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エース・パイロット

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エース・パイロット
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エース・パイロット: Flying Ace、フライング・エース、: As、アス、: Fliegerass、フリーガーアス、日: 撃墜王〈げきついおう〉)は、多数の敵機を主に空中戦で撃墜したパイロットに与えられる称号航空機が戦闘に使用され始めた第一次世界大戦時からある名称である。単にエースとも称し、中でも撃墜機数上位者はトップ・エースと称される。

現在は5機以上撃墜した者とされ、また歴史を通じて主に戦闘機のパイロットに与えられる傾向がある。

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「最初のエース」として勲章を授与されるフランスのアドルフ・ペグー

概要

要約
視点
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6.5機のシリア軍機の撃墜とイラクの原子炉を破壊したことを示すF-16のキルマーク(イスラエル航空宇宙軍所属)

第一次世界大戦で戦闘機が誕生した当初、フランスが10機以上撃墜者をエースの資格と定義し、同じ連合国イギリスや、対戦相手(中央同盟国)のドイツも同様に10機以上撃墜者をエースとした。

しかし大戦終盤の1917年に参戦したアメリカは戦闘が短期間であったことを考慮し、5機以上撃墜者をエースの資格と定義した。戦間期を経て第二次世界大戦が開始されると、各国は各々の第一次大戦の定義で使用を再開したが、のちに連合国枢軸国ともに5機以上撃墜者をエースの資格とした。

エースの定義とは別に、第一次大戦時のフランス軍、および第二次大戦時のドイツ軍は、東部戦線西部戦線作戦方面の難易度に応じたポイント制により叙勲と昇進で表彰した。また、第二次大戦終盤に空中戦機会が乏しくなったアメリカ軍は、地上破壊機数を貢献ポイントとして別途カウントした。

日本には「多数機撃墜者」という通称があり、日本軍航空部隊が本格的に参戦した日中戦争以降は上級部隊からの感状(部隊感状/個人感状)・賞詞・叙勲・祝品授与などで表彰され、隷下の各飛行部隊は個人の功績を記録した。

陸軍では将兵の士気高揚の面からも太平洋戦争時も奨励されたが、敗戦により記録文書の多くは焼却されており、海軍では1943年後半以降軍令部の指示で多くの部隊は個人撃墜数の記録を廃止している。

そのため操縦者の日記記録などを除き戦歴の詳細が不明な部分が多く、戦後日本の戦史家達は1970年代に当時の関係者の体裁を考慮しつつ撃墜数を一定率の掛け算などで引き下げ、戦果を縮小し全体数の調整を試みたことがあったが結論は出なかった。

しかし1990年代以降、梅本弘などによって日本軍の戦果報告と連合国軍の損害報告という双方の一次資料を極力照合することにより、客観的に真の撃墜機数を検証する活動がなされている。

主に撃墜の記録はパイロット自身の自己申告によるが、基本的に空中戦の世界(とりわけ第二次大戦)では誤認が大変多く、実際の敵機撃墜数の何倍もの数を「撃墜した」と報告してしまうことは珍しくなかった。そのため、僚機や地上の目撃者の証言、被撃墜敵機の残骸確認・捕虜の尋問、敵軍の通信傍受・暗号解読、ガンカメラの記録に基づき検証されることも多い。

なお「撃墜」のほかに、敵機の墜落・空中分解・炎上などは見届けなかったが確実に撃墜に至る損害を与えたとされる「未確認撃墜」、友軍機とともに協同して敵機を撃墜した「協同撃墜」、撃墜までは至らなかったが敵機に被害(被弾)を与えたという「撃破」などが存在し、これらも戦果となった(個人撃墜機数のカウント)。

第二次世界大戦の枢軸陣営では、爆撃もしくは雷撃によって連合国の艦船を撃沈した航空機搭乗員に対し、「撃沈王」(Anti-shipping expert)と称する事もあった[1]

軍事気球を5機以上撃墜した者は「バルーンバスター(気球エース)」と呼ばれ、軍事気球が多く利用されル・プリエールロケットなどの対気球用兵器も登場した第一次世界大戦では77人の気球エースが誕生した。

各国航空部隊の慣習の別にもよるが、パイロットは撃墜した敵機の数だけの印を並べる『キルマーク』を機体に描くことがあり、これによってエース・パイロットの乗機であることが判別できる場合がある。

キルマークには撃墜した敵国の国籍マークや機体のシルエット、単純な白線などが用いられる。第二次世界大戦中のソ連空軍のように、自国の国籍マークである赤星をキルマークにも用いる例もある。記入される場所は機首、コクピット横、後部胴体、垂直尾翼など様々である。

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エース・パイロットのリスト

要約
視点

以下、世界の主要なエース・パイロットを英語版項目から日本語表記に修正・転載・加筆。

第一次世界大戦

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スペイン内戦

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ノモンハン事件

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第二次世界大戦

日中戦争ノモンハン事変を含む。
※巡航ミサイル(V1飛行爆弾)の撃墜数は表に含まれない。V1の最多撃墜記録はイギリス空軍のジョセフ・ベリーの59機(有人機の撃墜数は3機)。
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朝鮮戦争

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ベトナム戦争

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中東戦争

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印パ戦争

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サッカー戦争

サッカー戦争は100時間戦争とも呼ばれるほど戦闘が短かったほか、航空機同士の戦いが主になる戦争ではなかったため、撃墜を挙げたのはフェルナンド・ソト・エンリケスの3機のみで、エースパイロットは存在しない。 ただし、一回の会敵で3機撃墜の戦果を挙げたこと、現時点で最後のレシプロ戦闘機同士の空中戦だったことから、フェルナンド・ソト・エンリケスはホンジュラスの英雄称号を授けられている。

オガデン戦争

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イラン・イラク戦争

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湾岸戦争

湾岸戦争において撃墜を記録したパイロットは複数存在するが、最高記録がひとりにつき3機であるため、湾岸戦争におけるエースは存在しない。

ロシア・ウクライナ戦争

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個人撃墜機数のカウント

要約
視点

エースのリストでは個人撃墜機数(撃墜数。score,スコア)も主要構成要素の一つになっている。各時代、各国軍で異なる個人撃墜機数カウント方法が存在していた。のちの時代に新規導入・変更・施行された基準は、その国での施行時点以前の時期に遡っては適用されず、戦歴も修正されることはない(基準の適用による見直しは無いが、調査の結果修正されることはある)。

  • 部隊総合撃墜機数は個人撃墜機数の累計とは異なる。
  • 第一次大戦でエースが登場した当時、部隊の撃墜機記録とは別に、個人撃墜機数記録が生まれた。
  • 第一次大戦終戦時の欧州空戦では所属する各国軍によって相違する個人スコアの数え方が数種類存在した。
  • 第二次大戦開戦時には各国はその基準を再び適用した。
  • 第二次大戦中にアメリカ軍は、編隊空戦での協同撃墜に対する基準を変更し分割公認戦果を導入した。
  • 第二次大戦終戦以降、現在までの戦果には戦勝国である旧連合国軍の標準が採用されている。

第一次大戦時、疲弊した国民の戦意を鼓舞するための過剰な英雄報道への要領よい対応とは別に、エースには実際の戦場で、冷静な判断で味方の最小リスク・損害で敵戦力に最大効率で損害を与え続ける役割が期待された。多くのトップ・エースのスコアには、上空から不意をつき反撃できない状態の戦闘機や、爆撃機を確実に撃墜した機数が多数ふくまれる[158][159]

第一次大戦参戦各国の個人撃墜機数カウント

第一次大戦終戦時の各国の個人撃墜機数のカウント方法の違い

  • イギリス空軍はパイロットの撃墜認定で「確実撃墜(moral victory)」は個人撃墜機数にカウントされた。[160] イギリス空軍は協同撃墜(shared victory)では各機に1機の撃墜認定(fully credit)が与えられた。
例として、複数機のイギリス機が1機のドイツ機を撃墜した場合は各機はともに1機の撃墜が認定された。[161]
  • フランス空軍ではイギリス式の確実撃墜(moral victory)は個人撃墜機数として認められなかったが、協同撃墜に対するイギリス式の個人撃墜機数カウント方法は採用した。
  • アメリカ陸軍航空部はフランス軍、イギリス軍の指揮下で戦ったので、それぞれ対応するルールをあてはめた。[162]
  • ドイツ空軍はイギリス式の撃墜確実(moral victory)は個人撃墜機数にカウントしなかった。
敵機が破壊(destroy)されたか、ドイツの勢力圏内に不時着させられ敵機の乗員が捕虜となる必要があった。敵機を撃墜し不時着してもそれが敵勢力圏内で救助された場合はスコアとして認められなかった。[163]
またドイツは協同撃墜に対するイギリス式の個人撃墜機数カウント方法も採用しなかった。複数機で1機を協同撃墜した場合もそのなかの一人だけが個人撃墜機数スコアに加えることを認められ、それはエースだけが、エース同士の場合ならばより多数機撃墜スコアの上位エースだけが、その1機撃墜を自分のものとしてスコアに加えていた傾向が強かった[164][165]
ドイツでは10機撃墜した者は「ユーバーカノーネ(Überkanone、大口径砲)」と呼ばれた。

なお、撃墜公認の基準が国によって違うため、国の違うパイロットの撃墜数をそのまま比べても意味はない。フランスとドイツの撃墜公認基準は極めて厳しい一方、イギリスは第三者の証言が無くても良い緩いものだった。

編隊戦闘への移行とアメリカ軍の協同撃墜判定・被撃墜認定システム

スペイン内戦ではドイツ空軍のヴェルナー・メルダースにより、3機編隊を最小単位としたケッテから2機編隊を最小単位とするロッテ(Rotte)と、そのロッテを2組とする4機編隊のシュヴァルム(Schwarm)という編隊戦法が編み出され、第二次大戦中の欧州戦線ではそのロッテ戦法が形を変えながらもイギリス空軍を筆頭に各国に普及した[166]

  • 日本陸軍航空部隊は欧州戦線を注目しており、1942年春に研究機として購入したBf 109Eとともに来日したドイツ空軍のエース、フリッツ・ロージヒカイト大尉(後にドイツ帰国、最終撃墜数68機)と、メッサーシュミットテスト・パイロットであるヴィリー・シュテーアから伝えられたこのシュヴァルム戦法を明野陸軍飛行学校で研究し、2機x2の4機編隊を「ロッテ戦法」と総称して採用。2機のロッテを分隊、4機のシュヴァルムを小隊と定義し、従来の3機編隊(ケッテ)から移行する形で1942年末から順次実戦投入された。
  • アメリカ海軍は応用編隊戦法として、2機が数100m離れた戦闘隊形に展開した隊形で相互掩護する戦法を研究提唱しサッチ・ウィーブと命名、ソロモン戦線で本格的に実戦導入され有効な成果を上げた。
太平洋戦線で余裕なく苦戦だったガダルカナル攻防戦をしのいだ翌年1943年に、編隊空戦での協同撃墜の戦果認定基準を変更し、陸海軍海兵隊の航空部隊に分割公認戦果システムを新規導入した。協同撃墜の場合は戦闘後、上官の協議により戦果判定され、撃墜1機に有効打撃を与えた複数機の各パイロットに1機を頭数で割算した値を個人撃墜数(score)として平等に割り振るシステムを制定した(分数値で追加)[167]
また、陸軍航空軍では戦闘空域で撃墜されたと認定した機を被撃墜(loss)とカウントし、帰途に不時着と認定された機や修復不能大破機であっても帰着すれば被撃墜数にカウントしなかった。海兵隊では、行方不明機乗員は終戦後に相手国へ赴いて6ヶ月間現地調査した後で戦死と認定された[168]

日本における空中戦闘方法推移と撃墜・被撃墜判断

第一次大戦後、日本は当時最先端の欧州空軍のシステムを導入した。日本陸海軍戦闘機パイロットの個人撃墜機数のカウントの仕方も欧州先進各国に準じた。

  • 日本陸軍はフランス式空軍のシステムを導入した。
  • 日本海軍はイギリス式空軍のシステムを導入した。
日本海軍最初の空戦撃墜は亀井大尉がイギリスで学び伝えた3機編隊空戦による戦果だった(1932年2月22日午後4時、空母加賀戦闘機隊生田乃木次大尉、黒岩利雄3飛曹、武雄一夫1空兵、上海公大飛行場発進、蘇州上空戦)。
  • 日中戦争初期から第1次ノモンハン戦線(1939年5月)までの小型機撃墜については、単機空戦がほとんどだった。
  • 第2次ノモンハン戦線(1939年6月-9月)から太平洋戦線のソロモン戦線、ニューギニア戦線以降(1942年11月~)は、小型機空戦も中隊同士の激戦になり編隊空戦に移行した。[169] ノモンハン事件末期の9月には日本陸軍戦闘隊の全てが中隊ごとの編隊空戦に移行しており、各中隊が一丸で行動し糸を結び合ったように各機が相互に掩護連携して戦っていた[170]
  • 太平洋戦線ではソロモン戦線前期すでに、攻撃機・爆撃機、船団上空の掩護を担当する戦闘隊は空戦戦闘に入ることは許可されず牽制し蹴散らすまでで、空戦戦闘に入って離れたため攻撃隊や船団が被害を受けた際の行動評価は低く評点された。
  • 日本軍はパイロットの視認により、炸裂弾により敵翼飛散・爆発・炎上した機、空域離脱後を捕捉攻撃し不時着させた機は撃墜数にカウントした。
  • 各戦闘機パイロットは戦闘直後のブリーフィングで中隊ごとに集合し、空中指揮官たる中隊長に個人撃墜数など戦果報告を行い、空中指揮官(中隊長、分隊士)は戦果を確認し重複など整理したうえで部隊長に報告した。その後戦闘詳報、戦闘行動図などが製作され上級部隊に提出した。
  • B-29本土爆撃の夜間迎撃戦では、二式複座戦闘機「屠龍」ホ203・37mm機関砲に代表される大口径砲弾を命中させ、大破させたらその後暗闇で見失っても帰途墜落・洋上不時着後に行方不明になった喪失機数を敵無線の傍受や、暗号解読で確認できた場合には撃墜数にカウントした。
被撃墜では、空中指揮官(陸軍では中隊長以上、海軍で中隊を率いる分隊士以上)が被撃墜を確認した機を自爆戦死とし、それ以外を未帰還機とした。未帰還機パイロットは約1ヶ月あとまで待ってから戦死と認定された[171]
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脚注

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参考文献

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