マイヤ
スーパーマーケット ウィキペディアから
株式会社マイヤは、岩手県大船渡市に本社を置き、岩手県沿岸南部を地盤とする、食料品主体のスーパーマーケットチェーンを運営する企業である。
![]() | |
マスト店(上閉伊郡大槌町) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒022-0003[1] 岩手県大船渡市盛町字木町14-5[1] |
設立 |
1961年(昭和36年)6月3日 (米谷商事株式会社)[2] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 2402701000203 |
事業内容 | スーパーマーケット経営[1] |
代表者 |
米谷春夫(代表取締役会長) 井原良幸(代表取締役社長) |
資本金 | 5000万円[1] |
売上高 |
|
純利益 |
|
総資産 |
|
主要株主 | 株式会社マークスホールディングス 100% |
主要子会社 | 有限会社パブリックス |
外部リンク | https://www.maiya.co.jp/ |
2014年(平成26年)10月4日にマエダ、マイヤ、おーばん、フレスコキクチの4社が経営統合を実施し、株式交換によりマークスホールディングスの完全子会社となった[4]。
1961年に米谷淳(まいやきよし)が創業。その長男である米谷春夫が1991年に2代目社長に就任。2018年から元いなげや取締役の井原良幸が3代目社長を務めている。また、米谷春夫は当社会長および親会社マークスホールディングスの相談役を兼務している。
歴史・概要
1960年(昭和35年)5月22日に発生したチリ地震の津波で被災した際の助成金を元手として[6]、 精麦業や「株式会社中央映画劇場」の経営に携わっていた米谷淳(まいやきよし)が1961年(昭和36年)6月3日に大船渡市大船渡町字茶屋前101-3で「米谷商事株式会社」を設立したのが始まりである[2]。 同年7月に社名を「株式会社主婦の店大船渡店」に変更した後、同年9月に店舗が完成してスーパーマーケットを開業した[2]。
1980年(昭和55年)11月[7]20日に及新が不渡手形を出して経営破綻し[8]、「オイシンマート」はマイヤに事業継承されて同月23日に営業を再開した[8]。
2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、津波警報が出る前から従業員が顧客の避難誘導を行い、出勤していた従業員と来店していた顧客の犠牲者を出さなかった[9]。 また、大きな被災を免れた「大船渡インター店」や[9]被害のなかった店舗では震災当日夕方から駐車場で営業を再開して地域のライフラインとしての日常必需品の販売を行った[10]。
しかし、本部も被災して流失し[11]、当時の売上高の約40%を占めていた[11]大船渡市3店舗(本店、中央店、綾里店)・陸前高田市全2店舗(高田店、リプル店)・大槌町1店舗(マスト店)の合計6店舗がそれぞれ全壊あるいは半壊で営業停止となった[12]。
その為、主力店舗の喪失による売上減少に対応するため、翌月の4月にはパート・アルバイト約1,200名のうち約300名を一時解雇して正社員約220名のうち50名を一時帰休せざるを得なくなってしまった[11]。
その一方で、店舗が壊滅した同月15日に陸前高田市の小学校で食料品の出張販売を開始し[13]、同月29日からはテントによる仮設販売所を開設して営業し[12]、同年8月4日には陸前高田市竹駒町滝の里1番に大和リースとの共同事業による仮設商業施設・滝の里店を開店させた[14]。
こうしたライフラインを守るための営業継続が売上に繋がり、同年7月末には一時帰休した従業員の希望者全員を職場復帰させることとなった[15]。
また、同年12月22日には大槌町のマスト店が営業再開し、同月27日には大船渡市に赤崎店を開店と被災地での店舗網の立て直しを進めた[16]。
なお、震災からの復興と並行して、多層階の総合スーパーから食品スーパーに特化する形へ業態転換を進めた[17]。
2014年(平成26年)10月4日にマエダ、マイヤ、おーばん、フレスコキクチの4社が経営統合を実施し、株式交換によりマークスホールディングスの完全子会社となった[4]。
年表
- 1961年(昭和36年)
- 1966年(昭和41年)
- 1970年(昭和45年)
- 1972年(昭和47年)
- 1974年(昭和49年)
- 10月12日 - 中央店を開店[23]。
- 1977年(昭和52年)
- 7月 - 陸前高田市に松原店を開店[24]。
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)5月 - 配送センターを開設[広報 2]。
- 1981年(昭和56年)
- 8月 - 株式会社及新から事業譲受し、釜石市に「株式会社釜石マイヤ」設立。設立時に中妻店、大槌店、大町店、鵜住居店、浜町店、只越店、釜石松原店の旧及新の店舗がマイヤに経営が移る。各店舗は順次「及新」から「マイヤ」に看板が変更された。
- 1988年(昭和63年)12月 - フレッシュセンターを開設し、寿司・弁当の製造を開始[広報 2]。
- 1989年(昭和64年・平成元年)
- 1991年(平成3年)
- 9月 - 初代社長米谷淳が社会長となり、米谷春夫が2代目社長に就任[広報 1]。
- 1992年(平成4年)
- 8月 - ディスカウントストア・マックス立根店を開店[広報 2]。初のディスカウント業態店舗。
- 1993年(平成5年)
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 2001年(平成13年)
- 2003年(平成15年)
- 3月 - マックス立根店を閉鎖、スクラップ&ビルドを経て同年9月に「マイヤ大船渡インター店」として再オープン。
- 9月 - 初代社長の米谷淳が死去[広報 1]。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)12月 - 大船渡市と「災害時における応急生活物資調達協力協定」を締結[広報 1]。
- 2009年(平成21年)11月 - 経営悪化した釜石市の釜石共栄から店舗を譲受、サンパルク1階に入居してマイヤサンパルク店として開店。[要出典]
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 3月11日 - 東日本大震災の被害により、陸前高田市の2店舗(高田店、リプル店)、大船渡市4店舗のうち3店舗(本店、中央店、綾里店)、大槌町のマスト店がそれぞれ全壊あるいは半壊で営業停止[12]。本部も被災して流失し[11]、大船渡インター店に仮本部を開設[12]。リプル店、中央店、綾里店は全壊であり、半壊となった本店と高田店も営業再開せずに2013年までに取り壊しされた。また、同年10月に花巻市石鳥谷町に石鳥谷店をオープンする予定だったが[28]、被災店舗の復旧が優先されたため、白紙となった。
- 3月11日夕方 - 被害のなかった店舗で駐車場で営業を再開[10]。
- 3月15日 - 陸前高田市の小学校で食料品の出張販売を開始[13]。
- 3月28日 - 被災地出張販売と移動販売車への商品供給を開始[15]。
- 3月29日 - 陸前高田にテントによる仮設販売所を開設し、営業開始[12]。
- 4月 - パート・アルバイト約1,200名のうち約300名を一時解雇し、正社員約220名のうち50名を一時帰休[11]。
- 4月 - 被災した本部を、旧さかり店の建物に移転[広報 1]。
- 5月 - 株式会社マークスが事業活動を開始[29]。
- 7月末 - 一時帰休した従業員の希望者全員を職場復帰[15]。
- 8月4日 - 陸前高田市竹駒町滝の里1番に大和リースとの共同事業による仮設商業施設・滝の里店を開店[14]。陸前高田市での出張販売を終了。
- 12月22日 - 大槌町のマスト店が営業再開[16]。
- 12月27日 - 赤崎店を開店[16]。(デイリーポート大船渡店跡地に出店[30])。
- 2012年(平成24年)
- 7月 - 大船渡店を開店[15]。
- 7月 - 東日本電信電話と伊藤忠テクノソリューションズと提携して大槌町にネットスーパーを開設[15]。
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)10月4日 - マエダ、マイヤ、おーばん、フレスコキクチの4社が経営統合を実施し、株式交換によりマークスホールディングスの完全子会社となる[4]。
- 2015年(平成27年)4月 - フーズエムからアルテ桜台店の営業を譲受[広報 2]。
- 2016年(平成28年)6月 - 大船渡店を開店[27]。
- 2017年(平成29年)4月27日 - 陸前高田市の中心市街地に立地する「アバッセたかた」内に(2代目)高田店を開店[31]。
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年・令和元年)
- 2020年(令和2年)
店舗
要約
視点
→現行店舗については、店舗情報を参照
震災被害により閉店した店舗
- 敷地面積約3,960m2[32]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上5階[32]、延べ床面積約7,106m2[26] → 約9,031m2[32]、店舗面積約4,579m2[26] → 約4,621m2[32](当社店舗面積約3,903m2[32])、駐車台数約200台[32]。
- 5階建てで、東日本大震災では3階まで浸水したが、屋上に避難した従業員や近隣住民など59名が生き残った[33][34]。
- 震災後に店舗は解体された[11]。
閉店した店舗
大船渡市
- 売り場面積2,330m2[36]。
陸前高田市
釜石市
浜町店、釜石松原店(釜石市):元々は「及新」の店舗であり、マイヤへの経営譲渡後もマイヤで運営。釜石松原店は1991年8月に閉店、鵜住居店、浜町店、只越店は1993年にマスト店オープンに伴い閉店した。[要出典]
- 延べ床面積5,387m2[26]、売り場面積2,124m2[26]。
- 「合名会社釜石ビル」の建物に出店していた旧「オイシンマート中妻店」。マイヤへの経営譲渡後もマイヤで運営。釜石マイヤ吸収前は釜石マイヤの本部となっていた。1996年2月に閉店。閉店後、タケダスポーツが同建物に入居後、更地となり、現在はかっぱ寿司となっている。[要出典]
上閉伊郡
気仙沼市
- 2018年(平成30年)3月に(2代目)高田店を開店[広報 2]。
- 現在はケーズデンキ気仙沼店が営業。なお、現在の気仙沼バイパス店の場所で営業していたツルハドラッグ気仙沼バイパス店は現在は田中トンネル近くでケーズデンキ気仙沼店が営業していた建物に移転して気仙沼上田中店として営業している。[独自研究?]
業務提携
脚注
関連会社
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.