大柏川第一調節池緑地
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大柏川第一調節池緑地(おおかしわがわだいいちちょうせつちりょくち)は、千葉県市川市北方町にある大柏川の「調節池」と「緑地」を兼ねる施設。2007年(平成19年)6月30日に開設。面積約16ha、貯水能力254,000立方メートル。
平常は緑地の公園として一般に開放されている。敷地のなかにいくつかの小さな池がありその間には通路としての小道があり湿地の景観を見て散歩や自然観察も行える。大柏川や越水(えっすい)用の[1]堤防越流堤(えつりゅうてい)、緑地内の川に隣接する立入禁止区域の池では頻繁にカモ、サギ、カワウを見ることができる。
真間川に合流し終える大柏川の下流端から約850m上流を西南端とし、北東方向へ川に沿った縦約4km、最長横幅約1kmの広い地域は下総台地のほぼ南端にあたり大野地区の台地と柏井地区の台地に挟まれた谷津であった。
古くからヨシ原で、また田んぼとして利用されたが、田植えの時は腰まで浸かる沼田であったと伝えられ[2]、一部では「田そり」も使われた。また沼田の底から僅かながら水分の多い泥状の泥炭も見受けられたと言われる。地理的にも姥山貝塚や曾谷貝塚に近く、古くは東京湾北端の入り江で歴史的地勢では「大柏谷」と呼ばれる地域であった。
永らく広大なこの湿地の葦原と田園は大柏川が氾濫し冠水の被害はあったものの貯水の役目も果たした。時代を経て戦中、戦後からこの地域は次第に埋め立てられ2009年の時点では殆ど水田残っておらず、多くは畑やのどかな雰囲気も残す市街地となっている。最後の大規模な埋め立ては大野町の一部と南大野の全域が武蔵野線の1978年(昭和53年)10月の新松戸 - 西船橋間の延伸を機に埋め終え街としての形成が始まった。この武蔵野線の延伸部には 切通しが多いが、切り崩し排出された土砂は武蔵野線高架の大野町区域の埋め立てにも使われた。
最後の大規模埋め立てによって地面の標高は高くなり大柏川が増水すると形成されはじめた市街地の道路の冠水や床上浸水を起こし大柏川の拡幅事業を終える1996年(平成8年)頃まで何回か冠水や浸水に見舞われた。一例として1993年(平成5年)8月26日-27日台風11号では浸水・冠水面積400ha、浸水家屋2,392戸の被害を記録した[3]。
千葉県真間川改修事務所によって[4]約26年の期間を経て治水対策が行われ、調節池として開設に至った。事業の規模に比較しその期間が長年に亘ったのは予算が毎年少しずつ事業に配分されたためといわれる。
大柏川の拡幅事業は後手にまわり南大野地区から真間川への合流地点の付近に至るまでしばしば冠水や床下浸水の発生を招いたが、川の拡幅後は浸水や氾濫の事態はなくなっている。機会は多くないが調整池として開園後も流域の豪雨によって堤防から越水し調整池本来の機能を果たしている。
調節池緑地を擁す地域は時代と共に次第に埋め立てられ、畑の耕作地化や市街地化とともに溢水(いっすい)や越水[1]に見舞われているが、埋め立てにより湿地としての貯水能力が失われたことにも起因する。戦後の頃は大野町4丁目の市川市霊園付近から真間川に合流する八幡6丁目まで畦道を歩いて行くことが出来たと伝えられる。
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