二松學舍大学
日本の私立大学 ウィキペディアから
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二松學舍大学(にしょうがくしゃだいがく、英語: Nishogakusha University)は、東京都千代田区三番町6番地16号に本部を置く日本の私立大学。1877年創立、1949年大学設置。
二松學舍大学 | |
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九段キャンパス九段1号館(2022年10月) | |
大学設置 | 1949年 |
創立 | 1877年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人二松學舍 |
本部所在地 |
東京都千代田区三番町6番地16号 北緯35度41分31.65秒 東経139度44分44.16秒 |
キャンパス |
九段(東京都千代田区) 柏(千葉県柏市) |
学部 |
文学部 国際政治経済学部 |
研究科 |
文学研究科 国際政治経済学研究科 |
ウェブサイト | https://www.nishogakusha-u.ac.jp/ |
二松學舍は、1877年(明治10年)に三島中洲が東京麹町一番町(現・東京都千代田区三番町)に開いた漢学塾にはじまる。二松の名は不変の節操、堅貞を象徴する松の木が庭に二本あったこと、また韓愈『藍田県丞庁壁記』によれば学び舎としての意味を持ち、学舍として後の世まで続くことを願い名付けられた[1]。
官公私立東京諸学校一覧にも掲載され1881年には二松學舍の塾生は300名を数えた[2]。これは福澤諭吉の慶應義塾や中村敬宇の同人社などと肩を並べるほどであった[3]。
二松學舍にある『育英』の精神は、西洋文化の摂取を汲々としている時節を憂えた三島が、東洋文化を学ぶことこそわが国本来の姿を知りえるとして『己ヲ修メ人ヲ治メ一世ニ有用ナル人物ヲ養成スル』ことで東洋学の確立と新時代を担う国家有為の人材の育成を目指したことにある。
司法省法学校、陸軍士官学校などが当時、試験に漢文を用いたことから塾生には司法官や軍官が多かった。三島は書道興隆に尽力し、後書学院を創設した比田井天来は二松學舍に学んでいる。私立では数少ない書道専攻がある大学でもある。
当時の様子は夏目漱石の『落第』に記されている。夏目漱石と三島中洲の弟子であり後に二松學舍の校長となる山田済斎は同年の1867年生まれで、ともに二松學舍で三島に学んでいる。
二松學舍大学は、三島中洲が東京府麹町区一番町43番地(現・東京都千代田区三番町)の私邸内に1877年(明治10年)に創設した漢学塾・二松學舍を起源とする大学である。かつては柏と九段に学舎が分かれていたが、2009年に大学機能を九段に集約した。
校章は相対した松葉の真ん中に「二松學」と描かれたもの。
二松學舍大学校歌(作詞:校歌制定委員会、作曲:東京音楽学校)
各学部・学科とも2年次より以上の専攻に分かれる。
21世紀COEプログラムとして、1件のプログラムが採択されている。
学園祭は「学舎祭」と呼んでいたが、2002年から「創縁祭」と名称を変更した。毎年11月3日頃に九段キャンパスで開かれている。
13の体育系クラブと15の文化系クラブ、それに複数のサークルが活動している。かつては柏キャンパスでの活動が多かったが、現在は大学のほとんどの機能が九段に集約されたことから九段での活動が大半である。
九段キャンパスは2004年(平成16年)に創立125周年記念事業の一環として改築された。設計者は香山壽夫。また、大学機能を九段に集約するため2009年(平成21年)に130周年記念校舎を九段南に設置した。道路を挟で横手に靖国神社、校舎裏にインド大使館がある。
日本における学生カバディの発祥の地である[4]。同キャンパスの隣に二松學舍大学附属柏中学校・高等学校がある。
九段キャンパス最上階にあるレストラン、「ファカルティラウンジ」は一般の利用が可能。
九段キャンパス内には中洲記念講堂があり、各種式典などに利用されている。
柏市内に4つの二松生専用学生マンションを持つ(委託)。
この協定により、二松學舍大学において小学校教諭免許を取得することが可能になった。
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