クルト・タンツァー

ウィキペディアから

クルト・タンツァー(ドイツ語: Kurt Tanzer1920年11月1日 - 1960年6月25日)は、ドイツの軍人。最終階級はドイツ国防軍空軍で飛行兵曹長、ドイツ連邦軍空軍で少佐。第二次世界大戦では総撃墜数128機~143機[2]を記録したエース・パイロットであり、その戦功から騎士鉄十字章を受章した。

概要 クルト・タンツァー Kurt Tanzer, 生誕 ...
閉じる

経歴

1942年3月18日第51戦闘航空団(JG51)補充飛行隊に所属していたタンツァーは、正式にJG51第12中隊へ配属された。1943年5月5日に35機撃墜を記録。翌5月6日、彼が駐留していた飛行場にソヴィエトの攻撃機Il-2が飛来したため、彼はフォッケウルフ Fw190スクランブルをかけ2機を撃墜した。被弾により負傷したにもかかわらず、飛来してくるIl-2に攻撃をし続けさらに2機を撃墜した。激闘の末に激しく損傷したFw190を着陸させたとき、彼は右手に重傷を負っており、それに伴う多量の出血もあった[1]

しばらく治療に当たっていたが、1943年11月4日に前線復帰した。12月5日、35機撃墜を称えて騎士鉄十字章が贈られた[3]1944年6月、タンツァーはカール=ゴットフリート・ノルトマンに同行する形で第6戦闘航空兵指導官の参謀に就いた[1]。同じ月、彼の撃墜数は100機に到達したが[1][4]、これはドイツ空軍の中で81番目の事である[5]9月1日には東プロイセン戦闘航空兵指導官の参謀に転属している。1945年2月10日JG51第13中隊へ移り、3月12日中隊長へ就任した[1]。大戦を通じて128機~143機の撃墜を記録した[4]

戦後、化学工場でのボランティア活動を経て[4]ドイツ連邦軍空軍へ入隊した[1][4]1960年6月25日バレアレス諸島付近をT-33で飛行中、悪天候により墜落し死亡した[1][4]

叙勲

脚注

参考文献

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.