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日本の将棋棋士 ウィキペディアから
丸田 祐三(まるた ゆうぞう、1919年(大正8年)3月30日 - 2015年(平成27年)2月17日)は、将棋棋士。九段。平野信助七段門下。棋士番号43。長野県長野市出身[2]。日本将棋連盟会長を務めた。
商業学校(第二次大戦後の商業高等学校に相当)を中退して運動具店の店員になった[3]。その後、東京・渋谷の将棋道場で平野信助七段に棋才を見いだされ、平野門下で棋士を目指すこととなった[4]。1936年(昭和11年)に奨励会に入会する際には、平野から、丸田の棋力なら2級か3級でも入会できるが、6級なら無試験で済む、と言われ、6級で入会した[5]。
奨励会入会から2年後の1938年(昭和13年)に初段、翌1939年(昭和14年)に二段と順調に昇段したが、1940年(昭和15年)に陸軍に入営。餞別として三段を贈られ、奨励会員のまま軍隊生活に入った。[4][6]
1945年(昭和20年)の太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦まで軍務に就いた丸田であるが、頭脳明晰で計数に明るいことを評価され、所属する大隊の経理業務を任され、軍曹に進級して終戦を迎えた[4]。
1946年(昭和21年)に復員した[5]。東京・浅草にあった家は空襲で焼失していた[5]。両親は戦災死、丸田と同じく出征していた兄は終戦の前に戦病死しており、戦争を生き残った肉親は、既に嫁いでいた姉ひとりであった[4]。
姉の嫁ぎ先に頼れる状況ではなく、丸田は直ちに生計の道を探さねばならなかった[4]。丸田は、懇意であった渡辺東一・八段(のちに日本将棋連盟会長、名誉九段)を訪ね、棋士になるのは諦めて他の仕事に就く、と告げた[4]。丸田を戦前から高く評価していた渡辺は、既に丸田を四段に推薦している(直ちに棋士の身分を与える)から将棋界に残ってくれ、と強く慰留し、丸田を翻意させた[4]。
四段となった丸田は、第1期順位戦(1946年5月 - 12月)にC級の最下位で参加し、12勝2敗の好成績を挙げ、B級への昇級を果たした[7]。1947年(昭和22年)5月10日に、将棋大成会(日本将棋連盟の前身)の規定変更により、B級の16人を全員七段とすることが決まり、四段から七段に飛びつき昇段した[7]。これは「丸田の三段跳び」として知られる[7]。
1947年(昭和22年)度に行われた第2期順位戦[4]でA級への昇級を決めて、1948年(昭和23年)に八段に昇段し[3]、2年間で四段(プロ棋士の最低段位)から八段(1948年当時のプロ棋士の最高段位)に昇った[5]。
1961年の名人戦などタイトル戦登場4回、棋戦優勝10回、A級は通算24年[2]。
勝ち抜き戦のNHK杯テレビ将棋トーナメントでは1959年、1965年、1968年の合計3回優勝している[8]。
第54期順位戦C級2組で3回目の降級点となり、1996年3月31日に引退[1]。77歳まで現役を務めたのは戦後の最高齢現役記録(当時)であった[9][10]。
2015年2月17日の夜、多臓器不全による肺炎により死去[11][12][13]。95歳没。丸田の死去をもって、大正生まれの棋士は全て故人となった[14]。
開始 年度 |
順位戦 出典[36] |
竜王戦 出典[37] | ||||||||||||||||
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1946 | 1 | 四・五段戦1位 | ||||||||||||||||
1947 | 2 | B級16位 | ||||||||||||||||
1948 | 3 | A 05 | ||||||||||||||||
1949 | 4 | A 04 | ||||||||||||||||
1950 | 5 | A 03 | ||||||||||||||||
1951 | 6 | A 03 | ||||||||||||||||
1952 | 7 | A 02 | ||||||||||||||||
1953 | 8 | A 04 | ||||||||||||||||
1954 | 9 | A 07 | ||||||||||||||||
1955 | 10 | B101 | ||||||||||||||||
1956 | 11 | B107 | ||||||||||||||||
1957 | 12 | A 10 | ||||||||||||||||
1958 | 13 | A 03 | ||||||||||||||||
1959 | 14 | A 04 | ||||||||||||||||
1960 | 15 | A07 | ||||||||||||||||
1961 | 16 | A 01 | ||||||||||||||||
1962 | 17 | A 03 | ||||||||||||||||
1963 | 18 | A 05 | ||||||||||||||||
1964 | 19 | A 04 | ||||||||||||||||
1965 | 20 | A 05 | ||||||||||||||||
1966 | 21 | A 05 | ||||||||||||||||
1967 | 22 | A 04 | ||||||||||||||||
1968 | 23 | A 04 | ||||||||||||||||
1969 | 24 | A 04 | ||||||||||||||||
1970 | 25 | A 07 | ||||||||||||||||
1971 | 26 | A 07 | ||||||||||||||||
1972 | 27 | A 07 | ||||||||||||||||
1973 | 28 | A 06 | ||||||||||||||||
1974 | 29 | B102 | ||||||||||||||||
1975 | 30 | |||||||||||||||||
1976 | 主催者移行問題により中止 | |||||||||||||||||
1977 | 36 | B106 | ||||||||||||||||
1978 | 37 | B105 | ||||||||||||||||
1979 | 38 | B109 | ||||||||||||||||
1980 | 39 | B109 | ||||||||||||||||
1981 | 40 | B109 | ||||||||||||||||
1982 | 41 | B111 | ||||||||||||||||
1983 | 42 | B110 | ||||||||||||||||
1984 | 43 | B202 | ||||||||||||||||
1985 | 44 | B207 | ||||||||||||||||
1986 | 45 | B215 | ||||||||||||||||
1987 | 46 | B221 | 1 | 3組 | -- | |||||||||||||
1988 | 47 | B215 | 2 | 4組 | -- | |||||||||||||
1989 | 48 | B219 | 3 | 4組 | -- | |||||||||||||
1990 | 49 | C101 | 4 | 4組 | -- | |||||||||||||
1991 | 50 | C110 | 5 | 4組 | -- | |||||||||||||
1992 | 51 | C125 | 6 | 5組 | -- | |||||||||||||
1993 | 52 | C201 | 7 | 5組 | -- | |||||||||||||
1994 | 53 | C241 | 8 | 5組 | -- | |||||||||||||
1995 | 54 | C246 | 9 | 5組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
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