テッド・オーツ

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テッド・オーツTed Oates1947年11月21日[3] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラージョージア州コロンバス出身[2]

概要 テッド・オーツ, プロフィール ...
テッド・オーツ
プロフィール
リングネーム テッド・オーツ
身長 185cm[1] - 190cm[2]
体重 105kg[1] - 115kg[2]
誕生日 (1947-11-21) 1947年11月21日(77歳)[3]
出身地 アメリカ合衆国
ジョージア州
マスコギー郡コロンバス[2]
デビュー 1971年[1]
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ジェリー・オーツの実弟であり[1]、兄同様に技巧派のベビーフェイスとして、地元のジョージアや中西部を主戦場に活動した[3]

来歴

要約
視点

1971年のデビュー後は、義兄のディック・スタインボーンが運営に携わっていたジョージア州アトランタの新興団体ASWA(オール・サウス・レスリング・アライアンス)で活動。ベビーフェイスの新鋭として売り出され、1973年12月4日にはウェイン・コーワンを破り、ASWA認定のジョージア・ジュニア・ヘビー級王座を獲得した[4]

ジム・バーネットによるASWAの買収後は、長年の主戦場となるカンザスおよびミズーリNWAセントラル・ステーツ地区に転戦。兄のジェリー・オーツマイク・ジョージパット・オコーナーらと共闘して、ボビー・ジャガーズロード・アルフレッド・ヘイズフレンチ・マーチンなどのヒールと対戦した[5]1975年4月にはジェリーとのオーツ・ブラザーズThe Oates Brothers)として、ヤス・フジイ&オキ・シキナ(サパタ・マルティネス)からセントラル・ステーツ版のNWA世界タッグ王座を奪取している[6]

1975年8月、全日本プロレスの『第2次サマー・アクション・シリーズ』に初来日[1]。まだキャリア不足でありながら素質を見込まれ、開幕戦でジャイアント馬場、第2戦でジャンボ鶴田、第3戦でザ・デストロイヤーとのシングルマッチが組まれた[7]。いずれも敗退したが、デストロイヤーとの試合では20分を超える健闘を見せた[8]

その後はジョージアに戻り、バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに参戦。1976年3月19日にはジェリーとのコンビでレス・ソントン&トニー・チャールズを破り、NWAジョージア・タッグ王座を獲得[9]ブラック・ゴールドマン&エル・ゴリアスのレッド・デビルズともタイトルを争った[9]

1976年9月にはジェリーと共に全日本プロレスの『ジャイアント・シリーズ』に再来日[1]。10月2日の東京後楽園ホール大会でグレート小鹿&大熊元司極道コンビからアジア・タッグ王座を奪取する[10]。10月21日に福島にて高千穂明久&サムソン・クツワダに敗れて陥落したが、同王座の歴代王者では久々の外国人王者チームとなった[10]

オーツ・ブラザーズの一時解散後、主戦場のセントラル・ステーツ地区では1977年2月4日、ボブ・スローターを破りNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を獲得[11]。同月25日にはアキオ・サトーこと佐藤昭雄をパートナーに、ボブ・ブラウン&ミツオ・ハタからNWA世界タッグ王座を奪取、2度目の戴冠を果たした[6]

1978年下期より、ノースカロライナNWAミッドアトランティック地区でジェリーとの兄弟コンビを再結成。ジャック・グレイスウェード・ハンソンブルート・バーナードジン・アンダーソンらによるチームと対戦した[12]。セントラル・ステーツ地区では1980年3月2日、空位となっていたNWAセントラル・ステーツ・タッグ王座争奪のワンナイト・トーナメントに出場。ジ・アウトローズザ・ファンクスも参加したトーナメントにおいて、ボブ・スウィータン&タカチホなどのチームを破り勝ち進んだが、決勝でブルーザー・ブロディ&アーニー・ラッドに敗退した[13]

その後もジョージアではファビュラス・フリーバーズイワン・コロフ&アレックス・スミルノフミスター・サイトー&ミスター・フジケビン・サリバン&スタン・ハンセンなどのチームと対戦[14][15][16]。カンザスでは1984年4月5日、ザ・グラップラーズ(レン・デントン&トニー・アンソニー)からNWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を奪取[17]。シングルでも6月21日にルーク・グラハムを破り、同ヘビー級王座への久々の戴冠を果たした[11]

戴冠中、髪をブロンドに染めてヒールターンを決行。8月11日にタイトルをバズ・タイラーに明け渡すと、同月21日より当時オレイ・アンダーソンが主宰者となっていたジョージア地区(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・ジョージア)に戻り、リップ・ロジャースをパートナーにジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツにあやかったショーマン派のタッグチーム、ハリウッド・ブロンズThe Hollywood Blonds)を結成する[18]。以降、ジェリーとの兄弟抗争が展開され[19]、9月20日にはジェリー&ロニー・ガービンからNWAナショナル・タッグ王座を奪取した[20]

ジョージア地区が1985年ジム・クロケット・プロモーションズに吸収されると、アラバマサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングを経て、1986年9月1日にオーツ・ブラザーズを再々結成してテキサス州ダラスWCWAのイベント "Labor Day Star Wars" に出場。世界タッグ王座の争奪トーナメントに参加したが、2回戦でマーク・ヤングブラッド&クリス・ヤングブラッドのレネゲード・ウォリアーズに敗退した[21]

セミリタイア後は、1988年5月にアトランタのインディー団体サザン・チャンピオンシップ・レスリングに登場して、トミー・リッチとのタッグでディック・スレーター&ジョー・ディートンなどと対戦[22]1991年1月28日にはメイコンで行われたWWFのTVショーにおいて、ティト・サンタナジョバーを務めた[23]

2004年5月にジェリーが地元のコロンバスにて、かつての主戦場と同じ名称のインディー団体ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングを旗揚げすると、翌2005年7月よりテッドも久々に復帰してオーツ・ブラザーズのリユニオンが実現[24]。同じくジョージア地区のレジェンドだったマスクド・スーパースターのチームなどと対戦した[25]

得意技

獲得タイトル

オール・サウス・レスリング・アライアンス
  • ASWAジョージア・ジュニアヘビー級王座:1回[4]
全日本プロレス
セントラル・ステーツ・レスリング
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAジョージア・タッグ王座:2回(w / ジェリー・オーツ)[9]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・ジョージア
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWA USジュニアヘビー級王座:1回[26]

脚注

外部リンク

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