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日本のプロ野球選手 (1983-) ウィキペディアから
小山田 貴雄(おやまだ たかお、1983年1月11日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は東京ヤクルトスワローズのブルペン捕手。NPBでは育成選手であった。実父は元プロ野球選手の小山田健一。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県川崎市高津区 |
生年月日 | 1983年1月11日(41歳) |
身長 体重 |
190 cm 99 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | NPB / 2007年 育成選手ドラフト1巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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1983年に小山田健一の次男として出生。小学校1年生のときに野球を始めたが、一旦やめてしまい、本格的に再開したのは小学校4年生の時から。以後中学時代まで父と同じ捕手のポジションでプレーしていた。1998年に川崎工業高校に入学。高校時代は荒削りながらも投手として活躍。高身長から投げ下ろすような、最速145km/hのストレートを武器に、3年春の県大会では同校創立初の県ベスト8進出の立役者となり、ドラフト候補にもなった。
しかしドラフト指名は無く、特待生で青森大学に進学を決意。入学直前の2001年3月、癌のためブルペン捕手を退職し療養に専念していた実父・健一と死別。入学後に肘を痛めてしまったことも重なって、野球生活の転機を迎える。その後も肘の状態は好転せず、大学2年時に、右肘の手術を行った。結局そのまま満足に登板する事が出来ず、大学生活を終える。
プロ志望はあったものの、最終学年になっても声はかからず四国アイランドリーグのトライアウトを受ける事になる。2005年に高知ファイティングドッグスに入団。1年目は投手として23試合に登板したが、実績を残す事が出来なかった。戦力外の危機に立たされていたが、秋季練習中に捕手としての強肩を見出され、実父と同じ捕手に転向する事になる。続く2006年シーズンは本格的に捕手としてプレー。52試合に出場したが、打撃・守備とも荒削りでプロからの声はかからなかった。
2007年は引き続き捕手として前年を上回る65試合に出場。基礎を学びながらの出場だったが、10月には身体能力を買われてみやざきフェニックス・リーグの四国アイランドリーグ選抜に選ばれた。10月8日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、2回途中降雨ノーゲームの試合ながら、1イニング3盗塁刺の結果を出して強肩をアピール。捕手経験が浅く粗削りであったが、恵まれた体格もあってスカウトの評価を上げた。
11月19日に行われたドラフト会議において、育成選手枠1巡目でヤクルトから指名を受けた。四国アイランドリーグから捕手として指名を受けた最初の選手である[注 1]。12月6日に入団が発表され、父と同じヤクルトのユニフォームに袖を通すことになった。
2008年は育成選手枠で、二軍キャンプスタートとなった。イースタン・リーグで捕手として15試合に出場したが、野手としてのキャリアも浅いことから、4安打で打率.160と打撃の対応に苦しむシーズンとなった。支配下選手登録もならなかった。
2009年10月1日に戦力外通告を受け、引退を表明。10月30日に自由契約公示された。
2010年よりヤクルトのブルペン捕手を務めている。
以下の打撃成績および投手成績の数値は四国アイランドリーグplusウェブサイト掲載の各シーズン選手成績による[1]。
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