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アメリカのロックバンド ウィキペディアから
ボン・ジョヴィ(英語: Bon Jovi)は、アメリカ合衆国 ニュージャージー州出身のロックバンド。全米を代表するハードロック・グループの一つ。デビュー早々から成功を収め、特に3rdアルバム『Slippery When Wet』が1000万枚を超える大ヒットを飛ばして以降、世界的な知名度を誇っている。『グラミー賞』では9回ノミネートされ、1回受賞し[8]、2018年には『ロックの殿堂』入りした。
ボン・ジョヴィ | |
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基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州セアビル |
ジャンル | |
活動期間 | 1983年 - |
レーベル | |
事務所 | BJM |
公式サイト | ボン・ジョヴィ公式サイト |
メンバー | |
旧メンバー |
|
1984年デビュー。1986年発表の3rdアルバム『Slippery When Wet』がBillboard 200で8週連続1位を獲得、1988年発表の4thアルバム『New Jersey』もBillboard 200で4週連続1位[9]するほどのセールスを記録し[9]、シングルカットされた楽曲の多くがBillboard Hot 100で1位となり[10]、大規模なワールドツアーを敢行し、当時の音楽ムーブメントも後押しし、MTVやラジオ、メディアでのマーケティングにより一躍有名となったバンド。
2004年にはアメリカン・ミュージック・アワードから「功労賞」を受賞されており[11]、2006年には「UK音楽の殿堂」入りをしている[12]。2007年にはジェニファー・ネトルズとデュエットした「Who Says You Can't Go Home」で第49回グラミー賞「最優秀カントリー・オブ・ポピュラー・ミュージック(NAPM)設立による「ソングライターの殿堂」入りをしている[13][14]。
世界各国で開催しているライヴは、2008年の『Lost Highway Tour』、2010年の『The Circle Tour』、2013年の『Because We Can: The Tour』が、その年最も収益をあげたツアーに選ばれている[15][16][17]。
ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて15位。80年代結成のロックバンドのトップ3である。
トータルセールスは、1億3000万枚以上[18]。
ヴォーカルでリーダーであるジョン・ボン・ジョヴィは、両親の影響からレコーディングスタジオでアルバイトを始め、16歳から知り合いで同い年のデヴィッド・ラッシュバウム(デヴィッド・ブライアン)らとバンドを結成し、レコーディングスタジオが使われない深夜の時間にレコーディングを行いデモを作成し、主に地元のニュージャージー州でライヴ活動を行っていた。1983年になるとアレック・ジョン・サッチが参加。彼がティコ・トーレスを連れてきてライヴ活動に参加した。その後、ジョン・ボン・ジョヴィ&ジ・ワイルド・ワンズとしてのショウを観に来ていたリッチー・サンボラがデイヴ・セイボに代わってバンドに加入し、デビュー時のメンバーが揃った[19]。
1984年、ファーストアルバム『Bon Jovi』(邦題:夜明けのランナウェイ)をリリース。
この年、バンドはスコーピオンズのサポートとして北米ツアーに帯同、キッスのサポートとしてヨーロッパツアーに帯同した。
また,8月4日から12日にかけて行われたSUPER ROCK '84 IN JAPANに出演し,初来日ライブを開催した。
1985年、 2ndアルバム『7800° Fahrenheit』を発表。
アルバムに収録されている「TOKYO ロード」は、日本のファンへ感謝の意を込めて作られた。なお、本作からデヴィッドはラッシュバウムからブライアンに改名している。
バンドはアルバム発表直後に来日し、バンド初の単独公演を日本で開催した[20]。その後、ヨーロッパツアーを行い、イギリスのドニントン・パークで開催されたロック・フェスティバル『モンスターズ・オブ・ロック』に出演。その後、ラットのサポートとして北米ツアーに帯同する。
1986年、プロデューサーにブルース・フェアバーンを迎えて制作された3rdアルバム『Slippery When Wet』(邦題:ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)を発表。その後、西ドイツ(当時)のニュルンベルクで開催された『モンスターズ・オブ・ロック』に出演、38スペシャルのサポートアクトとして全米ツアーを敢行。このツアー中にアルバムがBillboard 200で1位を獲得し(8週連続)[9]、シングル「You Give Love A Bad Name」(禁じられた愛)、「Livin' On A Prayer」もBillboard Hot 100で1位となり、バンドは一躍有名になった[10]。
1987年は年始からワールド・ツアーを開始。8月にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン3日間公演を行い、イギリスのドニントン・パークで開催された『モンスターズ・オブ・ロック』にはヘッドライナーとして出演した。9月には日本公演を行った。10月のツアー終了までにアルバム『Slippery When Wet』は全世界でおよそ1800万枚セールスしたとされている[20]。
1988年9月、4thアルバム『New Jersey』(ニュージャージー)を発表。Billboard 200・全英アルバムチャートで1位を獲得[9][21]。シングル「Bad Medicine」(バッド・メディシン)と「I'll Be There For You」(アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー)もBillboard Hot 100で1位を獲得[10]。8月にはモスクワで開催された『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』にヘッドライナーとして出演。オジー・オズボーン、モトリー・クルー、スコーピオンズ・スキッド・ロウらと共演した。9月にはジョンとリッチーがMTV Video Music Awards授賞式で「Livin' On A Prayer」と「Wanted Dead Or Alive」をアコースティック・アレンジでパフォーマンス[22]。これを機にMTVが『MTVアンプラグド』を制作し、放送が開始された[23]。
1990年、2年に及ぶロング・ツアーが2月に終了。合計で300を超える公演を行った。連日のハードスケジュールでメンバーが消耗しきってしまい、疲労とストレスからメンバー間の口論やトラブルも多くなり、メディアでは解散が噂される様になる[20]。8月にジョンは映画『ヤングガン2』にインスパイアされて制作したソロ・アルバム『Blaze Of Glory』(ブレイズ・オブ・グローリー)を発表。Billboard 200で1位を獲得する。シングル「Blaze Of Glory」もBillboard Hot 100で1位となった[24]。12月、解散騒動の最中、地元ニュージャージー州のカウント・ベイシー シアターでクリスマス・チャリティー・コンサートを開き、以後この時期のチャリティー・コンサートは恒例となる。しかし、ボン・ジョヴィの本格的な活動再開にまでは至らなかった。9月にはリッチーが1stソロ・アルバム『Stranger In This Town』を発表する。そして、同年秋にメンバーがバハマ諸島でバンドについて話し合いの場を設け、数年間ツアーやアルバム制作を一旦中止し、全員で休養を取ることに合意し、そこから再度アルバム制作をすることを誓い合った[25]。
1992年、新しくマネージメント会社BJM(ボン・ジョヴィ・マネージメント)を設立。プロデューサーにボブ・ロックを迎えて制作された5thアルバム『Keep The Faith』を発表。アメリカではオルタナティブ・ロックが全盛期であったが、Billboard 200最高位5位と健闘し[9]、全英アルバムチャートでは1位を獲得した[21]。
1993年のツアーでは、前2作で設定された公演数の約半分以下にし70回程度の公演数に抑えた。
1994年10月、初のベスト・アルバム『Cross Road』を発表した。これまでのヒット曲に加えて、2曲の新曲「Someday I'll be Saturday night」「Always」を収録。アルバムはアメリカ盤・日本盤・インターナショナル盤の3種類で発売され、アメリカ盤には「Livin' On A Prayer」をアコースティック調にリメイクした「Prayer '94」が、日本盤には「TOKYO Road」が、インターナショナル盤には「In These Arms」が収録された。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得し[21]、日本では初となるオリコンチャート1位を獲得し[26]、ミリオンセラーとなった[27]。新曲「Always」はBillboard Hot 100最高位4位とヒットした[10]。ところが、『Cross Road』発売と同時期にアレックの脱退が発表される。理由は「もっと自分の生活を楽しみたい」というものであった[28]。後任のベーシストには、メンバーの旧友であるヒュー・マクドナルドをサポート・メンバーに迎えた。
1995年5月、福岡・西宮(兵庫県)・東京で日本公演を開催し、チケット代の一部を同年に発生した阪神・淡路大震災の被災者義援金として寄付した[29]。6月に6thアルバム『These Days』を発表。全英アルバムチャート1位を獲得[21]。ツアーはロンドンのウェンブリー・スタジアム3日間公演など大規模なコンサートを開催した。一方、メンバー個人の活動としてジョンは俳優業を本格的にスタートしており、9月には映画デビュー作『ムーンライト&ヴァレンチノ』が公開された。ティコは絵画・彫刻アーティストとしてニューヨークなど数か所で個展を開催した[29]。7月のツアー終了はバンド活動を休止し、ソロ活動となった。年末にはジョンの初主演作『妻の恋人、夫の愛人』が公開された。
1997年、ジョンは6月にアルバム『Destination Anywhere』を発表。リッチーは12月に2ndアルバム『Undiscovered Soul』を発表した。デヴィッドは1994年発表の『On A Full Moon』に続く2ndアルバム制作を進めていた矢先に指に大怪我を負ってしまい、およそ2年間治療とリハビリの生活を強いられることになった。
1999年、ジョンは映画「アルマゲドン」のサウンドトラックへ楽曲『Mister Big Time』を提供。チャリティの為にRolling Stonesの「It's Only Rock N' Roll」を多彩なアーティストが歌うレコーディングへ参加。
その後、バンド活動再開。映画『エドtv』主題歌に「Real Life」を提供(デヴィッドは不参加)。6月から本格的なレコーディングがスタートする。
2000年5月、およそ5年ぶりとなる7thアルバム『Crush』を発表。アルバムのプロデューサーにルーク・エヴィンを迎えた。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得[21]。リード・トラックのシングル「It's My Life」はボン・ジョヴィの新たなアンセムとしてヒットした。7月から開催されたワールド・ツアーは日本からスタートし、4大ドームツアーを行った[30]。8月にはウェンブリー・スタジアムで、解体前最後のコンサートを開催した[31]。
5月には初のライブ・アルバム『One Wild Night Live 1985-2001』を発表。7月には地元ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムでツアー最終公演を行った。9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こると、各チャリティー活動に参加した。
2002年2月、ソルトレークシティオリンピック閉会式でパフォーマンス。9月にはニューヨークのタイムズスクエアで開催されたイベント『NFL Kickoff Live From Times Square』にヘッドライナーとして出演[32]。
その後、8thアルバム『Bounce』を発売。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を受けたアルバムとなった[33]。
アルバム「バウンス」発表当日の2002年9月11日ZEPP東京で行われた招待客のみのスペシャル・ライヴを行う。これは日本のファンに小さな箱で必ずライヴをする、と約束していたからで、敢えてアメリカ同時多発テロから1年のこの日に行われた。このライヴはアルバム「バウンス」を予約すると応募券が付いており、その応募で当選した人のみのスペシャルライヴだった。他に札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡にて衛星生中継された。因みにこの衛星生中継は、アルバムBOUNCE予約者の中から抽選で各地300名が招待された。
2003年、『第37回スーパーボウル』にてパフォーマンス[34]。6月にはアイルランド共和国ダブリンで開催された『第11回スペシャルオリンピックス夏季大会』開会式に出席してパフォーマンス[34]。ロンドンではハイド・パーク公演を開催した。ワールド・ツアーは、8月のジャイアンツ・スタジアム公演で終了した。10月には、これまでの曲をアレンジしたアルバム『This Left Feels Right』を発表。1月に行った横浜公演のライヴ音源をボーナス・トラックに収録している。
2004年、デビュー20周年とトータルセールス1億枚突破を記念して、デモ音源や未発表音源を多数収録した4枚組ボックス・セット『100,000,000 Bon Jovi Fans Cant Be Wrong』を発表。リッチーやデヴィッド、ティコがメインボーカルとなっている曲も収録されている。
2005年7月、世界同時に行われたチャリティー・コンサート『LIVE 8』にフィラデルフィアから出演。9月には、プロデューサーにジョン・シャンクスを迎えて制作した9thアルバム『Have A Nice Day』を発表。アメリカではジェニファー・ネトルズとデュエットしてカントリー・ミュージック調にアレンジした「Who Says You Can't Go Home」がロック・アーティストとしては初めてビルボードのHot Country Songsチャートで1位を獲得した[35]。
2007年、第49回グラミー賞において「Who Says You Can't Go Home」(Bon Jovi & Jennifer Nettles)が「最優秀カントリー・コラボレーション賞」を受賞した[36]。6月には10thアルバム『Lost Highway』を発表し、ロンドンではO2アリーナのこけら落し公演を行った。その後日本にて神戸・東京でのスペシャル・ライヴに参加した。、Billboard 200でも『New Jersey』以来19年ぶりに1位を獲得[9]。10月には地元ニュージャージーにオープンしたプルデンシャル・センターで10日間のこけら落し公演を皮切りにワールド・ツアーを開始。
7月、地球温暖化防止活動のためのチャリティー・コンサート『ライブ・アース』にジャイアンツ・スタジアムから出演。ニューヨークのセントラル・パークではニューヨーク市やMLB、多数の企業の協賛による大規模なフリー・コンサートを開催した[15]。ワールド・ツアーは7月末に終了し、『Lost Highway Tour』はビルボード誌による2008年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった[37]。
4月から開催された『トライベッカ映画祭』に『Lost Highway Tour』の模様を追ったドキュメンタリー映画『When We Were Beautiful』が出品された。10月にはデヴィッドが音楽・作詞を手掛けたブロードウェイ・ミュージカル『メンフィス』(Memphis)が上演開始となった。11月には11thアルバム『The Circle』を発表。Billboard 200でも1位を獲得した[9]。
2010年、2月からワールド・ツアー開始。5月にはジャイアンツ・スタジアムの老朽化に伴って新築されたニュー・メドウランズ・スタジアム(メットライフ・スタジアム)公演を行った。6月にはO2アリーナで12日間公演を行った。なお、6月13日公演のみデヴィッドは不参加となった(第64回トニー賞授賞式出席のため)[38]。11月には『Cross Road』からおよそ16年ぶりとなるベスト・アルバム『Greatest Hits』を発表。CDでは2枚組となる『Greatest Hits –The Ultimate Collection』を発表、さらにアメリカ盤・インターナショナル盤・日本盤で収録曲が異なる内容になっている。『The Circle Tour』はビルボード誌による「Top 25 Tours of 2010」第1位となった[16]。
2011年、東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・アルバム『Songs For Japan』に参加。4月にはリッチーがアルコール依存症治療のためツアー不参加となり[39]、代役としてフィルXが参加した。ツアーは7月末のポルトガルリスボン公演で終了した。
2012年9月、リッチーが3rdソロ・アルバム『Aftermath Of The Lowdown』を発表。この時点でボン・ジョヴィのニュー・アルバムはほぼ完成していたが、バンドとしては2013年から活動再開することになった[40]。
2013年1月、「Because We Can」を全世界に音楽配信。2月から『Because We Can: The Tour』を開始。3月に12thアルバム『What About Now』を発表。Billboard 200で1位を獲得した[9]。ところが、リッチーが4月2日のカナダカルガリー公演から不参加となり、フィルXが代役として再び参加した[41]。9月にはティコの入院により南米ツアーが延期され、一部が中止となった[42]。代役には地元ニュージャージー出身のリッチ・スキャネラが参加していたが、10月8日のカリフォルニア州フレズノ公演から復帰した[43]。このツアーは、ポールスター誌による2013年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった[17]。
2014年、デビュー30周年。7月にはニューヨークの名称となってから350年を記念して、町に縁のあるアーティストのライヴを上映する『NY LIVE!』の第4弾として、ボン・ジョヴィ『インサイド・アウト』が日本国内の劇場で公開された[44]。また、ボン・ジョヴィ初となる“デラックス・エディション”シリーズとして、4thアルバム『New Jersey』のデラックス・エディションを発売。アルバム制作当時、バンド側は2枚組でのアルバム発売を構想していたが、レコード会社の指示で1枚になったという[45]。今回のデラックス・エディションには、『Sons Of Beaches』(サンズ・オブ・ビーチズ)として制作されていたデモ音源や未発表曲が収録されている。
なお、リッチーについてジョンはショービズ411によるインタービューで「もうやめたんだよ。リッチーはもういないんだ。でも、悪い感情は全然ないよ。バンドをやるのには、なにも終身の義務じゃなくてもいいってことだよ。」と述べているが[46]、正式発表はない。
2015年、新曲と未発表曲で構成されたアルバム『Burning Bridges』を発表[47]。
2016年10月、リッチーなしでは初となる完全新作アルバム『This House Is Not for Sale』を発表。このアルバム以降、長らくサポートメンバーを務めていた、ヒューとフィルを正式メンバーとして発表した。
2017年12月には2018年度のロックの殿堂に殿堂入りが決まった[48]。式典は2018年4月14日に行われた。ジョン、デヴィッド、ティコ、ヒューと元メンバーのリッチー、アレックの六人が殿堂入りし、プレゼンテーターはアメリカのラジオパーソナリティーハワード・スターンが務めた。パフォーマンスでは「You Give Love a Bad Name」、「Livin' On a Prayer」、「It's My Life」、「When We Were Us」の四曲をリッチー、アレックと共にパフォーマンスした。またバンドの故郷であるニュージャージー州の知事であるフィル・マーフィーは式典当日を「ボン・ジョヴィの日(Bon Jovi Day)」とした。[49]
2020年10月、コロナパンデミックに影響を受けた曲を含んだ「2020」を発表した。
2024年6月7日、新型コロナの流行から抜け出し、人々が再び交流を持つようになった時に感じた『人生に対する新しい感謝』をテーマしたアルバム『フォーエヴァー』(Forever)を発売。アルバムのレコーディングは7週間という短期間で行われた[50]。
日本では1984年8月にロック・フェスティバル『SUPER ROCK '84 IN JAPAN』出演のために初来日した。
バンドにとって日本は縁が深い国であり、初のゴールドディスク獲得や単独公演を経験している。また、「俺たちを最初に評価してくれたのは、日本のみんな」とライブで発言しているように、日本のファンを高く評価している[51]。
1989年にはアルバム「ニュージャージー」が第3回日本ゴールドディスク大賞「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)となり、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した[52]。2003年には日本国外のアーティストでは初となる5大ドームツアーを開催している。
名前 | パート | 備考 |
---|---|---|
元メンバー | ||
デイヴ・セイボ(Dave Sabo) | ギター、コーラス | 現在はスキッド・ロウギタリスト。リッチー加入前に参加していた |
アレック・ジョン・サッチ(Alec John Such) | ベース、コーラス | 1994年脱退、2022年6月5日死去。70歳没[74]。 |
リッチー・サンボラ(Richie Sambora) | ギター、ボーカル | 公式的な発表はなされていないが、2014年のジョンの発言から事実上脱退とされている[46]。 |
サポート・メンバー | ||
エヴァーレット・ブラッドレイ(Everett Bradley) | パーカッション、コーラス | 2003年に加入。2016年からツアーに参加。 |
ボビー・バンディエラ(Bobby Bandiera) | ギター、コーラス | 2005年から2015年まで参加。 |
ロレンザ・ポンス(Lorenza Ponce) | ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コーラス | 2005年から2015年まで参加。 |
カート・ジョンストン(Kurt Johnston) | ペダルスティール・ギター、バンジョー、マンドリン、ドブロ、コーラス | 2006年から2008年まで参加。 |
ジェフ・カジー(Jeff Kazee) | キーボード、オルガン、コーラス | 2005年に加入。2010年にデヴィッドの代役として参加。 |
リッチ・スキャネラ(Rich Scanella) | ドラムス、コーラス | 2013年にティコの代役として参加。 |
マット・O・リー(Matt O' Ree) | ギター、コーラス | 2015年にリズムギター、アコースティックギターを担当。 |
ジョン・シャンクス (John Shanks) | ギター、コーラス | 2015年より参加。 |
※日付は日本盤発売日。
年 | 日 | # | 会場 |
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SUPER ROCK '84 IN JAPAN[† 1] | |||
1984年 | 8月4日 | 001 | ナゴヤ球場 |
8月6日 | 002 | 福岡スポーツセンター | |
8月8日 | 003 | 大阪南港 | |
8月9日 | 004 | ||
8月11日 | 005 | 西武球場 | |
8月12日 | 006 | ||
7800°FAHRENHEIT TOUR | |||
1985年 | 4月20日 | 007 | 中野サンプラザ |
4月21日 | 008 | ||
4月24日 | 009 | 名古屋市公会堂 | |
4月25日 | 010 | 大阪厚生年金会館 | |
4月28日 | 011 | 渋谷公会堂 | |
4月29日 | 012 | ||
4月30日 | 013 | ||
5月2日 | 014 | 北海道厚生年金会館 | |
JAPAN TOUR 1986[89] | |||
1986年 | 8月11日 | 015 | 愛知厚生年金会館 |
8月12日 | 016 | 福岡サンパレス | |
8月13日 | 017 | フェスティバルホール | |
8月14日 | 018 | ||
8月16日 | 019 | 神戸国際会館 | |
8月18日 | 020 | 日本武道館 | |
8月20日 | 021 | 横浜文化体育館 | |
8月21日 | 022 | 宮城県民会館 | |
8月23日 | 023 | 青森市文化会館 | |
8月25日 | 024 | 北海道厚生年金会館 | |
FromA LIVE-ALIVE '87 SPECIAL BON JOVI[90] | |||
1987年 | 9月24日 | 025 | 日本武道館 |
9月25日 | 026 | ||
9月28日 | 027 | ||
9月29日 | 028 | ||
9月30日 | 029 | ||
10月1日 | 030 | 横浜文化体育館 | |
10月3日 | 031 | 愛知県体育館 | |
10月5日 | 032 | 大阪城ホール | |
10月6日 | 033 | ||
10月7日 | 034 | 静岡産業館 | |
Heat Beat Live '89 in Big Egg 【FINAL COUNT DOWN】[† 2][91] | |||
1988年 | 12月31日 | 035 | 東京ドーム |
Heat Beat Live '89 in Big Egg 【BLAST OFF TOKYO】[† 3][92] | |||
1989年 | 1月1日 | 036 | 東京ドーム |
Sanyo Heat Beat Live '89 BON JOVI[† 3] | |||
1989年 | 1月5日 | 037 | 大阪城ホール |
1月6日 | 038 | ||
- | |||
1月9日(振替) | 039 | 大阪城ホール | |
1月10日 | 040 | 名古屋レインボーホール | |
1月11日 | 041 | ||
電話100年記念 NTTスーパーコミュニケーション THE BIG JOINT TOUR[† 4][93] | |||
1990年 | 12月31日 | 042 | 東京ドーム |
電話100年記念 NTTスーパーコミュニケーション BON JOVI[94] | |||
1991年 | 1月3日 | 043 | 横浜アリーナ |
1月5日 | 044 | 名古屋レインボーホール | |
1月8日 | 045 | 大阪城ホール | |
1月9日 | 046 | ||
Keep The Faith Tour[95] | |||
1993年 | - | ||
6月3日 | 047 | 日本武道館 | |
6月4日 | 048 | ||
6月6日(昼) | 049 | 国立代々木競技場第一体育館 | |
6月6日(夜) | 050 | ||
6月7日 | 051 | ||
6月9日 | 052 | 大阪城ホール | |
6月10日 | 053 | ||
6月12日 | 054 | 広島サンプラザ | |
6月13日 | 055 | 名古屋国際会議場 センチュリーホール | |
6月16日 | 056 | グリーンドーム前橋 | |
6月17日 | 057 | 横浜文化体育館 | |
JAPAN TOUR 1995[96] | |||
1995年 | 5月13日 | 058 | 福岡ドーム |
5月16日 | 059 | 阪急西宮スタジアム | |
5月19日 | 060 | 東京ドーム | |
VOLKSWAGEN PRESENTS BON JOVI Japan Tour 1996[97] | |||
1996年 | 5月14日 | 061 | 福岡ドーム |
5月16日 | 062 | 阪急西宮スタジアム | |
5月18日 | 063 | 横浜スタジアム | |
5月19日 | 064 | ||
5月20日 | 065 |
年 | 日 | # | 会場 |
---|---|---|---|
JAPAN TOUR 2000 | |||
2000年 | 7月12日 | 066 | 東京ドーム |
7月13日 | 067 | ||
7月15日 | 068 | ナゴヤドーム | |
7月18日 | 069 | 福岡ドーム | |
7月20日 | 070 | 大阪ドーム | |
ONE WILD NIGHT TOUR | |||
2001年 | 3月28日 | 071 | 横浜アリーナ |
3月29日 | 072 | ||
3月31日 | 073 | 大阪ドーム | |
4月3日 | 074 | ナゴヤドーム | |
4月5日 | 075 | 東京ドーム | |
BON JOVI - MTV NATIONWIDE LIVE | |||
2002年 | 9月11日 | 076 | Zepp Tokyo |
BOUNCE WORLD TOUR 2003 | |||
2003年 | 1月8日 | 077 | 札幌ドーム |
1月11日 | 078 | 大阪ドーム | |
1月12日 | 079 | ||
1月14日 | 080 | 福岡ドーム | |
1月16日 | 081 | 東京ドーム | |
1月17日 | 082 | ||
1月19日 | 083 | 横浜アリーナ | |
1月21日 | 084 | ナゴヤドーム | |
BON JOVI HAVE A NICE DAY Supported by RAV4 | |||
2006年 | 4月8日 | 085 | 東京ドーム |
4月9日 | 086 | ||
4月12日 | 087 | ナゴヤドーム | |
4月14日 | 088 | 大阪ドーム | |
4月15日 | 089 | ||
4月18日 | 090 | 札幌ドーム | |
ASAHI SUPER DRY THE SUPER DRY LIVE[† 5] | |||
2007年 | 6月28日 | 091 | 神戸ワールド記念ホール |
6月30日 | 092 | 日本武道館 | |
WOWOW presents Lost Highway supported by LAWSON | |||
2008年 | 1月11日 | 093 | ナゴヤドーム |
1月13日 | 094 | 東京ドーム | |
1月14日 | 095 | ||
1月16日 | 096 | 京セラドーム大阪 | |
THE CIRCLE TOUR[注 3][51] | |||
2010年 | 11月30日 | 097 | 東京ドーム |
12月1日 | 098 | ||
Because We Can: The Tour | |||
2013年 | 12月3日 | 099 | 京セラドーム大阪 |
12月4日 | 100 | 東京ドーム | |
BON JOVI THIS HOUSE IS NOT FOR SALE 2018 TOUR | |||
2018年 | 11月26日 | 101 | 東京ドーム |
11月27日 | 102 | 京セラドーム大阪 |
公開年 | タイトル | 映画タイトル | 備考 |
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1987年 | エッジ・オブ・ア・ブロークン・ハート | 『ファット・ボーイズの突撃ヘルパー』(Disorderlies) | 日本では劇場未公開 |
1990年 | ヤツらは町へ | 『ネイビー・シールズ』(Navy Seals) | シン・リジィのカバー |
1991年 | ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ | 『ハーレーダビッドソン&マルボロマン』(Harley Davidson and the Marlboro Man) | 日本では1992年公開 |
1994年 | グッド・ガイズ・ドント・オールウェイズ・ウェア・ホワイト | 『カウボーイ・ウェイ/荒野のヒーローN.Y.へ行く』(The Cowboy Way) | 日本では劇場未公開 |
1999年 | リアル・ライフ | 『エドtv』(EDtv) | 日本では2000年公開 |
2001年 | リヴィン・オン・ア・プレイヤー | 『ロック・スター』(Rock Star) | |
2003年 | 『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(Charlie's Angels: Full Throttle) | ||
2004年 | 『スクービー・ドゥー2 モンスターパニック』(Scooby-Doo 2: Monsters Unleashed) | ||
2007年 | ロスト・ハイウェイ | 『団塊ボーイズ』(Wild Hogs) | 日本では2008年公開 |
ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ |
年 | タイトル | タイアップ先 | 備考 |
---|---|---|---|
1988年 | プライス・オブ・ラヴ | TBS系『日立 世界・ふしぎ発見!』エンディング・テーマ | |
リヴィン・オン・ア・プレイヤー | 富士フイルム「AXIA」CMソング | CMにはメンバーも出演した | |
バッド・メディシン | SANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHS」CMソング | ||
2000年 | サンキュー | テレビ朝日系ドラマ『29歳の憂うつ パラダイスサーティー』主題歌 | |
セイヴ・ザ・ワールド | ギャガ映画『U-571』日本版イメージ・ソング | 映画にはジョンが出演している | |
イッツ・マイ・ライフ | NEC「LaVie」CMソング | ||
2002年 | バウンス | フジテレビ系ドラマ『ダブルスコア』挿入歌 | |
ディスタンス | アサヒビール「スーパードライ」CMソング | ||
2005年 | ハヴ・ア・ナイス・デイ | TOYOTA「RAV4」CMソング | |
2006年 | J SPORTS『J SPORTS STADIUM』テーマソング | ||
2008年 | ロスト・ハイウェイ | NHK総合テレビ・NHK BS1『メジャーリーグ中継』エンディング曲 | |
2009年 | ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー | Wii専用ゲームソフト「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー」CMソング | |
2010年 | 禁じられた愛 | 日清食品「カップヌードル」CMソング | 替え歌で使用された |
2011年 | ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー | J SPORTS『メジャーリーグ中継』テーマソング | |
2024年 | レジェンダリー | フジテレビ系水10ドラマ『ブルーモーメント』主題歌[98] | |
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