クリス・ラルー

カナダの野球選手 (1984 - ) ウィキペディアから

クリス・ラルー

クリストファー・アダム・ラルーChristopher Adam "Chris" Leroux, 1984年4月14日 - )は、カナダ連邦ケベック州モントリオール出身の元プロ野球選手投手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
クリス・ラルー
Chris Leroux
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東京ヤクルトスワローズ時代
(2013年8月11日)
基本情報
国籍 カナダ
出身地 ケベック州モントリオール
生年月日 (1984-04-14) 1984年4月14日(40歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 MLBドラフト7巡目(全体2116位)でフロリダ・マーリンズから指名
初出場 MLB / 2009年5月26日
NPB / 2013年6月2日
最終出場 NPB / 2013年8月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム カナダ
WBC 2009年2013年2017年
プレミア12 2015年2019年
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概要 獲得メダル, 男子 野球 ...
獲得メダル
男子 野球
カナダ
パンアメリカン競技大会
2015野球
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クリス・レルーと表記されることもある[1]2015年パンアメリカン競技大会では、クリストファー・レルーとも表記された[2]

経歴

要約
視点

プロ入り前

2002年6月のMLBドラフト9巡目(全体254位)でタンパベイ・デビルレイズから捕手として指名されるも[3]、契約には至らなかった。

マーリンズ時代

2005年6月のMLBドラフト7巡目(全体216位)でフロリダ・マーリンズから指名され、7月13日に契約[4]。ドラフト前にトミー・ジョン手術を受けていたため、この年の登板はなかった[5]

2006年4月にA級グリーンズボロ・グラスホッパーズでプロデビュー。3試合に登板し、0勝3敗、防御率6.10だった。7月にルーキー級ガルフ・コーストリーグ・マリーンズへ異動。4試合に登板し、防御率4.09だった。8月にA-級ジェームズタウン・ジャマーズへ昇格。4試合に登板し、0勝1敗、防御率7.94だった。

2007年はA級グリーンズボロで46試合に登板し、2勝3敗、防御率4.14だった。

2008年はA+級ジュピター・ハンマーヘッズで57試合に登板し、6勝7敗1セーブ、防御率3.65だった。オフの11月20日にマーリンズとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした[6]

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フロリダ・マーリンズ時代
(2009年)

2009年の開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)カナダ代表に選出された[7]。同大会では、2試合の登板で合計1回2/3を無失点に抑えている。

シーズンでは3月16日にAA級ジャクソンビル・サンズへ異動し、AA級で開幕を迎えた。5月22日にメジャーへ昇格し[8]、5月26日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビューを果たした。5月27日にAA級ジャクソンビルへ降格した[9]。6月24日にメジャーへ再昇格した[10]が、7月5日に右肩の故障で15日間の故障者リスト入りした[11]。7月27日に故障者リストから外れたが、再びAA級へ降格した。この年は5試合の登板に留まり、防御率は10.80だった。

2010年3月2日にマーリンズと1年契約に合意し、3月26日にAA級ジャクソンビルへ異動した。4月14日にメジャーへ昇格した[12]が、5月19日に右肘の故障で15日間の故障者リスト入りした[13]。6月17日に故障者リストから外れ、AAA級ニューオーリンズ・ゼファーズへ降格した[14]。登録枠が拡張された9月3日にメジャーへ再昇格した[15]。この年は17試合に登板し、防御率は6.75だった。

パイレーツ時代

2010年9月13日にウェーバーでピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[16]。移籍後は6試合に登板し、0勝1敗、防御率7.00だった。

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ピッツバーグ・パイレーツでの現役時代
(2011年8月27日)

2011年3月3日にパイレーツと1年契約に合意し、3月30日にAAA級インディアナポリス・インディアンスへ異動。7月3日にメジャーへ昇格した[17]。7月17日のヒューストン・アストロズ戦では同点の延長10回裏から登板し、1回を1安打無失点に抑え、直後の11回表にパイレーツが勝ち越したため、メジャー初勝利を挙げた。7月22日にAAA級へ降格[18]。7月27日に再昇格した[19]が、7月29日に左脹脛の故障で15日間の故障者リスト入りした[20]。8月22日に復帰。この年は23試合に登板し、1勝1敗、防御率2.88だった。

2012年3月3日にパイレーツと1年契約に合意。開幕直後の4月4日に胸筋の故障で60日間の故障者リスト入りした[21]。7月6日に故障者リストから外れたが、同日に40人枠からも外れ、AAA級インディアナポリスへ降格した[22]。9月1日に再びパイレーツとメジャー契約を結んだ[23]。この年は10試合に登板し、防御率5.56だった。

2013年1月17日に第3回WBC本戦のカナダ代表に選出され[24]、2大会連続2度目の選出となった。

シーズン開幕後の4月12日にDFAとなり[25]、4月17日にFAとなった。

ヤクルト時代

2013年5月1日に東京ヤクルトスワローズに1年契約での入団が発表された[26]

6月2日の対ロッテ戦(QVCマリン)で来日初登板・初先発[27]。6回2/3を投げて3失点で勝敗は付かなかった[27]。この試合では1試合3ボーク・1イニング2ボークのセ・リーグタイ記録を作った[27]。6月25日の対DeNA戦(神宮)で4試合目の先発登板をするも、3回2失点でその後二軍に降格した。それから1か月半が経過した8月11日の対DeNA戦(秋田)で一軍復帰・先発登板するも3回8失点と結果を残せず[28]、再び二軍に降格。それから右肩の違和感を訴えるなど[28]万全状態にないため、以後一軍での登板はなくシーズンを終えた。結局、5試合に先発登板して防御率9.00で勝星無しという成績でオフの10月21日、自由契約公示された[29]

ヤンキース時代

2014年1月29日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[30]

AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースで開幕を迎え、2試合に登板したが、0勝2敗、防御率12.79と結果を残していないまま、4月26日にヤンキースとメジャー契約を結んだ[31]。昇格後は2試合に登板し、0勝1敗、防御率は22.50。5月3日にDFAとなり、5月5日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ降格した。AAA級で4試合に登板し、7月23日に再びヤンキースとメジャー契約を結んだ[32]が、登板のないまま7月25日にDFAとなり[33]、7月27日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ降格。8月11日に再びヤンキースとメジャー契約を結んだが、登板のないまま8月13日にDFAとなり[34]、8月16日にAAA級へ降格。そのままシーズンを終えた。結局ヤンキースでは2試合の登板にとどまり、AAA級では12試合の登板で、6勝4敗、防御率4.94だった。オフの10月3日にFAとなった。

ブルワーズ傘下時代

2015年1月26日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ[35]。開幕後はAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで7試合に登板し、1勝3敗、防御率8.15だった。

フィリーズ傘下時代

2015年5月18日に金銭トレードでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍[36]

6月17日に2015年パンアメリカン競技大会男子野球カナダ代表に選出された[37]。同大会では大会最多の3勝を記録し、チームは2大会連続2度目の優勝を果たし[38]、金メダルを獲得に貢献した。

同年はAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで22試合に登板し、3勝3敗、防御率2.82だった。

オフの10月20日に第1回WBSCプレミア12カナダ代表に選出された[39]。同大会では2試合に先発し、2勝0敗、防御率1.42だった。

ブルージェイズ傘下時代

2016年4月3日にトロント・ブルージェイズへ金銭トレードで移籍した[40]。4月12日に傘下AAA級バッファロー・バイソンズへ配属された[41]

ブルージェイズ退団後

2017年2月8日に第4回WBCカナダ代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした[42]。大会終了後に現役引退した[43]

引退後

2017年にザ・バチュラー・カナダ英語版に出演した[44]

プレースタイル

スリークォーター気味のフォームから投げ込む、常時140km/h後半、最速157km/hのストレートを武器とする[45][46]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
2009 FLA 500000000----356.21104002008810.802.25
2010 1700000003----8418.02411120180015147.001.94
PIT 600000100.000214.240300410335.791.50
'10計 2300000103.00010522.22811420221018176.751.85
2011 2300001102.50011025.02607212420982.881.32
2012 1000000000----4811.11112011210975.561.15
2013 200000000----214.041600300336.752.50
ヤクルト 550000200.00011522.03711101140326229.002.18
2014 NYY 200000100.000152.0702103005522.504.50
MLB:6年 6500001305.25033471.28743552664052486.031.70
NPB:1年 550000200.00011522.03711101140326229.002.18
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記録

MLB
NPB

背番号

  • 63 (2009年、2011年 - 2013年途中)
  • 52 (2010年)
  • 38 (2010年)
  • 17 (2013年途中 - 同年終了)
  • 64 (2014年 - 同年途中)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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