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広島市の橋 ウィキペディアから
万代橋(よろずよばし)は、広島市中区の元安川に架かる道路橋である。
画像外部リンク | |
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被爆後の影の跡 | |
Hiroshima ground Ota River bridge A3441 e1317588716651 アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。 |
1878年(明治11年)木橋として架橋されたものが初代の萬代橋である。1916年(大正5年)、ドイツ人技師の設計により当時水主町(現・加古町)に所在していた県庁の西詰に鋼鈑桁橋として架け替えられ、「県庁橋」とも呼ばれた。
1945年(昭和20年)8月6日の原爆被災時には爆心地から880 mの距離に位置しており、その際の熱線でこの橋を渡っていた人と荷車の影がアスファルトに焼きついていたことが記録写真などにより知られている[2]。しかし欄干が吹き抜けになっていたことで橋自体は倒壊せず、熱線で焼き付けられた欄干の影などから地上から上空の原爆爆発点までの距離(580 - 600 m)が算出された。
被爆した橋は戦後も長く使用され、1971年(昭和46年)には側歩道橋が架設されたが、1980年(昭和55年)になって現在の橋に架け替えられ、付近に旧橋の親柱が保存されている。
1974年(昭和49年)、ある老人がNHK中国本部(現在のNHK広島放送局)に1枚の絵を持参してきた。それは老人が当時視聴していたTVドラマ「鳩子の海」の内容に刺激を受け、被爆直後の萬代橋付近の惨状を描いたものであった。同年6月NHKがこの絵をもとに「届けられた一枚の絵」というテーマで番組を放送すると、それをきっかけに市民が続々と同局に記録画を寄せるようになり、8月6日には1,000点近くに達した原爆記録画が平和記念館(現在の広島平和記念資料館東館)で展示された。これが現在も続く市民による原爆記録画運動(「市民の手で原爆の絵を」)の始まりとなった。
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