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ザフライングダッチマン (The Flying Dutchman) はイギリスの競走馬である。19世紀中ごろの強豪で16戦15勝、エプソムダービー、セントレジャー、大ロシア皇帝陛下プレート(現在のアスコットゴールドカップ)勝ちなどの成績を残した。セントサイモンの父ガロピンのブルードメアサイアーでもある。
2歳時はシャンペンステークスなど5戦5勝、3歳になっても勢いは止まらず8か月ぶりに出走したエプソムダービーでもホットスパーを下し勝利、さらにセントレジャーも勝利しイギリスクラシック二冠を達成した。4歳になっても大ロシア皇帝陛下プレートを8馬身で圧勝するなどしたが、ドンカスターカップで生涯唯一の敗戦を喫している。相手は無敗の二冠馬ヴォルティジュール(セントサイモンの父方祖先)で、ザフライングダッチマンの騎手チャールズ・マーロウは泥酔しての出走だった。このため馬主のエグリントン伯爵アーチボルド・モントゴメリーはすぐに再戦を申し込み、翌年2頭のマッチレースが実現した。
マッチレースはヨーク競馬場の2マイルで行われ、掛け率は互角。ザフライングダッチマンには名誉回復のためにマーロウが跨っていた。レースは当初ヴォルティジュールが先行し、その3馬身後をザフライングダッチマンが追った。そして直線入り口からゴールまでは2頭ならんでの激闘が展開され、競馬史に残るマッチレースとして現代に語り継がれている。結果は徐々に差を詰めたザフライングダッチマンが先にゴールに達し、1馬身差でヴォルティジュールに雪辱した。ザフライングダッチマンはこのレースを最後に現役を退いている。なおマーロウは名誉回復を果たしたものの、泥酔の件が大きく響いて信用を失い、次第に競馬界から追い出される形となり、最期は貧乏窟で亡くなった。
引退後は種牡馬となったがほどなくフランスに輸出された。現役時代からの期待に比べれば成功したとはいえないが、フランスでの産駒ドラールがアンドロクレスを出し直系を繋いでいる。子孫はトウルビヨンや日本ではシンボリルドルフ、メジロマックイーン、トウカイテイオーなどが代表格である。
The Flying Dutchmanの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ヘロド系 |
[§ 2] | ||
父 Bay Middleton 1833 鹿毛 |
父の父 Sultan1816 鹿毛 |
Selim | Buzzard | |
Alexander Mare | ||||
Bacchante | Williamson's Ditto | |||
Mercury Mare | ||||
父の母 Cobweb1821 鹿毛 |
Phantom | Walton | ||
Julia | ||||
Filagree | Soothsayer | |||
Web | ||||
母 Barbelle 1836 鹿毛 |
Sandbeck 1818 鹿毛 |
Catton | Golumpus | |
Lucy Gray | ||||
Orvillina | Beningbrough | |||
Evelina | ||||
母の母 Darioletta1822 黒鹿毛 |
Amadis | Don Quixote | ||
Fanny | ||||
Selima | Selim | |||
Pot8o's Mare | ||||
母系(F-No.) | 3号族(FN:3-i) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Selim: S3×M4, Sir Peter: S5×S5×M5, Arethusa: S5×S5 | [§ 4] | ||
出典 |
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