五島裕二

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五島 裕二(ごしま ゆうじ、1976年4月20日 - )は、山梨県甲府市[1]出身の元プロ野球選手内野手)。右投左打。父はかつて東京オリオンズ・ロッテオリオンズに所属した元プロ野球選手の五島長登志[1]

概要 山梨ファイアーウィンズ 監督 #80, 基本情報 ...
五島 裕二
山梨ファイアーウィンズ 監督 #80
基本情報
国籍 日本
出身地 山梨県甲府市
生年月日 (1976-04-20) 1976年4月20日(48歳)
身長
体重
181 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手三塁手外野手
プロ入り 1994年 ドラフト3位
初出場 1999年10月9日
最終出場 2005年6月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴
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経歴

小学4年で野球を始め、中学時代は県大会で3位となる[1]山梨学院大付高では1年秋から4番に座り、2年春からエースとなる[1]。2年秋の関東大会で優勝し、第66回選抜高等学校野球大会でも先発勝利[2]。ノビのある速球と高校通算34本塁打の打力が評価され、1994年度プロ野球ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから3位で指名され、投手として入団[1]背番号45

プロ入り後は投手として芽がでなかったが、野手転向した1998年にファームでチーム最多の37打点を記録し、翌1999年には一軍初出場を果たす。2000年に一軍に定着し始め、2本塁打、16打点を挙げた。

2002年には打率こそ低かったものの、いずれも自身最多となる74試合出場、7本塁打、31打点を記録している。

2004年末の球団合併・分配ドラフトを経て、2005年は合併後のオリックス・バファローズと契約。背番号は00に変更となった。同年は結果が出ず、オフに解雇され退団した。

後に笛吹市の少年野球チーム「G9's」の代表、金沢学院大学東日本国際大学でコーチを務める。

2025年シーズンよりベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の山梨ファイアーウィンズで監督に就任する予定であることが、2024年8月に発表された[3]。その後、山梨球団のウェブサイトに「来季監督」として掲載された(背番号は80番)[4]。チームウェブサイトでは2025年2月になって表記が「監督」となった。

人物

プロレスラー金丸義信は高校の同級生で、野球部のチームメイトでもあった。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1999 オリックス 2440000000000000001.000.000.000.000
2000 451341221332602441601001200254.262.328.361.689
2001 60130120931301371300001000294.258.315.308.623
2002 7424621821541107863110132311467.248.318.394.712
2003 2028220410052000140161.182.321.227.548
2004 8760100010000010011.167.286.167.453
2005 711110210033000000031.182.182.273.455
通算:7年 2165605034312422010176651114501211019.247.315.350.665
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記録

背番号

  • 45 (1995年 - 2004年)
  • 00 (2005年)
  • 80 (2025年 - )

脚注

関連項目

外部リンク

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