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スコット "ザ・ホッグ" アーウィン(Scott "The Hog" Irwin、1952年5月14日 - 1987年9月5日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州ダルース出身(フロリダ州セントピーターズバーグ出身ともされる[1])。
ランバージャック、バイキング、マスクマン、モーターサイクル・ギャングなど様々なギミックを使い分け、ナチュラルな巨体を持つ大型ヒールとして活躍した[1][2]。実弟のワイルド・ビル・アーウィンもプロレスラーである[3]。
1975年にAWAのバーン・ガニアのトレーニング・キャンプに参加し[4]、1976年3月にデビュー[5]。AWA、サンフランシスコ、ジョージア、ミッドアトランティックを経て、1978年にニューヨークのWWWFに登場、ケベック州出身のカナダ人ピエール・ラフルールのパートナーとなり、ランバージャック・ギミックのタッグチーム "ユーコン・ランバージャックス" のエリック("Yukon Lumberjack" Eric)を名乗る[6]。同年6月26日、ドミニク・デヌーチ&ディノ・ブラボーを破りWWWF世界タッグ王座を獲得した[7][8]。
1979年には『マイティ・ソー』をモチーフとした新ギミック、ソー・ザ・バイキング(Thor the Viking)としてNWAのフロリダ地区に参戦[9]。1月20日にテリー・ファンクから南部ヘビー級王座を[10]、2月17日にはジョー・ルダックと組んでジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコからUSタッグ王座をそれぞれ奪取している[11]。翌1980年からは覆面レスラーのスーパー・デストロイヤー(The Super Destroyer)に変身して、悪党マネージャーのサー・オリバー・フンパーディンク率いるファミリーに加入。バッド・バッド・レロイ・ブラウン、バグジー・マグロー、ニコライ・ボルコフらと共闘し、ダスティ・ローデスをはじめマニー・フェルナンデスやミスター・フロリダなど同地区のベビーフェイス陣営と抗争を展開した[12]。
以降もジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングやビル・ワット主宰のMSWAなど南部エリアでスーパー・デストロイヤーとして活躍。ジョージアではマスクド・スーパースターと大型覆面コンビを結成[13]、1982年1月22日にボブ・アームストロング&ブラッド・アームストロングからNWAナショナル・タッグ王座を奪取した[14]。また、WWWF時代から因縁のあるアンドレ・ザ・ジャイアントとのスーパーヘビー級対決も南部各地で繰り広げている[15][16]。
1983年末よりフリッツ・フォン・エリックが主宰するテキサス州ダラスのWCCWで弟のビル・アーウィンと合体。ビルをスーパー・デストロイヤー2号に変身させ、覆面兄弟チームのスーパー・デストロイヤーズを結成[4]。アイスマン・キング・パーソンズ&バック・ズモフの "ロックン・ソウル" と抗争を繰り広げ、同団体認定のNWAアメリカン・タッグ王座(後のWCWA世界タッグ王座)を再三に渡って獲得した[17]。
1984年下期からは覆面を脱ぎ、ハーレーダビッドソンにまたがったバイカー系タッグチームのロング・ライダーズ(The Long Riders)をビルと共に結成。ジョージア地区を経て1985年よりAWAに登場し、ロード・ウォリアーズやスコット・ホール&カート・ヘニングと抗争を展開した[18]。1986年にはカナダのモントリオール地区にも遠征、3月6日にダン・クロファット&ソロファ・ファトゥからカナディアン・インターナショナル・タッグ王座を奪取している[19]。
1987年9月5日、脳腫瘍のため35歳で死去[4]。余命いくばくもないと診断された際、最期の別れと感謝のために、かつての仲間やライバル達の家を訪ねて周ったという[20]。
日本には全日本プロレスに計3回、いずれも覆面レスラーとして参戦している。初来日となる1980年10月の『ジャイアント・シリーズ』ではジ・アステロイド(The Asteroid)名義で参戦[21]。ベテランのジ・アベンジャーと大型覆面タッグを組んだが、テリー・ファンク、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ワフー・マクダニエル、ビル・ロビンソン、ディック・マードック、キラー・トーア・カマタなどの豪華メンバーが集結した同シリーズにおいては目立った活躍を残せなかった。
再来日は1982年11月、スーパー・デストロイヤーとして『'82世界最強タッグ決定リーグ戦』に上田馬之助と組んで出場[22]。即席コンビということもあり得点ゼロの最下位に終わったものの、同シリーズにレフェリーとして来日していたルー・テーズは「スタン・ハンセンやブルーザー・ブロディよりも腕力は上」と評価していた[2]。なお、同時期に新日本プロレスが開催した第3回MSGタッグ・リーグ戦にも、ジョージアでタッグを組んでいたマスクド・スーパースターとの覆面コンビで参加が噂されたことがある。
最後の来日となった1984年2月の『エキサイト・シリーズ』にはビル・アーウィンとのスーパー・デストロイヤーズで参戦。2月26日に大阪府立体育館にて、阿修羅・原&石川隆士のアジア・タッグ王座に挑戦した[23]。素顔での来日は1度もなかったが、初来日を果たす前の1980年6月29日、カナダのトロントで素顔のスコット・アーウィンとしてブルーザー・ブロディのパートナーに起用され、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑戦している[24]。
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