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渡辺淳一の小説 ウィキペディアから
『失楽園』(しつらくえん)は、渡辺淳一の恋愛小説、また、それを原作とした映像作品。小説は1995年9月から翌年10月にかけて『日本経済新聞』に掲載され[1]、1997年2月に講談社から単行本として刊行された[2]。発行部数は260万部を突破している[3][4]。 映画は1997年5月10日公開され、TVドラマは1997年7月7日から日本テレビで放送された。
不倫を主題とし、一般向け新聞連載ではあまり例のない性描写が含まれている。映画・テレビドラマ化され、「失楽園」というタイトルが流行語にもなった。有島武郎の心中事件をモチーフとしている。
久木祥一郎は、現代書房の部長職を解かれて、調査室へ異動となってしまう。突然の左遷人事から3か月が過ぎたある日、衣川の依頼でカルチャーセンターにて講演を行った夜、彼の紹介で久木は松原凛子と出会う。物語はその数か月後の9月、鎌倉にあるホテルの一室から始まる。
それぞれ家庭を持つ二人だったが、密会を繰り返すうちに久木と凛子の愛は深まっていった。次の年の2月、凛子の希望で二人は中禅寺湖を臨む日光の旅館に1泊旅行をした。しかし、強力な低気圧による吹雪で足止めを食らい、やむなく旅館でもう1泊することになり、家族との関係はこの一件を機に悪化することとなる。
凛子は関係が冷え込んでもなお、夫・晴彦より夫婦でいることを求められ、ついには母・邦子から絶縁を言い渡される。久木は妻の文枝から離婚を提案されていたが、差出人不明の“身上書”が届いたことで、凛子との関係は現代書房にも知れ渡る。子会社への転籍を打診されたのをきっかけに、久木は現代書房を退職することを決意。その後二人は、それぞれの家族に離婚届を送った。移ろいゆく愛、そして老いへの恐怖の中で、久木と凛子は共に死ぬことを考えるようになる。
10月のある夜、久木と凛子は軽井沢にある凛子の別荘で、青酸カリを混ぜたシャトー・マルゴーを飲んで心中する。翌日午後、別荘の管理人が寝室で見たのは、死後硬直の最も強い状態で、結ばれたまま死亡して冷たくなっていた二人の姿だった。終章で死体検案調書と考察文が警察医によってまとめられ、物語は終わる。
1997年5月10日公開。製作は角川書店、東映、エースピクチャーズ(現:アスミック・エース)、日本出版販売、三井物産。配給、東映。日本アカデミー賞、報知映画賞、キネマ旬報賞受賞作。配給収入23億円を記録し、1997年『もののけ姫』に次ぐヒット作品となった[6]。
久木祥一郎は営業部と意見の相違が生じた事からの喧嘩で、編集長の座をおろされ、調査室に異動。多忙だった編集から、ヒマを持て余す調査室に左遷された久木は、仕事への情熱を失っていた。
暇が生じた時間を持て余した久木は知人で、カルチャー・センターに勤務する男性・衣川と呑んだ際、彼の「恋がしたい」という言葉を聞く。妻・文枝との仲は悪くないが、しっくりこないものがあることを感じていた。 そして、彼から自身のカルチャー・スクールで書道の講師をしている松原凛子の話を聞く。
映画化は『日本経済新聞』連載開始から間もない1995年秋に決定[7][8][9]。1985年の『ひとひらの雪』の製作を切っ掛けに、渡辺淳一とプライベートな付き合いが生まれた岡田茂東映社長が[7][10][11]、その後の渡辺作品もほぼ独占的に東映で製作し[4][7][10][12]、安定した成績を続けていたことから[7][13]、『失楽園』も最初は東映単独で製作を予定したが[4][14]、「東映で作っても普通の数字しか達成できないだろう」と岡田が判断し[4][14]、角川歴彦が「ウチで作らせてくれ」と頼んで来たこともあり[4][15]、角川映画部に全部任せた[4][14][15]。岡田は「ウチでやったらあんなに当たらない。角川は出版という宣伝メディアを持っているから」[15]、「角川君(角川歴彦)は兄貴(角川春樹)じゃなく、俺がやるんだという必死感が凄かった」と褒めた[15]。
製作総指揮は角川歴彦で、角川書店、東映、エースピクチャーズ(現:アスミック・エース)、日本出版販売、三井物産が製作、東映が配給を担当した[7]。角川書店は社長の角川春樹が1993年8月に大麻取締法違反で逮捕され[16]、角川書店の社長を解任されて弟の角川歴彦が角川書店社長に就任した[4]。角川春樹がオーナーだった映画製作部門の旧角川春樹事務所は角川書店が1994年に吸収合併し、映画事業からはほぼ撤退したと周囲から見られていた[16]。しかし1995年11月、角川書店が洋画配給の老舗・日本ヘラルド映画系列の映画会社・ヘラルド・エースを事実上の買収をしたときから[16]、映画事業に再度乗り出すだろうと認識された[16]。これは角川春樹が1995年に角川書店の持株を売却し、角川書店と袂を分かち、その資金を元に同年3月に現・角川春樹事務所設立したための角川歴彦の対抗措置ではといわれた[16]。映画製作の怖さをよく知る角川歴彦は当初は「実写は難しい」と話し、アニメを柱とした製作を考えていたとされるが[4][16]、本作『失楽園』を新生角川映画の第一作として実写映画の製作に乗り出した[16][17]。製作費全額を角川書店で持つのではなく、三分の一を角川が持ち、残りを他から集めるやり方で、結果として金が集まらない企画は面白くないものと判断し捨てるという手法を取った[16]。
1995年10月、角川歴彦が原正人プロデューサーに『失楽園』を映画化したいと伝えた[18]。原は成瀬巳喜男監督の『浮雲』をイメージし、90年代の『浮雲』をやりたいと考え、今という時代の区分を体現できる人として森田芳光を選んだ[18]。原と森田は1981年の森田の劇場映画監督デビュー作『の・ようなもの』を森田が「日本ヘラルド映画で配給してくれ」を頼み込んできたときからの付き合い[4][19]。当時はまだ単館ロードショーの時代ではなく『の・ようなもの』の配給はリスキーだった[19]。『失楽園』の森田の監督起用にも周囲からは反対する者も多かったが、原が脚本家の筒井ともみの助言を受け強行に推した[19][20]。森田は原作を読み自分なりに新しい試みができそうだと引き受けた[20]。岡田茂東映会長は、森田に「あなたの映画は理屈っぽくで当たらないのが多いから、これは官能映画だから、理屈ぽくせず、官能で繋いで欲しい」と要望し森田は了承したという[4][21]。岡田は「森田さんも遊び人だからいい映画が出来た、やってない奴がつくるとダメ」などと話している[4][21]。
原は森田より先に筒井に脚本の要請をしたが[9]、筒井は「私の世界とは水と油」と最初は断り、このため別の脚本家で行くと決まっていた[9]。それから約半年経った1996年7月に再度、森田から口説き落とされ脚本を承諾した[20]。筒井は当時小説を執筆中で忙しく、森田と簡単な打ち合わせをして脚本を10日で書いたと話している[20]。森田と筒井は1985年の『それから』で一緒に仕事をしているためイメージは共有できたという[9]。スタッフは森田の前作『(ハル)』(1996年)と70パーセント同じで、撮影前にメインスタッフで数日間合宿し、古今東西の恋愛映画を観たり、日本映画のセックスシーンが何故嫌いなのかといったディスカッションなどを行い[22]、勢いのまま現場になだれ込んだ[20]。
原作に濃厚な性描写があることから、映画化に当たっては松原凛子役のヒロイン探しが難航していると伝えられた[8]。森田は台本を読んだ段階で松原凛子は黒木瞳しかないと思っていたことと[20]、製作サイドで原作の読者に松原凛子役を選んでもらおうとアンケートを実施したら[18]、圧倒的な一位が黒木瞳だったことから[8]、連載完結を待たずに原と森田で黒木に出演交渉に当たり黒木は快諾した[4][8][18]。黒木の渡辺作品出演は映画主演デビュー作、『化身』(1986年)以来、10年ぶりだった。早い段階で黒木のヒロインは決まっていたともいわれるが[8]、性描写の問題があるためスター俳優が脚本を読む前に出演を決めることはなく[22]、脚本の完成は1996年7月以降であるため[22]、黒木と役所の正式なキャスティングはそれ以降である[22]。当時のマスメディアが黒木と川島なお美がヒロイン争いをしていると盛んに取り上げ世間を賑わせ[23][24]、映画のヒロインは黒木が、テレビドラマでは川島がヒロインを演じた[24]。黒木は撮影前に渡辺から「これはオスとメスの話である。あなたはひたすら女、メスでいい」と言われたという[4][8]。黒木は「見る人が喜んでくれる映画を作るためには自分はありません。自分の意見は重要視しません。あくまで一人の女優として、一つの素材として、自分を提供するにすぎません。監督の指示に従います」などと話している[8]。
久木祥一郎役の役所広司は、1996年の『Shall we ダンス?』と『眠る男』で、その年の主演男優賞を総ざらいしていたことから、今という時代の匂いのする俳優としての抜擢[20]。役所広司も黒木瞳も全面的に森田の演出を信頼し撮影はスムーズに進んだ[20]。
あらゆる撮影技法を駆使し、ベッドシーンには30以上の仕掛けを取り入れた[20]。機動性の高いスーパー16での撮影を導入し、セックスのエクスタシーを表現している[22]。
零号試写の段階で映倫のチェックが入り、成人指定の恐れがあった[26]。成人指定になると宣伝や動員で大きな影響が出てしまう。本来ならこれ以上は切れないという完成度だったが、森田は角川歴彦やスタッフの集まった席で自ら切ると言い、成人指定にならないよう工夫した。角川は「スタッフのいる場で自ら切ると言ったのは、森田の人柄の良さから来たものだったと思う」と述べている[26]。
東映東京撮影所で関係者全員が集まり、オールラッシュが行われた。見終わると場内がシーンとなってしまった。みんなもっと激しいエロスを期待していたためで、先の影響でそれらはほぼカットされていた。すると角川歴彦が「いいじゃない。これを当てるの、我々の責任だよね」と言った。しかし原正人は「あんなに当たると思わなかった」と話している[19]。
宣伝は東映の映画宣伝部が担当[7]。『日本経済新聞』での連載だったことから、当初のメインターゲットは、同紙のメイン購買者とその配偶者である50代から60代の男女としていたが、監督の森田、キャストの役所と黒木が決定したことにより、単なる官能的な映画ではなく、品のある映画になることが予測できたことで、映画宣伝部内の話し合いにより、宣伝のターゲットを20代の女性まで下げて広げていく方針が取られることになった[7]。パブリシティで扱うメインカットは役所と黒木が雪の中を二人で歩いていくカットにし、ポスターでは官能的な絵柄を使用し、綺麗なビジュアルと官能的なビジュアルの両方で展開させた[7]。
女性客を集めて配給収入で23億円、興行収入では約40億円の大ヒットを記録[4][19]。社会現象になるほどの話題を呼んだ[19][23]。岡田茂は「圧倒的に女性支持者が多く、75~80%が女性でした。これは予想外で私にはまったく読めなかった。朝早くから高齢者が来て、昼前後から30代、40代の女性が押し掛けて来るんです。やはり、家庭の主婦を中心に不満があるんでしょうね。あの映画を観て一つの夢を描くんです。もう一度恋をしたいとね。それで主婦たちがワーッと押し掛けて来たんだと思います。しかも、一人で来ないで、何人か誘って来るんです」[14]、「製作費を抑えながら、よく主婦層をつかんだ」[27] などと評している。批判も多かったが[19]、大ヒットした原因を原正人は「原作の話題性が第一、それに加え汗臭さのない映画を作りたいといコンセプト、気品のある役所広司と黒木瞳らのキャスティング、筒井ともみの脚本、森田芳光の映像センス、映画的な語り口のうまさ」と分析している[19]。森田は前作『(ハル)』(1996年)が時代を先取りし過ぎてこけて傷ついていたため[19]、本作がびっくりするくらい当たり大喜びしていたという[19]。角川歴彦は「50代の社会的な地位のある男性に純愛はないのかというタブーがあり、それは倫理的にいえば非社会的なことで、それをあの時代に映画が切り取ったから大衆が求めたんだと思います」と述べている[17]。
大ヒットし、角川歴彦は岡田茂から「役所広司は森雅之になったね」と褒められたことが嬉しかったという。角川歴彦は本作の製作を切っ掛けに森田とプライベートな付き合いも生まれ、1999年の『黒い家』、2007年『サウスバウンド』で製作者として関わり、森田が亡くなる直前まで新作のデベロップメントを行った。角川は「森田には自らの企画ではない、頼まれ仕事であっても、エンタテインメントとして完成度の高いものを作れる優れた才能があり、それが一番発揮できたのが『失楽園』でなかったかと思う」と評している[26]。
1997年の第21回モントリオール世界映画祭に正式出品したが受賞はならなかった。 同映画祭で上映された再編集バージョンが『失楽園(海外版オリジナル)』として1997年9月20日から全国東映系で公開されている[7]。
1997年7月7日から9月22日まで、日本テレビ系列で毎週月曜22:00 - 22:54(JST)に全12回を放送。制作はよみうりテレビ。
映画がヒットしたこともあり、日本テレビの月曜22時台のドラマとしては唯一平均視聴率20%を越えた作品となっている。また最終回の視聴率27.3%も、読売テレビの1992年 - 2004年の12年間に渡るプライムタイムの全連続ドラマの中での最高記録である。また、性的シーンが多く描かれた[24]。
ビデオ化はVHS版にてリリースの経緯がある(セル&レンタル)。2007年9月20日にDVD-BOXが発売されると告知されたものの延期、さらに2009年12月31日に5枚組で発売されることが決定したがこれも延期となった。2014年9月30日に出版社の宝島社より「DVDBOOK」の形態で「失楽園 DVDBOOK」(上・下巻)(共にDVD2枚組)発売。
話数 | サブタイトル | 放映日 | 視聴率 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 不倫夜曲 | 1997年7月7日 | 23.5% | 22:30~23:24 (30分繰り下げ) |
2 | 京都初夜 | 1997年7月14日 | 20.7% | |
3 | 妻の疑惑 | 1997年7月21日 | 20.7% | 通常より10分拡大 (64分) |
4 | 通夜密会 | 1997年7月28日 | 19.8% | |
5 | 愛欲の日光 | 1997年8月4日 | 19.0% | |
6 | 妻と女の炎 | 1997年8月11日 | 19.3% | |
7 | 家庭内離婚 | 1997年8月18日 | 17.3% | |
8 | 妊娠 | 1997年8月25日 | 20.1% | |
9 | 阿部定絶唱 | 1997年9月1日 | 21.1% | |
10 | 別れの予感 | 1997年9月8日 | 18.6% | |
11 | 運命の殺意 | 1997年9月15日 | 20.6% | |
12 | 衝撃‼︎最終回スペシャル-愛の永遠 | 1997年9月22日 | 27.3% | 通常より30分拡大 (22:00~23:24 84分) |
平均視聴率 20.7% |
連続ドラマの高視聴率を受けて、1997年12月29日に「失楽園 特別編」として21:00~23:24に放送された。ドラマの総集編にTV初公開の映像、イタリアでの新撮シーンも加えた特別番組として放送され、視聴率も20%越えを達成した。また主題歌としてZARDのシングル「My Baby Grand 〜ぬくもりが欲しくて〜」のカップリングであった「Love is Gone」が使用された。
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