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コマンダーインチーフ

イギリスの競走馬 ウィキペディアから

コマンダーインチーフ
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コマンダーインチーフ (Commander in Chief1990年 - 2007年)は、イギリス競走馬である。デビューから2か月でエプソムダービーアイリッシュダービーを制した。ヨーロッパで活躍した数少ないダンシングブレーヴ産駒の一頭。

概要 コマンダーインチーフ, 欧字表記 ...
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戦績

生まれたのが遅く、その分ほかの馬に比べ成長も遅かったため、デビューは3歳4月までずれこむ。ここを6馬身差で圧勝すると、3連勝でエプソムダービーに挑むことになった[1]。しかし3勝目が苦戦したことや、鞍上のパット・エデリーにはテンビーという有力なお手馬がいたこともあり、騎手がマイケル・キネーンに代わっての参戦となった[2]。しかし、1番人気のテンビーは直線で失速し10着、一方2番人気のコマンダーインチーフは最後まで伸びを欠かず、父の成し遂げられなかったエプソムダービー制覇を達成した。

続いてアイリッシュダービーに出走。ここではジョッケクルブ賞の勝ち馬エルナンドとの対決が注目されたが、最後の直線で激しく競り合うと3/4馬身差でエルナンドを下した[3][4]。その後キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに出走。コマンダーインチーフは並み居る強豪を抑えて1番人気に支持された。ところが、直線で早めに先頭に立ったもののオペラハウスにすぐに交わされ、さらには同じダンシングブレーヴ産駒でデルビーイタリアーノ優勝馬のホワイトマズルの追い込みの前にハナ差交わされ3着に敗れてしまう。このレースを最後に引退した。

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種牡馬時代

要約
視点

引退後は、日本で種牡馬入りとなった[5]優駿スタリオンステーションに繋養され、初年度からGIホースを送り出し、以後も芝・ダート問わず多くの重賞馬を出した。2007年6月12日、右後肢骨折により安楽死の処分が取られた[6][7]。後継種牡馬はスエヒロコマンダーラスカルスズカレギュラーメンバーなどがいる。

グレード制重賞優勝馬

太字はGI(またはJpnI)競走。

地方重賞優勝馬

母の父としての代表産駒

太字はGI(またはJpnI)競走。

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血統表

コマンダーインチーフ(Commander in Chief)血統(血統表の出典)[§ 1]
父系リファール系
[§ 2]

*ダンシングブレーヴ
Dancing Brave 1983
鹿毛 アメリカ
父の父
Lyphard 1969
鹿毛 アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
父の母
Navajo Princess 1974
鹿毛 アメリカ
Drone Sir Gaylord
Cap and Bells
Olmec Pago Pago
Chocolate Beau

Slightly Dangerous 1979
鹿毛 アメリカ
Roberto 1969
鹿毛 アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
母の母
Where You Lead 1970
栗毛 アメリカ
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Noblesse Mossborough
Duke's Delight
母系(F-No.) Where You Lead系(FN:14-f) [§ 3]
5代内の近親交配 Turn-to 5×4、Native Dancer 5×4、Nearco5×5 [§ 4]
出典

脚注

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外部リンク

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