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イギリスクラシック三冠

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イギリスクラシック三冠(イギリスクラシックさんかん、Triple Crown)は、イギリス競馬において、クラシック競走のうち牡馬が出走可能な2000ギニーステークスダービーステークスセントレジャーステークスの3競走(三冠競走)をすべて制すること、またはその3競走自体を指す。

概要

要約
視点

背景

競馬の発祥国であるイギリスで、もともと行われていた競馬はヒート競走によるものだった。ヒート競走は、同じ馬で何度も競走を行い、ある馬が連勝するまで勝負を繰り返すというものだった。時代にもよるが、ヒート戦は概ね2マイル(約3200メートル)から6マイル(約9600メートル)の距離を何度も走って勝負をつけていた[1]

競馬に出走する競走馬の年齢は、18世紀はじめまでは5歳以上に限られていた。1731年に3歳馬が出走したという記録が1例だけあるが、3歳馬が競馬に出るようになるのは実際には1760年代になってからで、たいていの競馬は5歳か6歳以上の競走馬によって行われていた[2]

これに対し、1776年に創設されたセントレジャーステークスは、まだ若い3歳馬だけによる、2マイル(約3200メートル)という短い距離で、たった1度走っただけで勝負を決めるという点で、特異な競走だった[1]

「三大競走」

セントレジャーステークスは次第に評判を呼び、これを真似て1779年に3歳牝馬によるオークスステークス、1780年に3歳牡馬によるダービーステークス(創設時は1マイル(約1600メートル))が創設された[1]

この3競走はイギリス国内でも特に注目を集め、「三大競走(Three Great Races)」と呼ばれるようになった。こうした概念は19世紀半ばまで続いた[1]

「クラシック」5戦

2000ギニーステークスは1809年、1000ギニーステークスは1814年にニューマーケット競馬場で創設された。これらの「ギニー戦」やダービー、セントレジャーの3競走はそれぞれ別々に設立されたものだったが、3競走には当時少なかった3歳馬を対象とするパターンレースであること、子馬の時にクラシック登録と呼ばれるレースへの出走手続き(馬主による賭け)があること、1回きりのレースで勝敗が決まること等の共通点が存在した。

初めてこの3競走を制覇したのは1853年ウェストオーストラリアンで、1865年にもグラディアトゥールがこの3競走を制した。その後も有力馬がこの3競走に出走したことで、しだいに5つの競走に「英国クラシック(British Classics)」という概念が確立した。2000ギニーステークス(約1609m)、ダービーステークス(約2423m)、セントレジャー(約2932m)と、徐々に伸びる距離を克服する能力が求められた[1]

「三冠」の誕生

ウェストオーストラリアンがはじめて2000ギニー、ダービー、セントレジャーを制した1853年当時には、「三冠Triple Crown)」という概念はなかった。いつ頃成立したのか定かではないが、ガルティーモア三冠に際して、ニュージーランドオークランド・スター誌はTriple Crownを用いている。

現在

現在この3競走全てに挑む競走馬は多くない。この3競走がイギリス平地競馬において重要な地位を占めていることは確かで、2018年にイギリスで実施された平地G1の中で、2000ギニーステークス、ダービーステークス、セントレジャーステークスの3競走がアスコットゴールドカップを抑えて馬券売り上げのトップ3を占めたと推定されている[3]

2025年から2000ギニーステークスのスポンサーとなるベットフレッド英語版により、クラシック三冠を達成した馬に200万ポンド(約4億円)のボーナスが贈呈される[4][5]

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三冠馬

過去に達成した馬は15頭。

最後に三冠を達成したのは1970年ニジンスキーである。それ以降、2022年までに2000ギニーとダービーを勝って三冠のチャンスを得たものは3頭いる。このうち2012年キャメロットが42年ぶりの三冠を狙ったが、セントレジャーで2着に敗れた。

牡馬

West Australian1853年)、Gladiateur1865年)、Lord Lyon1866年)、Ormonde1886年)、Common1891年)、Isinglass1893年)、Galtee More1897年)、Flying Fox1899年)、Diamond Jubilee1900年)、Rock Sand1903年)、Pommern1915年)、Gay Crusader1917年)、Gainsborough1918年)、Bahram1935年)、Nijinsky1970年

牝馬

牝馬三冠は1000ギニーステークスオークスステークス、セントレジャーステークスの3競走を指し、イギリス牝馬三冠(the fillies' Triple Crown[注 1]などと表現される。こちらの達成馬は9頭。なお、セントレジャーステークスと同様に2000ギニーステークス、ダービーステークスも牝馬の出走は可能であるが、この2競走への牝馬の出走は現在ではほぼ見られない。

1000ギニー、オークス、セントレジャーの3競走を制した最初の牝馬は1868年フォルモサである。19世紀においては、2000ギニーやダービーにも牝馬が出走することが珍しくなく、フォルモサは2000ギニーにも出走し、1着同着になってクラシック4勝を記録している。

1882年ショットオーバーという牝馬が2000ギニーとダービーを制し、セントレジャーでクラシック三冠に挑んだこともある(結果は牝馬ダッチオーブンに敗れ三冠ならず)。1000ギニー、オークス、セントレジャーが最終的に牝馬三冠として固定されたのは19世紀の末期であった。

Formosa1868年)、Hannah1871年)、Apology1874年)、La Fleche1892年)、Sceptre1902年)、Pretty Polly1904年)、Sun Chariot1942年)、Meld1955年)、Oh So Sharp1985年

セプターは2000ギニーにも優勝しており、クラシック「四冠」を達成している。セプターはダービーでは4着に敗れ、クラシック全競走制覇は達成できなかった。

戦時三冠

1914年から始まった第一次世界大戦によってしばらくの間は三冠競走が開催されなかったが、代替競走が行われて3頭の「戦時三冠馬」が誕生した。

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年表

三冠路線

(距離は時代により若干の変動がある)

さらに見る 路線, 1戦目 ...

歴代クラシック競走優勝馬一覧

  • 三冠馬(それ以上含む)は、牡馬は背景を青、牝馬は赤で区別。二冠馬は薄い青と赤で着色。
  • 牝馬は文字を太字にし、牡馬と牝馬の区別がつくようにした。
  • 開催順は2000ギニーステークス → 1000ギニーステークス → オークスステークス → ダービーステークス → セントレジャーステークスであることに注意。
  • 1868年2000ギニー、1876年オークス、1884年ダービーは同着。
さらに見る 年, 2000ギニー ...
  1. 2015年9月12日のレースでは、Simple Verseが1位で入線、Bondi Beachが2位に入った[6]。レース後の審議の結果、Simple Verseの進路妨害が認められ、Bondi Beachが繰り上がり1着となった[6]。この裁決に不服のSimple Verse陣営は申し立てを行い、11日後の9月23日に「進路妨害」の判定が覆り、あらためてSimple Verseの優勝となった[7]
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脚注

関連項目

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