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2009年に日本の北海道のトムラウシ山で発生した遭難事故 ウィキペディアから
トムラウシ山遭難事故(トムラウシやまそうなんじこ)は、2009年(平成21年)7月16日の早朝から夕方にかけて北海道大雪山系トムラウシ山が悪天候に見舞われ、ツアーガイドを含む登山者8名が低体温症で死亡した事故。夏山の山岳遭難事故としては近年まれにみる数の死者を出した惨事となった。
この事故は後に、日本山岳ガイド協会による第三者で構成する特別委員会「トムラウシ山遭難事故調査特別委員会」が設置され、2009年8月25日から5日間にわたり、金田正樹医師をリーダーとする4名のチームが2班に分かれ、遭難事故グループの行動や事故の事実関係を調査し、有識者の意見とともに報告書にまとめられた[1]。
同ツアーは募集型企画旅行形態で国内外の登山ツアーやエコツーリズムを取り扱う旅行会社アミューズトラベル株式会社(本社:東京都千代田区神田駿河台、観光庁長官登録旅行業第1-1366号)が主催した企画旅行であった。旅程ではトムラウシ山や旭岳などを2泊3日で縦走する予定であり、50 - 60代の客15人(男性5人〈A、B、C、D、E〉、女性10人〈a、b、c、d、e、f、g、h、i、j〉)とガイド甲(添乗員兼ガイドリーダー)、乙(メインガイド)、丙(サブガイド)の3人が参加していた。ガイドのうち甲、丙の2人は今回のコースは初めてだったという。途中、7月16日朝、雪渓を過ぎた主稜線ヒサゴ沼分岐までネパール人のポーターが同行している。
以下、記述中の日付時刻はすべて日本標準時間である。
旭岳温泉を起点として、旭岳ロープウェイを利用し、標高1,600メートルの姿見駅(山頂駅)から歩き始め、白雲岳避難小屋とヒサゴ沼避難小屋を利用しながら大雪山系の主稜線を縦走し、トムラウシ温泉へ下山する2泊3日の登山行動を予定していた[2]。以下がその登山ルートと距離である[1]。
参加者は広島、中部、仙台の各空港より新千歳空港に集まったあと、チャーターしたバスで当日の宿泊先である東川町の旭岳温泉白樺荘に向かった。天気予報を部屋のテレビで確認し、ガイド乙が14日は大丈夫だが15日、16日は崩れるだろうと予測した[1][3]。
朝5時50分に予定通り出発した[1]。パーティは旭岳ロープウェー姿見駅から旭岳山頂、間宮岳、松田岳、北海岳、白雲岳を12キロの道のりを経て白雲岳避難小屋に宿泊した。当日はガス(霧)がかかっていたものの晴れており、旭岳山頂からトムラウシ山も見えていた。5 - 6合目付近の約30分間は、体が持っていかれそうでまっすぐ歩きづらいほどの強風であったが、山頂では風は弱まった。なお登頂後、持病の高山病により女性客の1人が嘔吐した[1][4]。
夜から雨が降り始める[5]。リーダー甲とガイド乙が管理人にあいさつし1階部分を使った。一行らはにこやかに談笑したが、61歳の女性客gはほとんど夕食を食べられずスープとお茶だけを飲んだ。夕食後、スタッフ3人での打ち合わせが行われた。携帯電話の天気サイトで天気予報を確認したところ、翌日の午後には寒冷前線が通過し天気が悪化することを知り、雷を恐れ出発時間を30分早める決定をした。18時過ぎに就寝[1]。
3時ごろからゴソゴソする女性客にリーダー甲が注意。5時出発。天候は一変し朝から大雨で、風は無く体感温度は低くなかった。全員、雨具着用。体調が悪い者はいなかったが、61歳女性客gだけは、この朝もスープとお茶のみであった[1]。この間天候が悪化し、登山道は川のようになっていて歩きにくく通過に時間を取られた[6]。体の冷えを防ぐため、休憩は5分程度の立ち休みで進んだ[1][4]。ヒサゴ沼避難小屋で一緒になった静岡のパーティによれば、特別疲れた様子もなくわいわいと楽しそうにしていたという[5]。パーティは忠別岳、五色岳、化雲岳を経由し、約10時間をかけ、ヒサゴ沼避難小屋に15時前に到着した。
しかし小屋の中は雨漏りだらけな上に充分なスペースもなかった。そのため濡れた装備を乾かすこともできず、ずぶ濡れの寝袋に包まって横になっただけであった。展望もない登山で泥道を長時間歩いたため、皆疲労困憊していた。19 - 20時ごろ就寝[1][7]。
当節、太字の時刻表記は段落分けのための便宜上のものであることに留意。また、出典内の表記に基づく地の文と区別し午前・午後の語を用いない24時間制で表記した。
当初男女客15人と男性ガイド3人の18名が団体行動していたが、遭難行の経緯として脱落者が出る毎に細かくグループが別れ、また中途でそれぞれの群が再合流、分離を繰り返したため、これら合流・分離経緯のみを抜粋し、時系列に沿って列挙する。
後日の救助経緯および参加者の状況一覧も合わせて参照されたい。
脱落時刻 | 各群の人数変遷 | 説明 | |
---|---|---|---|
1. | 10時30分 | 甲f(2), 乙丙ABCDEabcdeghij(16) | 第1ビバーク地点[1]:12。低体温症fに付き添いリーダー甲が居残った。 |
2. | 〜12時まで | 甲f(2), 乙Dghj(5), 丙ABCEabcdei(11) | 第2ビバーク地点[1]:13。本隊と分離直後に脱落、その場でビバーク開始。 |
3. | 12時頃 | 甲f(2), 乙Dghj(5), BEbe(4), 丙ACacdi(7) | 昼食後、南沼キャンプ場手前でE, eが一行から遅れ、それぞれにB、bが付き添い4人グループを形成。 |
4. | 12時頃 | 甲f(2), 乙Dghj(5), BEbe(4), ACcdi(5), 丙a(2) | 救助要請を理由に後続を待たず下山を急いだ丙が本隊から先行、aが随行。 |
5. | 12時頃 | 甲f(2), 乙Dghj(5), BEbde(5), ACci(4), 丙a(2) | 「トムラウシ分岐」の少し先でのbが本隊から脱落したdを発見、合流。 |
6. | 〜13時40分まで | 甲f(2), 乙Dghj(5), BCEbde(6), Aci(3), 丙a(2) | 通りかかったCがBらの5人に合流。 |
7. | 〜13時40分まで | 甲f(2), 乙Dghj(5), BEbde(5), C(1), Aci(3), 丙a(2) | Cが単独離脱。 |
8. | 〜13時40分まで | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1), Bbde(4), C(1), Aci(3), 丙a(2) | 意識朦朧としたEが脱落。 |
9. | 〜13時40分まで | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、Bde(3), b(1), C(1), Aci(3), 丙a(2) | bが丙を呼ぶために離脱、先行。 |
10. | 13時40分 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), B(1), b(1), C(1), Aci(3), 丙a(2) | 意識不明となったd、eが「トムラウシ公園上部」付近[1]:28で脱落、Bの単独行になる。 |
11. | 13時40分 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), B(1), Cb(2), Aci(3), 丙a(2) | 単独行だったCが追いついてきたbと合流。 |
12. | 15時 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), B(1), Cb(2), ci(2), 丙Aa(3) | 丙とaが「前トム平」に到着後、後から降りてきたAが合流。 |
13. | 15時40分頃? | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), B(1), Cb(2), ci(2), 丙(1), Aa(2) | 動けない丙をその場に残し、Aとaは2人で下山を継続。 |
14. | 15時40分以降 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), B(1), ci(2), 丙Cb(3), Aa(2) | Aとaが出発後に「前トム平」に到着したCとbは丙と合流。 |
15. | 15時40分以降 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), B(1), ci(2), 丙b(2), C(1), Aa(2) | Cが単独離脱し下山続行。 |
16. | 15時40分以降 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), ci(2), 丙Bb(3), C(1), Aa(2) | 10.で単独になっていたBが「前トム平」に到着、合流。 |
17. | 15時40分以降 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), ci(2), 丙(1), Bb(2), C(1), Aa(2) | 「前トム平」に丙を残したままBとbが下山開始。 |
18. | 16時 - 16時28分 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), ci(2), 丙(1), Bb(2), C(1), Aa(2) | 第3ビバーク地点[1]:16。「トムラウシ公園上部」でcとiが休憩をとったが、iは16時28分に意識不明[1]:16。 |
19. | 16時30分 | 甲f(2), Dghj(4), 乙(1), E(1)、de(2), ci(2), 丙(1), Bb(2), C(1), Aa(2) | 第2ビバーク地点5人のうち乙がメール送信のためDにその場を任せ離脱。 |
20. | 16時38分 | 甲f(2), Dghj(4), 乙E(2)、de(2), ci(2), 丙(1), Bb(2), C(1), Aa(2) | 乙が南沼キャンプ場付近で倒れていたEを発見、Eは脈がなくその場に残し、後に警察へ通報。 |
21. | 18時 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), ci(2), 丙(1), Bb(2), C(1), Aa(2) | 乙が第2ビバーク地点に帰還、再合流。 |
22. | 19時頃 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), ci(2), 丙(1), Bb(2), ACa(3) | 単独下山していたCにA・aが合流。Cはその場でビバークを決め、A・aペアが追い抜いた。 |
23. | 19時以降 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), ci(2), 丙(1), BCb(3), Aa(2) | 「カムイ天上付近」で単独下山していたCにB・bペアが追いつくが、Cは自分を追い抜くよう促した[1]:18。 |
24. | 23時55分 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), ci(2), 丙(1), C(1), Bb(2), Aa(2) | A・aペアが温泉登山口に自力下山。 |
25. | 17日0時55分 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), ci(2), 丙(1), C(1), Bb(2), Aa(2) | B・bペアが温泉登山口に自力下山。 |
26. | 17日4時45分 | 甲f(2), 乙Dghj(5), E(1)、de(2), ci(2), 丙(1), C(1), Bb(2), Aa(2) | Cが単独で温泉登山口に自力下山。 |
※以下、時刻はいずれも午前。
『トムラウシ山遭難事故調査報告書』28ページに記載された地図上での一行の移動経路は、最初の脱落者がビバークした第1ビバーク地点から男性客Cが男性客A・女性客aに追いつかれたカムイ天上まで途中に分岐点がいくつかあるものの一本の線上を辿っており、ここから自力下山した2組の男女ペアと男性1人はより遠方のトムラウシ温泉(温泉登山口)へ向かっているが、救助隊が最初に登ったのはカムイ天上と温泉登山口の間にある短縮コース登山口である。
事故当日に一行が辿った経路地名を最初の脱落である北沼渡渉点または北沼分岐から踏破順に並べると以下になる。なお、トムラウシ公園上部は同名2地点が地図上で別個に示されているため便宜上かっこ内に数字を付記した。
地名 | 説明 | |
---|---|---|
1. | 北沼渡渉点 | 第1ビバーク地点。北沼分岐とも。fとガイドリーダー甲が残ったが2人とも死亡。 |
2. | 北沼分岐先 | 第2ビバーク地点。乙, D, g, h, jがここで救助されたがh, jは死亡。 |
3. | 南沼キャンプ場手前 | 男性客Eが歩行不能。 |
4. | 南沼キャンプ場 | 17日6時半頃に女性客fを収容、死亡確認。 |
5. | トムラウシ分岐 | 列から遅れていたB, E, b, eの男女4人が列から脱落したdを発見、合流。 |
6. | トムラウシ公園上部(1) | 女性客d, eが歩行不能となり意識不明、男性客Bの単独行となる。 |
7. | トムラウシ公園上部(2) | 第3ビバーク地点。女性客cとiがビバークしたが、iはここで意識不明。cはiを残して下山中に救助、iは死亡。 |
8. | トムラウシ公園 | 死亡した女性客d, eがここでヘリにより収容。 |
9. | 前トム平 | ガイド丙がここで脱落。 |
10. | 前トム平下部 | ガイド丙は翌朝ハイマツの中で倒れた仮死状態で救助隊とは別の登山客に発見され、救助後に回復し生存。 |
11. | コマドリ沢 | 特になし。 |
12. | カムイ天上 | 単独下山していたCがB・bペアに追い抜かれた。 |
13. | 短縮コース登山口 | 短縮登山口とも。17日に救助隊6人が捜索登山開始した地点。 |
14. | トムラウシ温泉 | 温泉登山口とも。当日中に自力下山したA・aペア、17日下山のB・bペア、Cの3組が到達。 |
主催者のアミューズトラベルは、当ツアーでの事故発生後もほかのツアーについては催行実施を継続したが、この事故から約3年4か月後の2012年11月には、中華人民共和国北部の山間部にある万里の長城に向かうツアーで3人の死者を出す遭難事故を起こし、2012年12月に旅行業の登録取り消し処分となった[38][39][40]。2021年2月10日付で法人の清算を終了し登記簿閉鎖している[41]。
同ツアーに参加したガイドと登山客の性別、年齢、登山歴、救出状況および生死は下表となる[2][1]。登山者の括弧内の記号(AからO)はトムラウシ山遭難事故調査報告書(社団法人日本山岳ガイド協会)で用いられた記号である[1]。途中から同行したポーター役のシェルパ(62歳)は、3日目の7月17日以降は別のツアーの受け入れ準備のため、大型テントなどを持ち別行動をとった。
登山者 | 性別 | 年齢 | 登山歴 | 日時 | 状況 | 生死 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | ガイド甲(A) | 男 | 61 | 7月17日 | 6時50分北沼付近でヘリで収容 | 死亡 | |
2. | ガイド乙(B) | 男 | 32 | 12年 | 7月17日 | 6時50分北沼付近でヘリで救出 | 生存 |
3. | ガイド丙(C) | 男 | 38 | 7月17日10時44分 | 前トム平下部でヘリで救出 | 生存 | |
4. | 男A(E) | 男 | 64 | 7月16日23時55分 | 自力で下山 - 報道の車両で搬送 | 生存 | |
5. | 男B(F) | 男 | 61 | 12年 | 7月17日 | 0時55分自力で下山 - 報道の車両で搬送 | 生存 |
6. | 男C(C) | 男 | 65 | 33年 | 7月17日 | 4時55分自力で下山 - 救急車で搬送 | 生存 |
7. | 男D(D) | 男 | 69 | 53年 | 7月17日 | 6時50分北沼付近でヘリで救出 | 生存 |
8. | 男E(M) | 男 | 66 | 6年 | 7月17日 | 6時50分南沼付近でヘリで収容 | 死亡 |
9. | 女a(G) | 女 | 64 | 16年 | 7月16日23時55分 | 自力で下山 - 報道の車両で搬送 | 生存 |
10. | 女b(A) | 女 | 68 | 十数年 | 7月17日 | 0時55分自力で下山 - 報道の車両で搬送 | 生存 |
11. | 女c(B) | 女 | 55 | 7年 | 7月17日 | 5時16分前トム平でヘリで救出 | 生存 |
12. | 女d(K) | 女 | 62 | 7月17日 | 5時01分トムラウシ公園でヘリで収容 | 死亡 | |
13. | 女e(L) | 女 | 69 | 10年 | 7月17日 | 4時38分トムラウシ公園でヘリで収容 | 死亡 |
14. | 女f(J) | 女 | 68 | 十数年 | 7月17日 | 6時50分北沼でヘリで収容 | 死亡 |
15. | 女g(H) | 女 | 61 | 16年 | 7月17日 | 6時50分北沼でヘリで救出 | 生存 |
16. | 女h(I) | 女 | 59 | 7月17日 | 6時50分北沼でヘリで収容 | 死亡 | |
17. | 女i(O) | 女 | 64 | 10年 | 7月17日 | 5時16分前トム平でヘリで収容 | 死亡 |
18. | 女j(N) | 女 | 62 | 十数年 | 7月17日 | 6時50分北沼でヘリで収容 | 死亡 |
登山道周辺には、避難小屋とキャンプ指定地がある[42]。トムラウシ山の最寄りの山小屋は無人のヒサゴ沼避難小屋で、南のトムラウシ温泉には国民宿舎東大雪荘がある。
この遭難事故は「気象遭難」に分類されるものであり、天候判断のミスおよび撤退判断の遅れ・欠如などにより厳しい気象条件下に晒される状態に陥り、低体温症を引き起こしたことがおもな要因である[1]:36-88。
事故から7年前にもトムラウシ山では同様の事故が発生している[43]。
この事故では遭難者の救助に携わった登山者や遺体を発見し通報したカメラマンなどにより、遭難者や遺体を放置して登山を続行した登山者が少なからずいたことが判明し地元紙で非難された[45]。
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