせる表現が用いられるようになった。
本番組プロデューサーの坂本正勝を揶揄した「ノーテンキプロデューサー」[12]、宮坂さん行きつけのバーの「れいこママ」と「詩人のヒモ(タロウ)」、子供「とおる」「ななえ」等、固有名詞を持つ脇役も登場するが、宮坂夫人は「奥方」或いは「お前」で特に名は無かったが、2010年5月19日放送分で夫の宮坂さんに「アリコ」とよばれ、ナレーションで「有子(ユウコ)」という名前であることが明かされた。ナレーションも含め、これら全員を小沢が独演する。
猛妻の尻に敷かれ子供らに疎んじられる「中年男の悲哀」を基本に、「愚痴を交え、斜に構えた蘊蓄を世事に傾ける」「落ちと言った落ちが無い(その都度テーマを変え、次回に期待を抱かせつつ延々と続く)」路線は、前身の「森繁の重役読本」からそっくり承継されたもの[8]。
過去の放送内容の一部は「小沢昭一的こころ」として書籍化され、最晩年となった2012年にも「ラジオのこころ」のタイトルで文春新書の一冊として出版された。
1983年1月30日[2]19:00 - 20:55[13]には、本番組をもとにした特別番組「小沢昭一SP「元祖・蒲田行進曲」」(おざわしょういちSPがんそ・かまたこうしんきょく)[13]が放送された[2]。蒲田で生まれ育った少年・青年期の小沢自身について語ったものであり、同年の民放連賞(日本民間放送連盟賞ラジオ娯楽番組部門最優秀賞)・ギャラクシー賞(制定20周年記念・特別賞)を受賞した[2]。
この1983年にアポロン音楽工業より、「特撰小沢昭一的こころ」(カセットテープ全5巻)が発刊された。
番組開始15周年となる1988年から1991年にかけて「小沢昭一の小沢昭一的こころ」(カセットテープ全12巻。発売:CBSソニー)が発刊された。
※なお、音源は著作権保護のため、内容の一部を変更している。
20周年となる1993年には全編小沢の歌唱による、番組20周年企画をほぼそのまま収録した2枚組CD「唱う小沢昭一的こころ」(1993年6月2日、ビクター音楽産業から発売。番組20周年企画の3週・15回分を収録)が、35周年となる2008年には「小沢昭一の小沢昭一的こころ大全集」(CD10枚組。発売:ジェネオンエンタテインメント)が[5]、それぞれ記念発売された。2011年3月30日には、「小沢昭一の小沢昭一的こころ ゴールドボックス」と題したアルバムCD10枚組ボックスが発売された(発売:TBSラジオ、販売:日本コロムビア)[14]。「ゴールドボックス」の1枚目・2枚目には、先述特番がそれぞれ「小沢昭一の小沢昭一的こころ10周年記念スペシャル 元祖 蒲田行進曲 その壱」「小沢昭一の小沢昭一的こころ10周年記念スペシャル 元祖 蒲田行進曲 その弐」というタイトルで収録された。
開始25周年となる1998年には、スポニチ文化芸術大賞優秀賞を受賞[15]。2000年6月、小沢と制作スタッフが放送文化基金賞個人・グループ部門を受賞[2]。
2011年3月14日から、3月11日午後に発生した東日本大震災の被災者に配慮し番組を一時休止した。ただし一部のネット局では裏送りで放送した。
2011年5月13日放送分をもって、番組開始から通算記念すべきとなる、1万回を達成した[16]。1万回目の週のテーマは「一万回記念、万について考える」(※放送時のタイトルコール表記。公式ページのオンデマンド放送分の表記によると「ひとり万葉集、一万回について・・・考える」となっている)1万回目の放送は「宮坂薬局店長の宮坂さん」が結婚30周年について奥さんと話し、その後小沢が歌う「東京音頭」に繋げる内容となっていた。また、長寿番組として放送1万回を迎えたこの時期に、小沢は放送2万回を目指して意欲を示していたが、翌年12月に急逝した(後述)。
2012年9月24日放送分から、小沢が長年患っていた前立腺癌による体調不良により入院した。本編は9月21日放送で急遽終了。また次週に予定されていたテーマは、「新宿今昔について考える」だったが、小沢本人の体調不良による回復が見込まれず、復帰が困難であったことから事実上の降板。同テーマはオンエアされることなく、収録も中止となったため、完全に打ち切りとなった。その代わりとして、40周年特別企画として過去の傑作選を12月28日まで放送した。同日の番組冒頭ではナレーションの藤田恒美が小沢本人の体調が優れない旨と傑作選放送のコメントを述べた。なお、11月16日は自宅にて収録された、番組最後の仕事となる小沢のメッセージを放送していた[16][17](収録日:11月5日[17])(一部は、小沢死去の際マスコミでも伝えられた[17])。
なお、メッセージは以下の通りとなっていた。
※最初に、藤田恒美のナレーションが入る。
「ここで、お休み中の小沢昭一さんから届いたメッセージをご紹介します。」
※次に主題曲とともに、11月5日に収録した小沢本人最後のメッセージが入る。
「えー私、小沢昭一、ちょっと体の調子が悪くて、今お休みを頂戴しております。
番組が始まって、もう40年にもなるんですが、これだけ長い間やっておりますと、この番組は体の一部のようなものでありまして…。
お休みしている今は、もうこころにポッカリと穴が開いているような、そんな『空』(くう)な感覚もあるんですね?
ですから早く元気になって、このこころの『空』(くう)の穴を皆さんと埋めていきたい。そう思うんであります。
よろしくぅ、
また明日のこころだァーッ。」〜2012年11月16日放送の自宅にて収録した最後のメッセージより。〜
※なお、傑作選期間中の2012年9月24日以降に放送する予定だった次回のテーマにおける収録・ならびにオンエアをTBSラジオでは12月14日、またネット局では28日の最終回の放送まで中止し、小沢本人は自宅にて収録したこのメッセージを最後に、同年12月10日午前1時10分に、東京都内の病院にて享年83歳で急逝した。
12月10日に小沢は死去[18]。12月10日、本来であれば本番組傑作選の放送が予定されていた『大沢悠里のゆうゆうワイド』(8:30 - 13:00)内の該当時間帯(12時台)では、内容を変更。『ゆうゆうワイド』のパーソナリティである大沢悠里が小沢の訃報を伝えるとともに永六輔と毒蝮三太夫が生放送で電話出演し、追悼として2011年7月4日に小沢がゲスト出演した「お昼のスーパートーク」の放送回の一部が放送された[19][20]。なお、キー局のTBSラジオでは以後の番組の取り扱いを「現在のところ決定していない」としたほか、追悼特別番組を検討中であることを発表した[19][21][22]。
翌11日には、12月11日から12月14日までは追悼コーナーを放送すること[15]、12月14日の第10415回(12月10日放送分は休止となったため、実際には10414回)をもって最終回とすることが報じられた[23]。追悼コーナー初日は、前年6月放送分の編集版として「ハーモニカについて考える」が放送された[24]。そして、12月14日まで傑作選が放送され、10414回でTBSラジオの放送は終了した[25][26]。
最後の新作となった2012年9月21日放送分までの回数は10355回だった[16][27][28]。TBSラジオでは12月10日(テーマ「大百貨店について考える 第1話」=2010年放送)の放送を休止したが、一部のネット局では予定通り放送したほか、公式ウェブサイトでの配信も行われた。
TBSラジオでの放送終了後も、一部のネット局では裏送り扱いとして、各局で終了日が異なるものの引き続き傑作選を放送し、12月28日までに全ネット局での放送を終了。1973年1月の第1回スタート以来、「小沢昭一的こころ」は、放送歴40年、延べ通算10414回という放送回数、そしてその歴史にピリオドを打つこととなった。(後述も参照)。また、番組公式ウェブサイトでのオンデマンド配信も、一部ネット局に合わせ、傑作選を配信していた。
2012年12月29日20:00 - 21:00には、『小沢昭一さん追悼特別番組「明日のこころだ 小沢昭一について考える」』(おざわしょういちさんついとうとくべつばんぐみあしたのこころだ おざわしょういちについてかんがえる)を放送[26][29]。司会は、堀井美香(当時TBSアナウンサー)[26][30]。『小沢昭一的こころ』など小沢出演番組の音源と[30]、黒柳徹子[30]、大沢悠里[30]、柳家小三治[30]、藤田恒美[30] ほか小沢と親交のあった人物からの追悼メッセージで構成[30]。一部JRN系列局でもネットされた(後述も参照)。
2015年12月2日、小沢の没後3年を機とした企画CD-Box「小沢昭一的こころ 昭和の傑作選CDボックス」(10枚組)が日本コロムビアより発売された。プロデュースは大沢悠里と謳われている。
※なお音源は、著作権保護のために内容の一部を変更している。
この節の加筆が望まれています。 |
制作局のTBSラジオでは、開始当初は17:45 - 18:00に放送[1]。当初より、17:00からのワイド番組『東京ダイヤル』(1973年4月13日まで)→『おつかれさま5時です』(1973年4月16日 - 1983年4月8日)内でされていた。その後、直後のニュース番組(『ニュースハイライト』→『ネットワークトゥデイ』)内で拡大に従い、1983年4月11日から17:30(『若山弦蔵の東京ダイヤル954』内)へ開始時間を前倒しして行き、1993年4月より17:15開始となった。1995年4月10日から1998年4月3日までは『荒川強啓 デイ・キャッチ!』内で番組として放送された[39]。
なお、この時期までは最初のエンディングテーマが流れ、CMが挿入された後に、ネット局が差し替え可能なローカル枠が設定されていた。ローカル枠ではTBS発のBGMが流れており、ローカル枠が終わり、BGMがフェードアウトし切らないうちに締めの一言が始まり、2回目のエンディングへ入っていた。ローカル枠は『うわさの調査隊』→『メキキの聞き耳』→『ニュースクリップ』へと受け継がれ、『デイ・キャッチ!』の終了と共に廃枠した。なお本番組が番組販売へ移行した後は、1回目のエンディングの後、CMを挟んで締めの一言へ移る形となった。
1998年4月6日より、スポンサーの都合で夕方の全国ネット枠から移動・10分枠への変更となり、各局で異なる放送時間となった。TBSラジオでは当初『松崎菊也のいかがなものか!?』内で放送され(15:30ごろ)、1999年4月5日より『大沢悠里のゆうゆうワイド』内の12時台(下記参照)の放送に変更された。
大阪の朝日放送では、17:30(後に17:15)開始の『ニューススタジアムABC』内で放送していた期間のみ、テープネットによる時差放送を行い、アナウンサーの進行次第で17:35(17:20)ごろの開始になる場合が多かった。そのため、全国ネットの後続番組『ニュースハイライト』→『ネットワークトゥデイ』[40] と放送時間が一時期バッティングしていたが、『ニューススタジアムABC』から独立した時点で解消した[41]。
特記ない限り、ネット局と放送時間(終了当時)を明記。
小沢の逝去をうけた12月10日以降の各局における取り扱いはそれぞれ異っている。なお、TBSラジオが放送を終了した翌週にあたる12月17日以降も放送を続けた局では、12月28日まで「追悼放送」として引き続き傑作選を放送していた。
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