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日本プロ野球の新人選手獲得のための会議 ウィキペディアから
プロ野球ドラフト会議(プロやきゅうドラフトかいぎ)は、日本野球機構が開催する、新人選手獲得のために行われる会議である。正式名称は新人選手選択会議(しんじんせんしゅせんたくかいぎ)。
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ドラフト | |
今シーズンの大会: 2024年度新人選手選択会議 (日本プロ野球) | |
ドラフト会議の様子(2012年) | |
競技 | 野球 |
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開始年 | 1965年 |
主催 | 日本野球機構(NPB) |
スポンサー |
東芝(2009年-2012年) 大正製薬(2013年-) |
会場 | 東京都 |
開催国 | 日本 |
開催期間 | 毎年10月 |
参加数 | 12球団 |
公式サイト | |
プロ野球ドラフト会議 |
この会議は、毎年10月に一般社団法人日本野球機構(NPB)が主催し、「新人選手選択会議規約」に定められた手順に基づいて、新人選手との契約交渉権をプロ野球に属する各球団に振り分けるものである。2009年以降、東京都港区にあるグランドプリンスホテル新高輪内「国際館パミール」[注 1]を会場として使用している。NPBでは新人選手選択会議の他に、育成選手獲得のための育成選手選択会議が行われる。
ドラフト会議では、新人選手選択会議規約第1条に定められた新人選手が対象となる。すなわち、過去に日本プロ野球の球団に入団したことがない選手のうち、日本国籍を持っている、もしくは日本の中学校、高等学校、大学(以上は一条校に準じた定義による)、日本高等学校野球連盟および全日本大学野球連盟の加盟校(例えば防衛大のような非一条校も加盟している点に留意)に在学した経験をもつ選手である。日本の学校に在学中の場合には、ドラフト会議の翌年3月卒業見込み、大学の場合は4年間在学している選手であること。
四国アイランドリーグplusやベースボール・チャレンジ・リーグといった国内の独立リーグは社会人野球と同様に扱われるが、プロ志望の選手については、所属初年度から指名することが可能である。これは四国アイランドリーグが発足した2005年にリーグからの要望を受けて行われたもので、その後発足したベースボール・チャレンジ・リーグでも踏襲された。日本プロ野球を介さずに直接メジャーリーグや海外の独立リーグなど、日本国外のチームに在籍した選手についても、ドラフト指名が原則として義務付けられている。
プロ志望届を提出したドラフト対象選手がドラフト会議の指名を拒否して外国球団と契約した場合、高校生は帰国から3年間、高校生以外は2年間ドラフト指名凍結選手となり、ドラフト指名を行うことはできなかった。
夏季オリンピックにおける野球競技で、アマチュア選手のみしか出場できなかった時代(1984年・ロサンゼルスから1996年・アトランタまで)には、アマチュア側が五輪強化選手を指名凍結選手としてリストアップし、その選手に関しては当該オリンピック終了までドラフトの指名をしないように指定した(例:アトランタ五輪時の小野仁)。但し、指名凍結選手となった場合、オリンピック開催後のドラフトにおいて、中・高卒3年、大卒2年の凍結期間に関係なく指名できた。
ドラフト会議によって得られるのは、選手との契約交渉権である。したがってドラフト会議で指名した後に選手契約ができなかったか、選手が契約を破棄した場合は、指名選手の入団には至らない。選手契約交渉権の期限は、その選手との契約交渉権を獲得したドラフト会議の翌年3月末までであり、それまでにその選手と契約し支配下選手として公示することができなければ、契約交渉権は無効となる[1]。社会人野球チームの所属選手については、この期限が翌年1月末まで、2023年度ドラフトより海外学校に所属する選手の交渉権消滅は翌年7月末までとなった[1][2]。
交渉権消滅条件
新人選択会議規約では、高等学校在学生の選手を対象とした「高校生選択会議」(毎年10月1日~14日)、高等学校在学生以外の選手を対象とした「大学・社会人ほか選択会議」(毎年11月10日~22日)、の2つの会議を招集するよう定められているが、2008年度以降一括開催されている。
選択会議で指名選手が120人未満であった場合、選択会議終了後に行われる。支配下登録選手ではなく育成選手の獲得を目的とした会議である。
2004年に明治大学の一場靖弘に対し、いくつかの球団の関係者が自由獲得枠での獲得を目指して裏金を渡していた問題(一場事件参照)が発覚した。この事件の元凶は、上に示した当時のドラフト制度にあるとされ、これを改めることになった。
改正内容に関しては、ドラフト制度の中で契約金と契約順が制限されている事が裏金を使う温床になったのであり、自由に新人選手を獲得できるようにすれば、裏金が生まれる必然性がなくなると主張しより自由競争に近い方式を求めた球団と、ドラフト制度の中に中途半端に自由競争を持ち込む自由獲得枠という制度が裏金の温床になると主張し、自由獲得枠を撤廃し完全ウェーバー方式のドラフトになれば裏金は発生することはないと主張する球団とがそれぞれの希望に沿った制度改正を主張した。
裏金問題の解決を目指して始まった議論だったが、各球団ともに自らが有力な選手が獲得できるような制度を求めたまま対立し、意見が一致することはなかった。妥協案として、試行的に2005年と2006年の2年間は、自由獲得枠の名称を希望入団枠と変更した上で枠を2から1に減らしたドラフト会議を行った。
開始当初から1988年までは、指名選手の発表は司会者によって読み上げられ、その後1位指名確定選手についてはパネルに手書きされた紙を貼り付けていた。2位以下は名前が呼ばれるだけで字がわからなかったため、司会の伊東一雄(パンチョ伊東)が記者向けに口で字を説明するということが見られた[注 6]。
1989年からは指名選手は発表と同時に会場に設えたモニターテレビで表示し、重複指名・ならびに2位以下の選手についても表示されるようになった。
現在の指名入札及びウェーバー方式では、選手側における球団選択の自由がほとんどないことから、選手の海外流出懸念と絡めて、さまざまな意見がある。
プロ野球志望届を提出したプロ野球ドラフト会議で指名可能な選手であっても、メジャーリーグでのプレー志望を表明した場合は、選手の意思を尊重して指名が見送られる場合がある。しかし、これを逆手に取ってある球団がどうしても獲得したい選手がある場合に、当該選手にメジャーリーグ志望を表明させて、他球団からの指名を回避させる方法を「抜け道」として利用する懸念があり、当該ケースを想定したルール整備を行うべきとする意見がある[12][13]。
1968年のドラフトでは山本浩二(広島1位)、田淵幸一(阪神1位)、有藤通世(東京1位)、野村収(大洋1位)、星野仙一(中日1位)、山田久志(阪急1位)、東尾修(西鉄1位)、大橋穣(東映1位)、加藤秀司(阪急2位)、大島康徳(中日3位)、金田留広(東映4位)、福本豊(阪急7位)、島谷金二(中日9位)、門田博光(阪急12位・入団拒否)[注 8]、藤原満(南海4位)、稲葉光雄(広島6位・入団拒否)[注 9]、長崎慶一(阪神8位・入団拒否)[注 10]、水谷則博(中日2位)など、1970年代から1980年代のプロ野球を代表する選手が数多く指名された[14]。阪急が指名した15名のうち、3名(加藤、福本、門田)が2000安打を達成し、1名(山田)が200勝を達成している。巨人はこの時、田淵が他球団に指名されてしまった場合には星野を1位で指名すると公言していたが、実際には星野ではなく島野修を指名し、それを聞いた星野が「ホシとシマの間違いじゃないのか」と発言したことも有名である。島野はこの後、選手としては大成出来なかったが、阪急に移籍・引退後日本のプロスポーツにおけるチームマスコットのスーツアクターの先駆者となる。100メートルの日本記録を更新し、1964年東京オリンピックと1968年メキシコシティーオリンピックに出場した陸上選手飯島秀雄が東京の9位で指名されたことでも話題を呼んだ。
1989年もドラフトが豊作となった年として知られる[15]。野茂英雄に史上最多となる8球団の指名が集中し、抽選で近鉄が引き当て入団。その野茂の外れ1位だけでも佐々木主浩(大洋1位)、小宮山悟(ロッテ1位)、西村龍次(ヤクルト1位)、葛西稔(阪神1位)、元木大介(ダイエー1位・入団拒否)[注 11] といった名前が並び、その他にも与田剛(中日1位)、潮崎哲也(西武1位)、佐々岡真司(広島1位)、岩本勉(日本ハム2位)、古田敦也(ヤクルト2位)、井上一樹(中日2位)、石井浩郎(近鉄3位)、吉岡雄二(巨人3位)、橋本武広(ダイエー3位)、前田智徳(広島4位)、宮地克彦(西武4位)、新庄剛志(阪神5位)、種田仁(中日6位)、浅井樹(広島6位)と、メジャーリーグ経験者4名(野茂・佐々木・新庄・小宮山)、2000安打達成者2名(古田・前田)、250セーブ達成者1名(佐々木)を輩出するなど1990年代から2000年代にかけて活躍した選手が多数指名されている。また、後にタレントとなるパンチ佐藤(佐藤和弘)もオリックスに1位指名されている。
1996年はアトランタオリンピックが行われた年で、井口忠仁(ダイエー1位)、今岡誠(阪神1位)、谷佳知(オリックス2位)、松中信彦(ダイエー2位・逆指名)ら銀メダル獲得に貢献したメンバーが上位で指名された。他にも小笠原道大(日本ハム3位)、和田一浩(西武4位)、岩村明憲(ヤクルト2位)、森野将彦(中日2位)、小坂誠(ロッテ5位)、柴原洋(ダイエー3位)、礒部公一(近鉄3位)など後にチームの主力打者に成長するメンバーが指名され、特に打者の人材は当たり年のドラフト会議であった。
他にも当たり年として名高いのは1980年度と1988年度生まれで、1998年のドラフトと2006年のドラフトに指名された高校生選手・2002年のドラフトと2010年のドラフトに指名された大学生選手・2004年のドラフトと2012年のドラフトに指名された大卒社会人選手が挙げられる。これについては後に前者は「松坂世代」、後者は「ハンカチ世代」とそれぞれ称されるようになった。松坂世代では藤川球児が特例により名球会入り、ハンカチ世代では2000安打達成者1名(坂本勇人)を輩出した。
2010年代に入ってからは、2012年のドラフトが該当する。この年のドラフトは、 大谷・藤浪世代にあたる高校生選手が多数指名され、大谷翔平(日本ハム1位)、藤浪晋太郎(阪神1位)、鈴木誠也(広島2位)がタイトルを獲得、ハンカチ世代の大卒社会人が少数指名され、増田達至(西武1位)や宮﨑敏郎(DeNA6位)といったタイトル獲得者を輩出したことが大きいとされている。
逆に、1986年のドラフトの様に、かつてはアマチュア選手しか出場できなかったオリンピックの野球日本代表選考に伴う有力選手の指名凍結などの影響で期待値の高い選手が数えるほどしか見当たらず、凶作と言われた年度もある。
1968年の第50回全国高等学校野球選手権大会で準優勝した静岡商高の新浦壽夫は韓国籍であった。前年に定時制入学後に全日制1年次へ編入した経緯から3年生へ進級しても年齢制限で公式戦に出場できないこと、当時のドラフト制度の規定では獲得対象選手が「日本国籍をもつ者」で、日本の学校を卒業しても外国籍の選手はドラフト対象外であったため、ドラフト制度で制限であった契約金1000万円条項は無視された形となり、国内の6球団およびメジャーリーグも巻き込んだ争奪戦となった。この結果、新浦は同年に高校を中退して読売ジャイアンツにドラフト外で入団した。これがきっかけとなり、その後「日本の学校に所属する選手はすべてドラフトにかける」というルールに変更された[注 12]。
2005年の高校生ドラフトにおいて、抽選結果が誤って発表され後から訂正されるというドラフト史上初のトラブルが発生した。巨人とオリックスが大阪桐蔭高校の辻内崇伸を1位指名したため、両者の間で抽選が行われた。また、日ハムとソフトバンクが福岡第一高校の陽仲壽を1位指名したため、両者の間で抽選が行われた。いずれの抽選においても、外れた方の球団代表者が「交渉権を獲得した」と勘違いしたため誤った抽選結果が発表されたが、後に訂正された。
また、2015年のドラフトでも、同様のトラブルが発生した[16]。阪神とヤクルトが明治大学の髙山俊を1位指名したため、両者の間で抽選が行われた。ヤクルトの真中満監督が外れくじを引いたが、ドラフト会議のロゴマークを交渉権獲得の印と勘違いしてガッツポーズしたため、ヤクルトが高山の交渉権を獲得したと発表された。しかし、その後の確認で阪神の金本知憲監督が当たりくじを引いていたことがわかり、阪神が高山の交渉権を獲得したと訂正された。なお、この時は2005年の事例も踏まえ、事前に抽選用紙の説明がなされていたにも関わらず起きた。このトラブルを受け、翌2016年から外れくじはロゴマークも印刷しない完全な白紙に変更された。
2007年、西武が「倫理行動宣言」で禁止されているにもかかわらず、複数人のアマチュア選手に対しスカウト活動で現金を供与していたことが調査で発覚した。これを受けて、NPBは西武に対し制裁金3,000万円に加え、2007年の高校生ドラフトについて、上位2選手の指名権を剥奪する処分を下した。ドラフト会議における指名権剥奪は制度開始以来初の制裁となった。この事件の影響もあり、不正の温床とされた「希望入団枠制度」は2007年より廃止となった。
2008年から2020年まで、「日本のプロ野球のドラフト指名を拒否して海外のプロ野球球団と契約した選手は、海外球団を退団した後も一定期間[注 13]はNPB所属球団と契約できない」とする12球団の申し合わせ事項が存在した。これは、社会人投手であった田澤純一が2008年にNPBを経由せずに直接MLB入りしたことを契機に作られたため、田澤ルールと呼ばれた。
2022年のドラフトでは、参加12球団のうち横浜DeNA・阪神・ロッテを除く9チームが、ドラフト第1巡目の指名選手を事前に公表したことが報道され話題になった[17]。
など。親子とも1位指名は2024年現在で例がない[注 23]。
育成ドラフトを含めると
の例がある。
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