並木 (所沢市)
日本の埼玉県所沢市の町名 ウィキペディアから
地理
所沢市中央部に位置し、並木地区に所属する[5]。 面積は計約3.05km2。 周辺の北原町・若松町・こぶし町・東新井町・西新井町・北有楽町・喜多町・弥生町・美原町・中新井と隣接する。
かつては一帯が所沢飛行場であり、戦後はアメリカ軍に接収され基地となっていた。1971年(昭和46年)に6割、1978年(昭和53年)にさらに1割は返還されたものの、現在も在日米軍所沢通信基地として町内に残っている。返還された跡地には所沢航空記念公園を筆頭に、公団住宅や学校、官公庁が作られ市役所も移転し、整然とした街並となっている。
面積
町丁別の面積の内訳は以下の通り。
歴史
沿革
- 1967年(昭和42年)3月12日 - 市民等4,115名が参加し所沢基地全面返還運動市民大行進が行われる[6]。
- 1971年(昭和46年)6月30日 - 米軍基地のおよそ6割にあたる1,918,831m2が返還される[7]。
- 1973年(昭和48年)11月 - 防衛医科大学校が開校。
- 1974年(昭和49年) - 埼玉県立所沢北高等学校開校。同年3月、基地跡地の一部約50haが県営公園として計画される。
- 1977年(昭和52年)12月 - 防衛医科大学校病院が開設。
- 1978年(昭和53年)3月 - 所沢航空記念公園開園。同年6月20日、米軍基地の一部97,593m2が返還される[7]。
- 1979年(昭和54年)3月- 所沢パークタウン駅前通り団地が完成。
- 1981年(昭和56年)6月1日 - 町名・地番変更の実施により、大字所沢、大字下新井の各一部から並木1丁目〜8丁目が誕生[8]。
- 1982年(昭和57年)6月30日 - 米軍基地の北端、13,525m2が道路拡幅用地として返還される[7]。
- 1987年(昭和62年)1月5日 - 所沢市役所が現在地に移転。同年5月27日、西武新宿線航空公園駅開業。
- 1993年(平成5年) - 所沢航空記念公園内に所沢航空発祥記念館が開館。同年11月1日、所沢市民文化センター ミューズが開館。
- 2005年(平成17年)3月11日 - 国土交通省により航空公園地区が前橋市・横浜市と共に自転車利用促進のモデル地区に指定される[9]。
地名の由来
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世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
交通

鉄道
並木4丁目・5丁目などの北部は、隣の新所沢駅からの方が近い。
道路
- 国道463号
- 埼玉県道56号さいたまふじみ野所沢線
- 市道 はばたき通り
- 市道 並木通り
- 市道 航空公園通り
- 市道 新所沢跨道橋通り
- 交差点
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バス
町内を運行するのは、西武バス(一般路線バス)および所沢市内循環バス・ところバス(コミュニティバス)。 町域内のバス停は以下の通り。
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施設




- 公共
- 所沢市役所
- 埼玉県所沢警察署
- 所沢税務署
- さいたま地方法務局所沢支局
- 所沢簡易裁判所
- 所沢労働基準監督署
- 所沢公共職業安定所
- 並木まちづくりセンター(市役所出張所窓口)
- 並木公民館
- さくら児童館
- 所沢市東部浄水場
- 所沢航空記念公園
- 所沢市民文化センター ミューズ
- 所沢市民体育館
- 防衛医科大学校病院
- 国立障害者リハビリテーションセンター
- 環境省環境調査研修所
- 東京航空交通管制部
- 在日米軍所沢通信基地
- 商業
- 所沢郵便局
- 所沢パークタウン商店街
教育機関
学校
かつて存在した学校
- 所沢市立並木東小学校 - 2005年3月31日、所沢市立中新井小学校との合併で閉校。
学校教育以外の施設
脚注
参考文献
外部リンク
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