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ラジオカセットレコーダー (英語: radio cassette recorder)は、コンパクトカセットテープレコーダー(テレコ)にラジオチューナーを内蔵した音響機器である。一般的に略称でラジカセと呼ばれる。
ラジカセは、ラジオおよびカセットテープレコーダーに加えて、アンプとスピーカーも備え、オールインワン方式になっている。基本的には持ち運びが出来るように設計され[注釈 1]、上部に折りたたみ式の把っ手がついており乾電池でモバイル使用を可能にしている。
ラジカセの定義に関して、ラジカセに不可欠なのは次の4点である[1]。
不可欠ではないが、備わっているのが望ましい性質として次の2つがある[1]。
本項では上の定義を採用し、ラジオ、カセットテープレコーダー[注釈 2]、アンプ、スピーカーの4要素を全て供えた製品を扱い、乾電池でも動作し持ち運べるものを中心に説明する。
登場したての頃は「ラジオ付きテープレコーダー」や「ラジオ付きカセットレコーダー」と呼ばれていた[1]。「ラジカセ」という名称が世間に定着していったのは1970年代後半のことである[1]。
この「ラジカセ」の名称を音響機器メーカーのパイオニア(当時[2])が商標登録しようとしたが却下されたことがある。
アメリカなど英語圏ではブームボックス(ブーンボックス、英: boombox)やゲットーブラスター(英: ghettoblaster)と呼ばれる。楽器編成に指定する場合にもこれらの名称が使われる。
真空管ラジオまでを含めると、1961年かそれ以前からテープレコーダーの「複合機」は複数の会社[どこ?]から市販されていた[要検証]。
ラジカセの前史はオープンリールのテープレコーダーにラジオを搭載させた複合機にまで遡ることができる。日立製作所が1963年にリリースしたベルソーナ TRT-398[3]はオープンリール式テープレコーダーにトランジスタラジオを搭載したもので、トランジスタラジオを組み込んだテープレコーダーとしては国内初の製品である(ただし、これはまだカセットテープを使用したラジカセではなかった)。歴史的に見るとこの複合機のオープンリール部分をカセットテープに置き換えたものがラジカセである[1]。
1960年代当時はカセットテープの規格はいくつかあり互いに競いあっていたが、最終的にはフィリップスのコンパクトカセットが優位にたち、1966年-1967年の日本では、いくつかのメーカーでその方式のテープレコーダーを発売するなど、コンパクトカセット方式への協力体制ができつつあった[1]。
日本ではFM放送が1957年のNHKの実験放送から始まり、民間放送局の実験放送、1960年には民間局の実用実験放送[4]、そして1969年には本放送が始まり、FM受信装置を持っていれば雑音の少ない高音質の放送が聞けるようになった。この状況下でラジカセは誕生した。
松下電器産業(初代法人、現・パナソニックホールディングス)が1967年12月に、カセットテープレコーダーと2バンドラジオ(FM・AM)を組み合わせた RQ-231[5]を発売。1968年5月にはアイワが国産初の3バンドラジオ(FM・SW・AM)式のTPR-101[6][7]を発売し、海外にも輸出され、ロングセラーになった[1]。どうやらこのあたりがラジカセの歴史のはじまりのようだと考えられている[8]。 ただし、元アイワ社員が調べたところでは、最初のラジカセは松下のものでもアイワのものでもなく、クラウン マイカセットF CRC-9100Fが1967年9月に発売という巻末広告や製品紹介記事が旺文社の「週刊F6セブン」の1967年(昭和42年)9月23日号(昭和42年38号)に掲載されているといい、実物の製品写真も掲載されており、こちらが最初のラジカセだという[9]。
それぞれの価格は下記のようになっていた[9]。
アイワのTPR-101が1番安い。1968年の大卒初任給平均は29,100円だったので、いずれも高価ではあったが、アイワのTPR-101だけは大卒初任給でも手が届いた[9]。
クラウンのCRC-9100Fは録音と停止のボタンが独特な配列で同時押ししづらく、オープンリール機のような前時代的なボタンである[9]。松下のRQ-231は操作性に難がある。どうやらクラウンのCRC-9100Fに先行された松下が、焦って付け焼き刃的に同社の既存機種を改変して出来たのが松下のRQ-231のようで、その為、操作性に難があるようなものを世に出してしまったらしい[9]。一方、アイワのTPR-101は、現在のラジカセのデファクトスタンダードのボタン構造、ボタン配置とほぼ同一で、操作性が良い[9]。
半年ほど後発のアイワのTPR-101には、テープ操作のボタンの良さに加えて次のような長所があった[9]。
3機の中でアイワのTPR-101が価格が一番安いうえに、操作性も良く、他にも長所が多いとなると、電器店の店員がアイワのTPR-101を推薦したことは当然のことであり、アイワのTPR-101が良く売れた[9]。
1970年3月にはソニー(初代法人、現・ソニーグループ)が同社初のラジカセ CFM-8120を発売。 また1970年代には日立製作所や東京芝浦電気(現・東芝)、日本ビクター(現・JVCケンウッド)、三菱電機、三洋電機、シャープなども、相次いでラジカセを市場に投入した。この時代はまだすべての機種がモノラル式だった。
当時の若者は、アナログレコードやテレビやラジオから流れた音楽や番組をラジカセで録音した[10]。[注釈 3]そして自分で音の編集をしたり、インデックスカードの曲名の書き方を工夫して、自分オリジナルのカセットテープを作った若者は少なくない[10]。そうやって作られたオリジナルのカセットテープは、誰かの手に渡すことができた[10]。つまり、カセットテープはパーソナルなメディアであり、誰かと音を共有できる世界への扉となった[10]。また、ラジカセにはスピーカーがついており、ダンス会場にラジカセ1台持ち込めば一緒に音楽を聞いて一緒に踊れるなど、その意味でも人と音を共有できるシステムだった[10]。 またラジカセにはラジオも搭載されており、子供や青年が自分の部屋にラジカセを持ち込んでそのラジオを聞けば外の世界と繋がることが出来た。1960年代後半から1970年代のラジカセの開発・普及の時期とカウンターカルチャーが一気に隆盛になった時期が重なっているが、それはおそらく偶然ではない[10]。
コンポーネントステレオのカセットデッキでは高音質化が1960年代から進み始めていたが、ラジカセの高音質化が行われたのは1970年代になってからだった[1]。
1970年代の日本ではBCLが流行し、ソニーのラジオ「スカイセンサー」などで海外放送を受信しベリカードを収集することが社会現象化していた[1]。また1970年代なかばには、SL(蒸気機関車)の走行音やライブ演奏の音をテープレコーダーで録音する「生録(なまろく)」ブームや[1]、FM放送を録音する「エアチェック」ブームも到来した[1](FMステレオ放送の音楽番組の数が増えると、まずはそれをコンポーネントステレオのカセットデッキ[注釈 4]の高音質でエアチェックすることが先行してブームになった)。それをラジカセで行う需要に応える機種が開発された。
1974年に、ソニーが高音質指向で(モノラルながら)ウーファーとツイーターの2wayスピーカーを備え、ウーファーの口径もそれ以前の10cm程度から15cm程度に大口径・大出力化した「スタジオ1980」を発売し、それが70万台を超える記録的な販売数となり、1976年にそれをさらに進化させた「スタジオ1980 II(マークツー)」を発売。これはスピーカーがさらに大型化し、さらに「クロムテープ」という後のハイポジションテープ相当の高音質テープに対応するスイッチを備えていた。
他のメーカーもこれに追随、モノラルでの高音質化が進んだ。さらにステレオタイプのラジカセが現れ始め、2ウェイ4スピーカータイプが登場した。
ステレオ方式で高音質のラジカセが珍しくなくなると、各メーカーは他の特徴で差別化をはかり、自動選曲機能やオートリバースなどの便利機能をさかんに搭載しはじめた。大型化および多機能化が進み、大きな直方体の箱、上部に大きなチューニングスケール、正面左右に大きいステレオのスピーカー、中央にカセットテープドライブ、というスタイルができあがった。さらに1979年にはシャープから国産初のダブルカセットラジカセが発売された[13]、テープからテープへのダビングも可能となった[14]。その結果、部品の量が増え、重くて持ち運びにくい機種が増え、大型・多機能の機種では定価(販売価格)も上昇する傾向になった。
そのような中、三洋電機は1979年にあえてスリムなラジカセ、すなわち細身でスラリとしたラジカセ「U4」を市場に投入し、若い女性が街中で鮮明な赤色のU4を軽やかに持ち運ぶ映像や画像をテレビCMや雑誌広告で提示し「おしゃれなテレコ」というコピーを添えた[15]。[注釈 5] ラジカセの販売はそれまでは高校から大学の男子が主なターゲットだったが、三洋はU4で明らかに若い女性を狙い撃ちにしたマーケティングを展開した[15]。筐体色もそれまでの男性向けラジカセのような地味な色ではなく、赤、青、ピンクが用意され、後の機種ではさらに若い女性狙いを徹底し、当時流行のパステルカラーのイエロー、グリーンなども用意された[15]。若い女性をターゲットにした作戦が大当たりし、日本のラジカセ市場の規模はU4登場以前の1978年は約380万台だった状態から、U4により1979年には450万台、1980年代には530万台と急成長した[15]。三洋はU4投入前の1976年にすでに国内のラジカセ市場でシェア26.7%を占め、ラジカセ市場の盟主と言えるくらい強者になっていて、海外向けラジカセも含めると1年で800万台も生産・輸出する巨大メーカーになっていたが、U4の初代機種だけで100万台も売れたので三洋はさらに強者になった[15]。「横長のカラフルなラジカセ」という市場に気づいた他の7社はU4を模倣した製品を開発しその市場に参入したが、この市場での三洋の首位の座は長らく揺らがなかった[15]。U4はシリーズ累計で700万台も売れたことでオーディオ史に名を残している[15]。
大出力化したラジカセに話を戻そう。大出力化したラジカセはアメリカで屋外に持ち出されるようになった[16]。 日本では小ぢんまりとした部屋に置かれていたラジカセが、アメリカ、特にニューヨーク北部、ハーレム、ブロンクス、ニューヨーク南西部、ブルックリン、クイーンズなどの地域では重要なストリートギアとなり、ヒップホップ・カルチャーやブレイクダンス・カルチャー、ストリート・カルチャーの醸成と躍進に貢献した[16]。騒音に溢れた都会の街中で踊るためには低音のビートを大音量で鳴り響かせる必要があるが、大出力・大型のラジカセならこれができた。ストリート・カルチャーを担っていた若者はラジカセをBoombox(ブーン・ボックス)と呼んだ[16]。ブーン・ボックスは「ブンブン鳴る箱」という意味の英単語である[16]。
なお、このカルチャーの担い手であったアフリカ系アメリカ人やプエルトリコ系アメリカ人は自分が住む地域を「ゲットー」、強制された居住地域といった意味の単語で呼んでいたので、ラジカセはゲットー・ブラスター(GHETTO BLASTER)とも呼ばれた[16]。ブラスターは銃火器を指す単語[16]。
日本のメーカーが考えていたこととは異なることがアメリカで進行したのだった[16]。日本のメーカーはラジカセをオーディオ機器の一種と位置づけていたようだが、ニューヨークでは単なるオーディオ機器という枠を越え、社会的な装置となっていた[16]。すなわち、Boomboxは彼らが「ゲットー」と呼んだ治安が悪い地域を音楽で満たし、若者たちに喧嘩の代わりにダンスで勝負することを促したのである[16]。Boomboxは彼らの自慢の品だった[16]。これ以降「Boombox」がラジカセ全般を指す英単語となった。
当時のパナソニックやソニーはアメリカのラジカセ市場の動向やそれに影響を与える社会現象を読み違えていたらしい。たとえばパナソニックは1980年にラジカセの宣伝にビッグネームのアース・ウィンド・アンド・ファイア(EWF)を起用したが、現実のアメリカのストリートで実際にBoomboxで鳴り響いていたのはEWFのようなビッグネームではなく、クィーンズ地区のストリート上がりのラッパー、カーティス・ブロウの声だった[16]。80年代当時のヒップホップ・アーカイブ写真では、JVCやSANYOやシャープ、あるいはCONIONという神戸の輸出業者のBoomboxがヒップ・ホッパーたちと一緒に写っており、それらがアイコニックなモデルだったと考えられる[16]。このアーカイブにソニー製ラジカセは写っておらず、ソニーはストリートカルチャーのうねりを読み違えたらしい。「ラッパーズ・ディライト」が発売された1979年にソニーはウォークマンを発売し宣伝に「している人だけ気持ちいい」というコピーを添えていた[16]。ソニーの思惑とは対照的に、ストリート・カルチャーの担い手たちは皆、インタビューでBoomboxの良いところは音楽を共有できたことだ、と言っている[16]。ヘッドフォンをしている人だけが気持ち良くなるのではなく、まわりの人々と音楽を分かち合い、それを通してより良い関係を築いてゆく[16]。Boomboxがそれを可能にしたのだった。
なお、当時の大型ラジカセは殆どが日本製であり「Made in Japan(メイド・イン・ジャパン)」の象徴的存在であったため、1980年代前半の日米貿易摩擦が問題になった際、アメリカ・デトロイトでは労働者がハンマーで日本製の乗用自動車(3代目トヨタ・カローラ)などと共に日本製のラジカセを破壊するパフォーマンスが報道番組などの各種メディアで報じられた。アメリカ国内でも地域によってBoomboxに向けられる感情が異った。
ところで上で説明したようにウォークマンはラジカセとは異質のものであったが、携帯可能な小型音楽プレーヤー、独りで孤独に楽しむ音響装置として独自の発展をしていった。
1986年頃からCDプレーヤーを搭載した「CDラジカセ」が登場。最初期はWカセットの片方をCDプレーヤーに乗せ換えたような機種も多く見られたが、後にダビングに便利なカセットテープドライブを2台としたモデルでは横長になるなどし、直方体の箱ではないものが増えた。
1995年頃からはカセットの代わりにMDレコーダーを搭載したMDシステム、MDCDシステム、ラジMD 等が登場し、ラジカセ市場を侵食しはじめた。MDレコーダーとカセットレコーダーを両搭載した製品(MDラジカセ、コンパチ(ブル)ラジカセ)も登場した。アイワのXG-E1のようにコンポとラジカセを折衷した機種も登場した。
2001年にiPod第一世代が発売された後、iPodとの連携が図られたものや、カセットテープ、CD、MD、2バンドラジオの全てを搭載したハイエンドモデルなどが販売された(なおMD搭載機は2010年代には廃れていった)。
2000年代後半には、ラジオとCDプレーヤーを組み合わせ、カセットを搭載しないCDラジオが登場した。 またカセットを搭載せずSDカードスロットを搭載した機種[注釈 6]が登場したが、どちらもカセット非搭載なのでラジカセではなかった。
乾電池が使用できない携帯性の低いラジカセが出現することで、小型でオールインワンのミニコンポとの区別がやや曖昧になった。
また2000年代頃からは、海外の無名弱小メーカーの工場でOEMで設計・生産され、樹脂の金型による成形の精度や樹脂表面の質感も悪く、出力も小さい、すなわち1980年代や1990年代の全盛期の国内一流メーカー製のものとは明らかに設計や品質が異なるものが輸入され、国内市場で安価に広く出回るようになった。 出力が0.6W+0.6Wのものもある[18]。
日本のアナログテレビジョン放送が2011年7月24日(岩手県・宮城県・福島県は2012年3月31日)をもって終了したため、一旦はテレビVHFの1-3chの領域である90-108㎒の周波数を使う放送が予定されなかったことから、76-90㎒のみの周波数のみが聴けるものだけが製造された時期があったが、2014年以後ワイドFMが順次開局するようになったため、そのワイドFM対応のCDラジカセの販売は、東芝ライフスタイル株式会社(以下、東芝)、パナソニック、ソニーなどといった日本国内のすべてのメーカーで行われた。但し、前述の「テレビの音声が聴けるラジカセ」でも、ワイドFMを聴取できる機種は数多くある[注釈 7]。
2007年にiPhone、2009年にAndroidフォンが発売となったことで2010年代にスマートフォンが普及し、それを持ち歩くことが一般化し、音楽を手軽に楽しみたい場合はスマートフォンにイヤホンを挿して聴くことが一般的になり、そのほか特に高音質にこだわる場合はハイレゾ対応のデジタルオーディオプレーヤーで聴くようになった結果、ラジカセの販売台数は激減してゆき、東芝とソニーを除き、ほとんどの国内大手メーカーがラジカセ市場から撤退していった。
近年では日本国内で販売され日本のメーカー名が冠してあっても、実際にはOEM品で、中国を最筆頭に、台湾や香港、インドネシアなどアジア系海外メーカー、およびサプライヤーが開発・製造しているものがほとんどである。
2010年代後半になると、ラジカセは『逆に今 新しい』という状況になったと家電収集家の松崎順は分析した[20]。1990年代にほぼ消滅したと思われていたカセットテープが、2010年代後半に静かなブームになったという[21]。小原由夫の分析によると、音はデジタルファイルに圧縮するのが普通になって久しいのに「磁気記録」という古典的方式、しかも記録時間に制約があり表裏にひっくり返す手間など煩雑さもともなう記録メディアが再度静かなブームになったのにはそれなりの理由があるという[21]。ひとつには、ラジカセの外形が「レトロでかっこいい」というファッション的要素もあるかもしれない[21]。またカセットの音質そのものの温かみや厚みが支持されているのかも知れず、“ハイレゾ時代”だからこそ逆にカセットテープの音の温かみを感じやすくなったのかもしれない、と小原は分析した[21]。また、カセットテープは、CDやストリーミングサービスとは違って再生中は曲が簡単にスキップできないということが、逆にコンセプトアルバム的な音楽(最初から最後まで一貫して聴いてようやく伝わるコンセプト重視のアルバム)には都合がいいという特質が重用されている部分もあるらしい[21]。2015年ころにはカセットテープ専門店の『waltz』(ワルツ)もオープンし(waltzの公式サイト)、およそ5,000本のカセットテープを販売するようになった[20]。その店には『ニューリリース』と書かれた新譜(新曲)のカセットテープでの販売も行われている[20]。waltzの店主の角田太郎によると、アーティストがカセットテープで新作をリリースする動きも広がっているといい、テープやラジカセに興味を持つ若年層も増えている、とのことだった[20]。waltzではラジカセ本体の販売もしているという[20]。『今の若者は形ある物で音楽を聴くことの新鮮さを感じていると思う。特にカセットテープの手軽なサイズ感。かわいい手のひらサイズのパッケージとか、(カセットテープを) "おもしろいもの" として捉えていると思う』と角田は分析した[20]。
『ラジカセ誕生50周年』に当たるともされる2017年、8月2日から東京都内で『懐かしのラジカセ展』が開催され、会場にはラジカセ100機種が展示された[20]。
2020年代の日本国内の中規模家電量販店のラジカセ売り場の面積は小さくなってきており、棚に並んでいるのは、大手日本メーカー製は東芝(TOSHIBAブランドに加えAUREX(旧・Aurex)ブランドを含む)とソニーのラジカセのみとなっており、それ以外は家電量販店がオリジナルブランドの形で中国などのASEANメーカーから調達した機種を数点並べ、総計でも10機種前後というような状況になっている。こうした店に並ぶのは基本的にはシングルカセットのものである。 ダブルカセットの機種は減っており、総じて、売れ筋ではないと判断されている。
なお、ラジカセの中古品は1970〜1990年代のものが完動品・不動品を問わずハードオフやセカンドストリートなどリサイクルショップの棚に並んでおり、またメルカリやヤフオクでも大量に取引されており、ビンテージモデルや大出力モデルや個性的なモデルをそういった中古市場で手に入れることも広く行われている。
2024年現在、概して比較的コンパクトなサイズの製品が販売されている。
その他に
現行品の一覧。ただしすでに販売停止になっているものが含まれている可能性がある。
ソニー初代法人(現・ソニーグループ) → ソニーマーケティング → ソニー(2代目法人)。 現行品は上の節にまとめたので、ここでは基本的には古いものから順に、発売年も添えて書く。
東芝ライフスタイル(製造元・東芝エルイートレーディング)のラジカセ。 現行品は上の節にまとめたので、ここでは古いものから順に、発売開始年も添えて書くとよい。
(秋田県・十和田オーディオ)
現在整備中の表。
ブランド名 | 型式名 | メーカー名 | ステレオ/モノラルの別 | カセットの数(シングル/ダブル) | CD搭載? | 備考 | 最初のモデルの発売年 | 最終モデル(最新モデル)発売年 | メーカー販売(継続/終了) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
Belsona TRT-398 (ベルソーナ TRT-398) | 日立製作所 | (ラジカセ以前の製品)初のトランジスタラジオ搭載オープンリール式テープレコーダ。 | 1963年 | 終了 | |||||
RQ-231 | 松下電器産業(現・パナソニックホールディングス) | モノラル | シングル | 世界初の2バンドラジオ(FM・AM)式ラジカセ | 1967年12月 | 終了 | |||
TPR-101 | アイワ | モノラル | シングル | 国産初の3バンドラジオ(FM・SW・AM)式ラジカセ | 1968年5月 | 終了 | |||
スタジオ1980 | CF-1980 | ソニー | モノラル | シングル | ミキシング録音機能(音源としてラジオ、テープ、外部マイク、ライン入力から2系統を選択しミックス)。ツーウェイスピーカー(16cmウーファー + 5cmツイーター)。FM/AM。70万台というラジカセ史に残る販売台数を記録。[54][55] | 1974年 | 終了 | ||
スタジオ1990 | CF-1990 | ソニー | モノラル | シングル | スタジオ1980の拡張版。ミキシング録音機能(音源を3系統選択しミックス可)。2ウェイスピーカー(20cmウーファー + 5cmツイーター)。FM/SW/MW。[56] | 1976年 | 終了 | ||
SONAHAWK(ソナホーク) | ソニー | ステレオ | ダブル | CD | シリーズ最廉価機種のZS-3を除くほとんどの機種がメタルポジション用カセットテープの録音・再生、およびドルビーBタイプNRを用いた録音・再生にそれぞれ対応。FM/AM(このうちZS-8、およびZS-66のみAMステレオ放送受信機能に対応)。光デジタル出力端子(TOSリンク・S/PDIF)搭載。別売で付属のワイヤレスリモコンによる本体のリスニングポジションを任意でコントロール可能な電動ジャイロステージ(電動スイーベルスタンド)が用意されていた。 | 1990年 - 1995年 | 終了 | ||
メタルカセッターM70 | RC-M70 | 日本ビクター(現・JVCケンウッド) | ステレオ | シングル | 業界初のメタルポジション用カセットテープの録音・再生に対応した大型ステレオラジカセ。録音/再生・消去用の各種磁気ヘッドに同社の高級クラスのカセットデッキにも採用されたセンアロイ(SA)ヘッドを搭載。ワウ・フラッター0.065%(WRMS)を達成し、前後10曲の自動頭出し選曲やマイクミキシング録音・再生機能。針式左右独立VUレベルメーター。2ウェイステレオスピーカー(16cmウーファー + 5cmツイーター×2)。総合実用最大出力20W(10W + 10W)。FM/AM。 | 1979年9月 | 終了 | ||
メタルカセッターM60 | RC-M60 | 日本ビクター(現・JVCケンウッド) | ステレオ | シングル | メタルポジション用カセットテープの録音・再生に対応した大型ステレオラジカセ。録音/再生・消去用の各種磁気ヘッドに同社の高級クラスのカセットデッキにも採用されたセンアロイ(SA)ヘッドを搭載。2モーター・フルロジックメカニズムを採用し、ワウ・フラッター0.06%(WRMS)を達成。針式シングルレベルメーター(ただし、録音時のみ)。バイホニック・ステレオ・サウンド・システム。2ウェイステレオスピーカー(16cmウーファー + 5cmツイーター×2)。総合実用最大出力8W(4W + 4W)。FM(ワイドバンド対応)/AM。このほか、本機のオプションとして有線接続によるリモートコントローラー(リモコン)からの遠隔操作も可能だった。 | 1980年2月 | 終了 | ||
メタルカセッターM80 | RC-M80 | 日本ビクター(現・JVCケンウッド) | ステレオ | シングル | メタルポジション用カセットテープの録音・再生に対応した大型ステレオラジカセ。録音/再生・消去用の各種磁気ヘッドに同社の高級クラスのカセットデッキにも採用されたセンアロイ(SA)ヘッドを搭載。2モーター・フルロジックメカニズムを採用し、ワウ・フラッター0.055%(WRMS)を達成。ボルテージ式FM/AMシンセサイザーチューナー。2ウェイステレオスピーカー(16cmウーファー + 5cmツイーター×2)。総合実用最大出力12W(6W + 6W)。このほか、本機のオプションとして有線接続によるリモートコントローラー(リモコン)からの遠隔操作も可能だった。なお、メタルカセッターシリーズとしては唯一、レベルメーターを装備していない。 | 1980年6月 | 終了 | ||
メタルカセッターM50 | RC-M50 | 日本ビクター(現・JVCケンウッド) | ステレオ | シングル | メタルポジション用カセットテープの録音・再生に対応した中型ステレオラジカセでメタルカセッターシリーズの最廉価版として位置づけられた機種。録音/再生兼用磁気ヘッドに同社の普及クラスのカセットデッキにも採用されたメタパーム(ハードパーマロイ)ヘッドを、消去専用磁気ヘッドに2ギャップ・フェライトヘッドをそれぞれ搭載。ワウ・フラッター0.12%(WRMS)。LED式シングルレベルメーター。2ウェイステレオスピーカー(16cmウーファー + 5cmツイーター×2)。総合実用最大出力12W(6W + 6W)。FM(ワイドバンド対応)/AM。 | 1981年6月 | 終了 | ||
メタルカセッターM90 | RC-M90 | 日本ビクター(現・JVCケンウッド) | ステレオ | シングル | メタルポジション用カセットテープの録音・再生に対応した大型ステレオラジカセ。一連のステレオラジカセとしては唯一のANRS( ≒ ドルビーBタイプNR)/Super ANRSノイズリダクションシステムを搭載しているほか、録音/再生兼用磁気ヘッドに同社の普及クラスのカセットデッキにも採用されたメタパーム(ハードパーマロイ)ヘッドを、消去専用磁気ヘッドにセンアロイ(SA)ヘッドをそれぞれ搭載。2モーター・フルロジックメカニズムを採用し、ワウ・フラッター0.05%(WRMS)を達成。針式左右独立VUレベルメーター。2ウェイステレオスピーカー(20cmウーファー + 6.5cmツイーター×2)。総合実用最大出力30W(15W + 15W)。FM(ワイドバンド対応)/AM。このほか、本機のオプションとして有線接続によるリモートコントローラー(リモコン)からの遠隔操作も可能だった。 | 1981年8月 | 終了 | ||
おしゃれなテレコ U4 | 三洋電機 | ステレオ | シングルまたはダブル | (ごく一部の機種にCD搭載モデルあり) | 1979年 - 2009年 | 終了 | |||
ACTAS(アクタス) | 東京芝浦電気(現・東芝) | モノラル | シングル | 1973年 - 1978年 | 終了 | ||||
ACTUS BOMBEAT | 東京芝浦電気(現・東芝) | ステレオ | シングル | 1977年 | 終了 | ||||
BOMBEAT(ボンビート) | 東京芝浦電気(現・東芝) | ステレオ | シングル | 1978年 - 1984年 | 終了 | ||||
SUGAR(シュガー) | 東芝 | ステレオ | シングルまたはダブル | 1984年 - 1989年 | 終了 | ||||
SUGAR CD | 東芝 | ステレオ | シングル | CD | 1986年 - 1988年 | 終了 | |||
CD WORKS(シーディーワークス) | 東芝 | ステレオ | シングル | CD | 1987年 - 1990年 | 終了 | |||
CUTEBEAT(キュートビート) | 東芝ライフスタイル | ステレオ | シングル | CD | 2006年 - 2014年 | 終了 | |||
Aurex TY-AK1 | 東芝ライフスタイル | ステレオ | シングル | CD | 世界初のハイレゾ音源対応CDラジカセ。SDカードおよびUSBメモリ対応。[注釈 8] | 2018年3月 | 終了 | ||
Aurex TY-AK2 | 東芝ライフスタイル | ステレオ | シングル | CD | 上記のTY-AK1のリファイン版にあたるハイレゾ音源対応CDラジカセ。基本的な機能はTY-AK1から継続されているが、新たにBluetoothインターフェース(受信のみならず送信にも対応)が追加された。また、カセットデッキ部分はTY-AK1同様、ハイポジション用カセットテープの再生に対応。 | 2020年10月 | 終了 | ||
AUREX TY-AK21 | 東芝ライフスタイル | ステレオ | シングル | CD | 上記のTY-AK2のマイナーチェンジ版にあたるハイレゾ音源対応CDラジカセ。基本的な機能は上記のTY-AK2と同一。 | 2023年7月 | 継続中 |
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