大谷口北町
東京都板橋区の町名 ウィキペディアから
大谷口北町(おおやぐちきたちょう)は、東京都板橋区の町名[5]。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。
地理
東京都板橋区の南部に位置し、町域の北西辺を石神井川が流れる。北東辺は国道で画す。北は石神井川を隔てて対岸に東山町、北東は弥生町、東は大谷口上町、南は一部で大谷口および向原、西は小茂根に隣接する。
歴史
当該エリアは上板橋村の小名であった大谷口の一部であり1871年(明治4年)11月14日に浦和県(現埼玉県)から東京府に編入された。1932年時点では板橋区大谷口町の一部であった。1971年(昭和46年)に大谷口町から分かれて大谷口北町が成立、住居表示が実施された。
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世帯数と人口
2025年(令和7年)3月1日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[12]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
1~5番 9~15番 44~48番 | 板橋区立大谷口小学校 | 板橋区立上板橋第一中学校 |
6~8番 16~43番 49~90番 | 板橋区立上板橋第二中学校 |
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]。
- 事業所数 : 198事業所
- 従業員数 : 1,095人
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
交通
鉄道
バス
道路・橋梁
- 耕整橋
- 学校橋
- 山崎橋
施設
- 商業施設・商店街
- 入浴施設
かつて政の湯、宮の下湯があったが何れも現在では廃業しているため、東新町一丁目の富の湯または大谷口上町の第二富士の湯の何れかを利用する必要がある。
史跡
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その他
日本郵便
脚注
外部リンク
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