マーク・マランソン

アメリカ合衆国の野球選手 (1985-) ウィキペディアから

マーク・マランソン

マーク・デビッド・マランソンMark David Melancon,[注釈 1] 1985年3月28日 - )は、アメリカ合衆国コロラド州ジェファーソン郡ウィートリッジ英語版出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。愛称はストレッチ[2]

概要 基本情報, 国籍 ...
マーク・マランソン
Mark Melancon
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アトランタ・ブレーブス時代
(2020年9月12日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 コロラド州ジェファーソン郡ウィートリッジ英語版
生年月日 (1985-03-28) 1985年3月28日(39歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 MLBドラフト9巡目
初出場 2009年4月26日
最終出場 2022年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国
WBC 2017年
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概要 獲得メダル, 男子 野球 ...
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同じくメジャーリーガー(外野手)であるJ.B.シャックとは義理の兄弟の関係である[3]

経歴

要約
視点

プロ入りとヤンキース時代

2006年MLBドラフト9巡目(全体284位)でニューヨーク・ヤンキースから指名を受け、入団。同年はA級スタテンアイランド・ヤンキースでデビューを果たすが、10月にトミー・ジョン手術を受け、翌2007年を棒に振る。

2008年はA+級タンパ・ヤンキース、AA級トレントン・サンダー、AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースと、マイナー3つの階級すべてでロングリリーフとして起用され、リリーフのみで計44試合・95イニングに登板し、8勝1敗、防御率2.27という好成績を残す。シーズン終了後、ベースボール・アメリカ誌はマランソンをヤンキース組織内第9位の有望株と評価した。

2009年4月25日に初めてのメジャー昇格を果たすと、26日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビューを果たし、2イニングを無失点に抑える。その後、5月8日にAAA級スクラントンへ降格するが、7月9日に再びメジャーに昇格した。

アストロズ時代

2010年7月末にランス・バークマンとのトレードで、ジミー・パレデスと共にヒューストン・アストロズへ移籍した。

レッドソックス時代

2011年12月14日にジェド・ラウリーカイル・ウィーランド英語版とのトレードで、レッドソックスへ移籍した[4]2012年のシーズンは、4月17日のテキサス・レンジャーズ戦で3本の本塁打を浴びるなど一死もとれず6失点と炎上するなど、最初の4試合で防御率49.50となり、AAA級ポータケット・レッドソックスへ降格した[5]。6月10日にメジャーへ復帰するも最終的に41試合に登板し防御率6.20と期待を大きく裏切る結果となった。

パイレーツ時代

2012年12月26日にジョエル・ハンラハンブロック・ホルトとのトレードで、イバン・デヘスース・ジュニアジェリー・サンズストルミー・ピメンテルと共にピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[6]

2013年オールスターゲームに初めて選出されたが、登板はなかった。また、抑えのジェイソン・グリーリ故障者リストに入った間は、代役を務めた。最終的に72試合に登板し、3勝2敗16セーブ26ホールド・防御率1.39と好成績を残した。セントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズで、ポストシーズン初登板を果たしたが、第5戦の1-3で迎えた8回裏に登板し、マット・アダムスに本塁打を浴びるなど、3失点を喫してしまい、大事な場面で抑えられず、チームは敗退してしまった。

2014年1月17日にパイレーツと259万5000ドルの1年契約に合意した[7][8]。移籍2年目となる2014年シーズンは、前年から調子を落としたグリーリに代わりクローザーに定着。2年連続1.00台となる防御率1.90、いずれも自己ベストの33セーブ・WHIP0.87をマークし、チームのプレーオフ進出に大きく貢献した。10月1日のサンフランシスコ・ジャイアンツとのワイルドカードゲームでは、0-8で迎えた9回表に登板して無失点に抑えたが、チームはそのまま敗退してしまった。オフには日米野球2014のMLB選抜に選出された[9]

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ピッツバーグ・パイレーツ時代
(2015年7月13日)

2015年も抑えで起用され、両リーグ最多の51セーブを挙げ、セーブ失敗もわずか2回と、安定した活躍を見せた。3年連続での防御率1点台が終盤まで期待されたが、9月28日のカージナルスとの首位攻防戦での登板で、スコア0-0で迎えた9回裏に3失点を喫してしまい、防御率が2点台となってしまった。10月7日のシカゴ・カブスとのワイルドカードゲームでは、0-4で迎えた9回表に登板して無失点に抑えたが、チームはそのまま敗退してしまった。

2016年は7月までに45試合に登板し、1勝1敗30セーブ、防御率1.51と好調を維持していた。

ナショナルズ時代

2016年7月30日にフェリペ・リベロテイラー・ハーンとのトレードでワシントン・ナショナルズへ移籍した[10]。移籍先でも抑えとして起用され、30試合で17セーブ、防御率は1.82であった。シーズン通算では4年連続70試合以上となる75試合登板でナショナルリーグ3位となる47セーブを挙げ、防御率は2年ぶりの1点台となる1.64を記録した。オフにフリーエージェント(FA)となった。

ジャイアンツ時代

2016年12月5日にサンフランシスコ・ジャイアンツと4年総額6200万ドルで契約した[11]。12月14日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表への不参加の意思を表明した[12]が、代表が決勝トーナメントに進出したため合流した[13]。3月22日の決勝プエルトリコ戦に勝利し、初の優勝を果たした[14]

シーズンでは、2度にわたって故障離脱するなど全般に調子が上がらず、2010年以来となる40試合未満の登板で1勝2敗11セーブ、防御率4.50と不本意な成績に終わった。

2018年も故障で出遅れ、41試合登板で1勝4敗3セーブ、防御率3.23、WHIP1.59と物足りない成績に終わった。

ブレーブス時代

2019年7月31日にダニエル・ウィンクラートリスタン・ベック英語版とのトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍した[15]。移籍後は抑えを務め、11セーブを挙げた。この年は2チーム合計で3年ぶりとなる60試合登板を果たし、5勝2敗12セーブ、防御率3.61であった。

2020年オフの10月28日にFAとなった[16]

パドレス時代

2021年2月18日にサンディエゴ・パドレスと200万ドルの単年契約を結んだ[17]。2022年は相互オプションとなり、バイアウトの際は100万ドルが支払われる。

2021年4月1日のダイヤモンドバックスとの開幕戦に抑えとして登板し、移籍後初出場し、移籍後初セーブも記録した[18]。7月4日に選手間投票で通算4度目となるオールスターゲームに選出された[19]。7月13日に開催されたオールスターゲームでは8回表に7番手として登板した[20]。オフの11月5日にオプションを破棄してFAとなった[21]

ダイヤモンドバックス時代

2021年12月1日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと2年総額1400万ドルの契約を結んだ[22]。2024年はチームオプションとなり、バイアウトの際は200万ドルが支払われる。

2022年は62試合に登板したが、3勝10敗18セーブ、防御率4.66と不振だった。

2023年スプリングトレーニング中に右肩を負傷し、この怪我によりシーズン全休となった。オフの11月3日に契約延長オプションを破棄して、FAとなった[23]

現役引退後

2024年10月8日、サンディエゴ州立大学の投手育成コーディネーターに就任することが発表された[24]

選手としての特徴

リリーバーとしてオーバースローから、平均球速91mph(146km/h)のカッターを中心に、平均92mph(148km/h)のフォーシーム、決め球である平均81mph(130km/h)のナックルカーブ、稀に85mph(137km/h)程度のスプリッターを使用する(2016年)[25]。フォーシームの最速は2012年シーズンに記録した96.0mph[26]。 2011年以前の速球はフォーシームが主体であったが、2011-2012年からカッターを主体としている。また、PITCHf/x上2012年以前のカーブが2013年以降はナックルカーブに切り替わっている。 年々球速が低下しており、MLB昇格時には平均球速149km/hほどだったが、2016年時点では146km/hにまで落ち込んでいる。 もともと制球難だったが大幅に改善され、リーグ屈指のコントロールを誇っており、MLB通算与四球率は2点台序盤となっている[27]。パイレーツに移籍した2013年以降の被本塁打率が0.29と非常に低い。

詳細情報

年度別投手成績

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W
H
I
P
2009 NYY 1300000100.0007416.113010041030873.861.41
2010 200000000----194.071000300549.001.75
HOU 20000020081.0007117.11218011920863.121.15
'10計 22000020081.0009021.1192801222013104.221.27
2011 71000084203.66730974.16552662661028232.781.22
2012 BOS 4100000212.00019445.04581213412031316.201.27
2013 PIT 720000321626.60027971.0601801706015111.390.96
2014 720000353314.37527771.05121113713015151.900.87
2015 78000032511.60029376.25741422623022192.230.93
2016 45000011300.50016341.232290138101071.510.96
WSH 30000011170.50010729.22113002730661.820.81
'16計 75000022470.50027071.15231201654016131.640.90
2017 SF 32000012115.33313030.0373601292016154.501.43
2018 4100001438.20017439.04821421314018143.231.59
2019 4300004215.66719546.14931622443019183.501.40
ATL 230000101101.0008921.02212002410993.861.14
'19計 66000052125.71428467.17141822684028273.611.32
2020 23000021110.6679522.22217321410872.781.28
2021 SD 64000043390.57126564.25442541593021162.231.22
2022 ARI 620000310181.23124756.06352121356037294.661.50
MLB:14年 7320000374026273.4812981726.26574419223256434402762372.941.17
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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投手(P)












2009 NYY 1314001.000
2010 20000----
HOU 2033011.000
'10計 2233011.000
2011 7112510.944
2012 BOS 4158001.000
2013 PIT 72711021.000
2014 7251210.944
2015 7871611.958
2016 4565001.000
WSH 3042011.000
'16計 75107011.000
2017 SF 3229011.000
2018 4124011.000
2019 4366031.000
ATL 2312001.000
'19計 6678031.000
2020 2336021.000
2021 SD 6431112.933
2022 ARI 6256021.000
MLB 73272110416.978
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タイトル

表彰

記録

背番号

  • 39(2009年 - 2010年途中)
  • 54(2010年途中 - 2011年)
  • 37(2012年)
  • 35(2013年 - 2016年途中)
  • 43(2016年途中 - 同年終了)
  • 41(2017年 - 2019年7月30日)
  • 36(2019年8月3日 - 2020年)
  • 33(2021年)
  • 34(2022年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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