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1968年に公開された日本のアニメ映画 ウィキペディアから
『太陽の王子 ホルスの大冒険』(たいようのおうじ ホルスのだいぼうけん)は、東映動画製作の日本の劇場用アニメ映画。公開は1968年7月21日、上映時間82分、シネスコ(東映スコープ)。『東映まんがパレード』(のちの『東映まんがまつり』)の一本として上映された。
キャッチコピーは「ホルスはとても強いんだ!」「太陽のつるぎがきらッきらッとかがやくと 巨人モーグがあらわれた! かわいゝ動物やおそろしい怪物もいっぱい!」[1]。
アイヌの伝承をモチーフにした深沢一夫の戯曲(人形劇)『春楡(チキサニ)の上に太陽』を基とし、舞台を「さむい北国のとおいむかし」として製作された。
制作トップに立った高畑勲にとっては初めての監督作品(当時東映動画では監督という言葉は用いず監督業を演出と呼称していた)。興行的な成功には縁遠かったとはいえ、高畑が中編・長編アニメに進出する足がかりとなった。宮崎駿が本格的に制作に携わった初めてのアニメ作品でもある。
2002年7月21日にDVDが発売された。初公開時の上映作品すべてをまとめて収録したDVDは『復刻! 東映まんがまつり 1968年夏』として2012年7月21日に発売された[注 1]。
動画枚数49,355枚。
悪魔グルンワルドの手から自分の息子を守りたいという一心で、父の手によって他の人間の許から離されて育ったホルスは、ある日岩男モーグに出会い、モーグの肩に刺さっていた太陽の剣を抜き取る。モーグはそれをホルスに与え、それを鍛え直した暁にはそれを持つ者は太陽の王子と呼ばれるようになり、モーグ自身もその許に馳せ参ずるだろうと告げた。意気揚々と走り回るホルスだが、次にホルスを待っていたのは父が危篤であるという知らせだった。ホルスの父は、ホルスを人間の元から離して育てた事は間違いであり、他の人間の所に向かうようにホルスに告げて、息絶える。
父の遺言に従い、他の人間の住む陸地に辿り着いたホルスだが、早々にグルンワルドの手下に捕らえられてしまう。その後グルンワルドとの対面を果たすが、グルンワルドの弟になることを拒んだために崖から突き落とされる。太陽の剣のおかげで九死に一生を得たホルスは、気を失っていたところをガンコ爺さんに助けられ、ガンコ爺さんの鍛冶仕事に関心を持つ。
しかしその村はグルンワルドの手下である大カマスのために魚が獲れず、食料不足に苦しんでいた。大カマスの退治に向かった若者達が為す術も無く帰ってきた様子を見たホルスは、一人大カマスのいる滝壺に向かい、見事大カマスを仕留める。一人で大カマスを仕留めたと言うホルスに村人は驚きを隠せないが、程なくして再び魚がやってくるようになり、ホルスは一躍村の英雄となった。しかしそれは同時に村長とドラーゴの嫉妬心を買う事も意味していた。
死んだとばかり思っていたホルスが、大カマスを退治したという知らせを聞いたグルンワルドは、狼たちを村に遣わすが、一致団結した村人の前には歯が立たず、多くが討たれる。討ち逃した銀色狼を追っていたホルスは、廃墟の村の中でヒルダと出会い、孤独な境遇に親近感を抱いて村に招く。ヒルダはその美しい歌ですぐに村人たちに気に入られた。
しかしヒルダは、過去の記憶が足枷となっているのか、協調的に生きる村人の輪に入る事が出来ない。ヒルダの孤独感はむしろいや増し、それに伴ってヒルダの悪魔としての心が呼び覚まされていく。トトにそそのかされたヒルダは、村人たちにホルスに対する疑念を抱かせ、ホルスを迷いの森へと誘い込む。
迷いの森に堕ちたホルスは、次々に襲ってくる幻想に苦しめられるが、その中でグルンワルドに対抗する手がかりをつかむ。村人全員が力を合わせれば、グルンワルドに対抗する力に成り得ることを知ったのである。ヒルダの心の葛藤も見破ったホルスは、ヒルダの人間の心を呼び覚ますことにも成功する。
ホルスのいなくなった村では、グルンワルドの出現におののいていた。グルンワルドの魔法で村は吹雪に襲われるが、その中でもガンコ爺さんやポトムたちがグルンワルドに対抗しようと必死に策を練っていた。ガンコ爺さんが積み上げた薪に火をくべ、村人を団結させたところにホルスが舞い戻り、団結の象徴であるその火で太陽の剣を鍛え上げる。約束通りモーグも応援に駆けつけ、グルンワルドは退散を余儀なくされる。勢いづいた村人たちはグルンワルドの城まで追い討ちをかけ、モーグによって太陽の光を浴びせられてグルンワルドがひるんだところにホルスが太陽の剣でとどめを刺し、グルンワルドは倒れる。
ヒルダは、雪の中を彷徨うフレップとコロに命の珠を与えたが、息絶える事はなかった。勝利に沸く村にヒルダも現れ、ホルスがヒルダの手を取り、ポトムたちと駆けていくところで大団円となる。
この作品のキャラクターデザインはアニメーターが出し合ったデザイン案を高畑監督が方向性を考えながらまとめて、最後に担当者を決めて仕上げられた。どのキャラクターにも複数の人間のデザインが取り入れられ、高畑監督自身の考えも反映されている。そのためこのキャラクター一人一人について作った人物を特定することは難しい。この項の「キャラクターデザイン」ではデザインの仕上げをした担当者の名前を記す。
東映動画では、『白蛇伝』以来、長編(上映時間80分相当)を年に1本製作・公開してきた。しかし、1963年に虫プロダクションの『鉄腕アトム』によってテレビアニメの時代が始まると東映動画もそれに追随せざるを得なくなる。同年に製作を開始した『ガリバーの宇宙旅行』は、その影響を受け、いったん製作が中断した[3][4]。1964年9月には、「当分のあいだ、長編アニメーションの制作は中止する」という方針が東映動画社長よりスタッフに伝えられる[5]。だが、『ガリバーの宇宙旅行』公開直前の1965年3月、企画部長の関政次郎から大塚康生に「来年をめど」とした長編次回作の作画監督が打診される[5]。大塚は、題材を『龍の子太郎』、演出(一般に言う監督に相当)を高畑勲とする条件で受諾すると文書で返答する[6][注 3]。最終的に大塚の要望が通る形となり、4月から大塚と高畑によって企画の検討が開始された[8][注 4]。
当初の『龍の子太郎』は「久しぶりの長編アニメーションにふさわしいスケールが不十分」という理由から却下され、『春楡(チキサニ)の上に太陽』に変更となる[8][注 5]。だが、東映側はアイヌを題材にした『コタンの口笛』等の興行実績から難色を示し、舞台を北欧とすることで了承した[8]。この時点で約7か月が経過していた[8]。脚本の深沢一夫から初稿が提示されたのは1965年12月中旬で、高畑およびそれを支援した宮崎駿により、深沢との間で意見の提示と推敲が繰り返された[10]。宮崎は1983年にホルス制作当時について「僕はホルスについては語れないですよ。ほんとに。キザな話だけど、青春そのものなんですよ。あらゆる恥ずかしさが全部入ってる。僕もパクさん(引用者注:高畑の愛称)も若かったから出来たんですよ。もう、今なら恥ずかしくて口に出せないようなことも言ってましたからね。人間を描こうとか……野心に燃えてたんです。」と自分と高畑にとって青春時代であったと述懐しており[11]、2018年に高畑が亡くなった時のお別れの会で宮崎自ら涙しつつ読み上げた追悼文でもホルス制作が大きな部分を占めたほど思い出深いものになることとなった[12]。
最終稿(第5稿)とキャラクター案(作画チーム全員から募集した案を大塚がクリンナップした)の完成は当初予定より2か月以上遅れた1966年3月後半で、4月より高畑と大塚による絵コンテ作業が開始され、作画もそれに続いて着手された[10]。
しかし、スケジュールの停滞(当初は8か月間と予定されていた)から1966年10月に制作中断がスタッフに伝えられ、高畑と大塚の絵コンテ作業のみを続行し、作画スタッフはテレビアニメのチームに入った[13][注 6]。一方、高畑はシナリオ内容の映像化のために作品の尺(公開時間)を長くする要望を出していたが受け入れられなかった[13]。中断が決まった際に大塚は企画部長の関から「会社はきみたちにプレハブを作ってくれといっているのに、きみたちがやろうとしているのは頑丈な鉄筋コンクリートだ」と予算・納期の遅延について涙ながらに指摘を受けたという[13]。スタッフの側には「最後の本格的な長編になるかもしれない」という思いから、品質維持へのこだわりがあったことを大塚は記している[15]。小田部羊一は、本作で高畑から求められた内容に対応したことで、それ以降「どんな仕事も恐くなくなりました」と証言している[16]。「登場人物」節にもあるように、本作はスタッフが出したアイディアを取捨選択する形で制作された。小田部が「組合を中心に全員が悩み苦しんで完成させたという点で、いい経験になりました」と回想する一方[17]、小田部の妻で同じく原画を務めた奥山玲子は(東映動画では)「初めて演出主導の中央集権的なスタイル」になった本作に参加した当初は「それまでの自由に任される空気とは違って、戸惑いを感じ」たと述べ[18]、「最初からスムーズにいったわけではなく、様々な葛藤があって完成した作品だと思います」と評している[19]。
1967年1月に製作は再開され、動画の完成がそのほぼ1年後で、初号試写は1968年3月だった[13]。この製作期間に高畑は会社側との折衝で、動画となるカットの静止画(止め絵)への変更や時間の短縮などを余儀なくされた[13]。制作費は7000万円の予算に対して1億3000万円を要した[20]。宮崎駿は、先述の高畑の「お別れの会」で読み上げたコメントの中で、「迷いの森」のシーンの削除が高畑と会社の間で議論になり「カット数からカット毎との作画枚数まで約束し、必要制作日数まで約束せざるを得なくなっていた」ことや、納期や予算の超過に対して「その度にパクさんは始末書を書いた」ことに言及した[7]。
大塚康生によると、「それまでの長編漫画の最低を記録」したという[21]。その要因として、作品が扱ったテーマは「高校、大学生くらいの年齢を対象」としていたことを挙げ、東映側もそうした客層を想定した宣伝活動をおこなわなかったと指摘している[21]。この大塚の証言も含め「興行面で失敗」が通説とされてきたが、木村智哉は2016年の著書で、1968年夏の本作を含む『東映まんがパレード』の全国8映画館での興行成績は他の年度と遜色がなかったと指摘している[22]。
製作段階での予算・納期超過により、高畑以下のスタッフは待遇面で他と格差をつけられ(大塚は契約金を半額にされた)、関や担当の原徹は東映動画を退社している[20]。
原画を担当した小田部が時代考証を行った『なつぞら』(2019年度上期NHK連続テレビ小説)でも、本作をモチーフ[23]にした長編映画『神をつかんだ少年クリフ』として、演出家・坂場一久(演・中川大志)を中心とした制作経緯が描かれ、興行実績も芳しくなかったことも描かれている。『なつぞら』では坂場が責任をとって会社を退社したストーリーとなっている。
ヒロインのヒルダに従来のアニメ作品にはなかった描き方をしたことで、本作は公開終了後も上映会が開かれるようになった[24]。アニメーション愛好者サークル「東京アニメーション同好会」(アニドウ)を主宰するなみきたかしは、「公開時に観た僕の世代は、みなヒルダにイカレてしまった。それは可愛いとか萌えとかいうものとは断じて違う。二次元の作られたものではなく、考え行動する、そして主張を持った一人の人間を感じて、忘れられない実在の人物となったものなのだ。」と述べている[27]。
漫画家の和田慎二は、本作を評価し、自作の登場人物に〈ヒルダ〉の名をつけたこともあった。
1980年代には、関連書籍が複数刊行、アニメージュでも特集記事が組まれ再評価が大きく進んだ。
公開から32年が経た2000年11月、本作の「旧スタッフの集い」が開かれ、約6割のスタッフ(途中降板者は招待自体から除かれた)が参集した[2]。席上、元企画部長だった関政次郎は「皆よくがんばったな。私にとっても忘れられない映画になった」と述べ、大塚康生は「永年のしこりが雪のように解け」たという[2]。宮崎駿も2018年の高畑の「お別れの会」のコメントでこの集いに触れ、「偉い人たちが『あの頃が一番おもしろかったなあ』と言ってくれた。『太陽の王子』の興行は振るわなかったが、もう誰もそんなことを気にしていなかった。」と述べている[7]。
『鬼太郎』はモノクロ作品であるため、1967年春興行以来続いたオールカラー興行が途絶えた。
『春楡(チキサニ)の上に太陽』はアイヌの民族叙事詩「ユーカラ」を題材とした人形劇である。人形劇団・人形座によって1959年夏に上演された[28]。
知里幸恵の『アイヌ神謡集』に収録された、オキクルミと「悪魔の子」の争いを扱った話を題材に、脚本の深沢が創案した「悪魔(人形劇では「モシロアシタ」)の妹」であるチキサニを加え、アイヌの村人も含めた交流と戦いを描いた[29]。チキサニはオキクルミに誘われたアイヌの集落での暮らしに惹かれながらも兄の命令との間で苦悩し、最後は兄がオキクルミに放った矢を身代わりとして受け絶命する[29]。そのあと、アイヌたちとオキクルミは力を合わせてモシロアシタを倒す[29]。
1959年7月に東京で初演され、8月にはNHKテレビでの放映もあった[30]。『ホルス』の最初のスタッフとなる大塚と高畑は、1959年8月の人形座東京公演を観覧したとみられている[31]。しかし、本作は「舞台規模が大きく旅上演に不向き」という理由で翌年には演目からはずされた(劇団は小中学校を中心とした地方巡業に収入を依存していた)[30]。その後、人形座は経済的な理由で1963年に解散した[31]。
1983年に徳間書店が『ロマンアルバム・エクセレント(60) 太陽の王子ホルスの大冒険』を刊行した際に、『チキサニの太陽』のタイトルで本作を紹介した[32]。『ロマンアルバム』に掲載された『春楡の上に太陽』に関する資料は東京公演時のプログラム表紙のみで、「編集部で入手できた」唯一の資料と紹介されている[33]。
アイヌ民族叙事詩より
『春楡(チキサニ)の上に太陽』 オキクルミと悪魔の子
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