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びわ湖毎日マラソン

毎年2月に日本の滋賀県で開催されていた男子マラソン大会(1946-2021) ウィキペディアから

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びわ湖毎日マラソン大会(びわこまいにちマラソンたいかい)は、日本陸上競技連盟が主催していたワールドアスレティックス(国際陸連)ゴールドラベルの男子マラソン大会で、国際大会の代表選手選考会も兼ねていた。毎年春に滋賀県で開催されていた。国際マラソン・ディスタンスレース協会(AIMS)認定コース。2021年大会を最後に単独大会としての開催が終了し、2022年は大阪マラソンとの統合大会として開催された(回数は通算したものも使用されている[1])が、2023年以降は名義上大阪マラソンの単独大会となるため、終了となった。

概要 びわ湖毎日マラソン, 開催地 ...
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概要

要約
視点

単独開催終了時点では、大津市皇子山陸上競技場を発着点とする42.195kmのコースであった。コースについては過去に何度か変更されている。2010年にもコースが一部変更され、折り返し地点が従来の草津市新浜から大津市大萱に変更となった。30km地点手前の大津市平津付近を除けば高低差があまりないため「高速コース」と言われたが、終盤には比良山系からの向かい風がランナーを苦しめた。

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発着点である皇子山陸上競技場
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瀬田の唐橋はランナーの走行を4回観戦できるスポットだった。

東京マラソンと同様に、この大会でも滋賀(特に大津市)の名所を通り、浜大津大津港)や、国宝・石山寺、日本三名橋の一つ瀬田の唐橋などが、その代表的な場所となった。

オリンピック世界陸上競技選手権大会アジア競技大会の男子代表を選ぶための最終選考会となっていた。本大会と福岡国際マラソン、東京マラソンの3大会で3年おきに持ち回りで男子マラソンの日本選手権を兼ねて行われていた[2]。また開催時期が3月であり、箱根駅伝などの大学駅伝シーズンも終わり、比較的長い期間マラソン練習が積めるために、有力な学生ランナーにとっては、在学時に最も出場しやすい大会とされた。日本大学川島義明中京大学の中尾隆行、山梨学院大学中村祐二が優勝を果たし、中央大学藤原正和が初マラソン日本人最高記録および学生最高記録更新の快挙を達成している。

2018年・2019年(2017年度・2018年度)の大会は、2020年東京五輪のマラソン日本代表候補を決める「マラソングランドチャンピオンシップ」(通称:MGC)シリーズの対象レースに指定された[3]

この大会の模様は、コース上にあるNHK大津放送局に放送センターを置き、大津局を管轄するNHK大阪放送局からテレビとラジオで全国中継していた。総合テレビのアナログ放送とNHKワールド・プレミアムではスポーツ中継としては珍しく16:9の画面サイズで放送していたが、2008年 - 2010年の大会の中継は他のNHKのロードレース中継と同じく14:9の画面サイズで放送した。2011年大会から再び16:9の画面サイズで放送している(アナログ放送はこの大会の放送が最後となるが、NHKワールド・プレミアムでは完全デジタル化後も本大会に限らず、以降に放送されるすべてのマラソン・駅伝大会も16:9レターボックス放送は継続)。ただし、2019年と2020年大会は編成の都合(2019年は『NHKのど自慢』特別編放送、2020年は9時 - 10時が『日曜討論』放送優先のため)や、主催者の都合などでEテレFMで放送された。

同じ毎日新聞社などが主催する別府大分毎日マラソンや、同じ日本選手権と兼ねて行われていたこともある福岡国際マラソンとは異なり、NHKから民放に放映権(放送権)を移したり、一本化してテレビ・ラジオ中継を行ったことはない。

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参加資格

  • 次の2項をいずれも満たす男子競技者
  1. 日本陸上競技連盟の登録競技者で、大会当日満19歳以上の者
  2. 大会当日より過去2年以内に、下記いずれかの公認記録を出した者
    1. マラソン: 2時間30分以内
    2. ハーフマラソン: 1時間10分以内
    3. 30km: 1時間40分以内
    4. 20km: 1時間05分以内
    5. 10000m: 31分以内
  • 日本陸上競技連盟が推薦する者

参加料は一人5000円である。

大会の歴史

要約
視点

1946年に第1回が行われたことから、終了以前は「(現在開催されている中では)日本最古のマラソン大会」ともいわれた。

  • 第1回(1946年10月) - 「全日本毎日マラソン選手権」が大阪府で開催される。難波別院跡地の毎日運動場前を発着し、御堂筋十三大橋を経て国鉄池田駅(現・JR川西池田駅)を折返すコースで競われる[5]。スターターは元オリンピック代表の津田晴一郎が務めた[6]
  • 第3回(1948年5月) - GHQの命令により、発着点を梅田毎日新聞大阪本社前に変更[5][注 2]
  • 第5回(1950年5月) - 「毎日マラソン」と改称。泉北郡高石町(現:高石市)を往復するコースに変更[5]
  • 第7回(1952年5月) - 1952年ヘルシンキオリンピックのマラソン代表最終選考会を兼ねる。以降、1980年モスクワオリンピックを除く全ての夏季オリンピックのマラソン代表選手選考会となる。
  • 第14回(1959年5月) - 大阪市内の交通事情悪化のため、出発点を住之江区に移し、忠岡町折返し・ 毎日新聞大阪本社前をゴールとするコースに変更[5]
  • 第16回(1961年6月) - 発着点を堺市浜寺公園に移し、住之江区と岸和田城を折り返すコースに変更[5]毎日放送ラジオが野球中継を中断し、17時~17時半まで孫基禎をゲストに招いてゴール前実況中継を放送した[7]
  • 第17回(1962年5月) - 交通事情の悪化により大阪府から滋賀県(皇子山運動公園発着[注 3]志賀町折返しの琵琶湖西岸コース)に変更[5][注 4]
  • 第18回(1963年5月) - 東京オリンピックのマラソンコースを使用して開催(第19回大会〔1964年4月実施〕まで)。
  • 第20回(1965年5月) - 3年ぶりに滋賀県に戻る。発着点は皇子山陸上競技場となり、琵琶湖西岸から琵琶湖大橋を渡って守山町(現・守山市)折返しのコースに変更[5]
  • 第23回(1968年4月) - この回よりコースを皇子山陸上競技場発着、琵琶湖南岸から瀬田唐橋を渡り、東岸の守山市折返しのルートに変更[8]。琵琶湖大橋経由のルートは3回で終了となった。
  • 第30回(1975年4月) - 瀬田唐橋の改修工事に伴い、近江大橋を経由するルートに変更[5]
  • 第36回(1981年3月) - 改修工事完成により、再び瀬田唐橋経由のルートに戻る[5]
  • 第38回(1983年3月) - 「びわ湖毎日マラソン」と改称する。また、世界陸上ヘルシンキ大会のマラソン代表選考会を兼ねる。10年後の世界陸上シュトゥットガルト大会以降、全ての世界陸上競技選手権大会のマラソン代表選手選考会となる。
  • 第41回(1986年3月) - ソウルアジア大会のマラソン代表選考会を兼ねる。以降、バンコクアジア大会を除く全てのアジア競技大会のマラソン代表選手選考会となる。
  • 第44回(1989年3月) - 瀬田川沿いに瀬田川洗堰を経由して草津市新浜を周回するコースに変更[5]
  • 第49回(1994年3月) - 1994年アジア競技大会と同じコースを使用し、「毎日国際マラソン」として実施。
  • 第51回(1996年3月) - ヨアキム・ピネイロが大会史上初めて2時間10分の壁を破る。
  • 第65回(2010年3月) - 折り返し点を大津市大萱とするコース変更。
  • 第74回(2019年3月) - 東京マラソンの開催日の変更にともない本大会も1週繰り下がり、名古屋ウィメンズマラソンと同日開催になる。
  • 第75回(2020年3月) - 競技開始が午前に変更。機材トラブルにより予定より10分遅れてスタートした[9]
  • 第76回(2021年2月) - 本大会も2週繰り上がり、2月最終日曜開催に変更。かつ大津市での最後の大会となり、鈴木健吾(富士通)が2時間04分56秒の日本新記録を樹立して優勝した[10]

1981年頃から1993年頃までは新人の登竜門的な大会で、オリンピックや世界選手権などの選考レースに格付けされていても一線級の参加があまり見られなかったが、1988年の第43回では前年12月の福岡国際マラソンを怪我のため欠場していた瀬古利彦が出場して注目を集めた。瀬古は優勝し同年のソウル五輪の出場権を獲得したことで物議を醸した[注 5]

1997年(第52回)、前年のアトランタ五輪で4位に入ったマルティン・フィスが参加し、当時の国内マラソン最高記録で優勝したことで状況が変わり、フラットで好記録が出るコースということで、国内の一線級も参加するようになった。

大きな国際大会の前哨戦や大会運営の予行演習として、会場が変更されたことがあった。

  1. 1963年(第18回)と1964年(第19回)は、日本選手権、東京オリンピック選考会並びにオリンピックマラソンのリハーサルも兼ねて国立競技場(新宿区)〜飛田給(調布市)折り返しの甲州街道を通る東京オリンピックのマラソンと同じコースでのレースとなった。
  2. 1994年(第49回)は広島アジア大会のリハーサルも兼ねて、広島にて「毎日国際マラソン」として開催された。

1985年から2004年は、スタート前にトラックでびわ湖全日本女子競歩大会が開催されていた。

大会の開催時期は、第1回が10月に開催されたのち、第2回から24回(1969年)までは5月がメインで、時に4月(第19回・1964年、第23回・1968年)や6月(第16回・1961年、第21回・1966年)にも開催されていた。第25回(1970年)が4月に開催されてからは5月・6月の開催はなくなり、第26回(1971年) - 28回(1973年)が3月、第29回(1974年) - 第34回(1979年)が4月と変遷して、第35回(1980年)以降は3月開催で定着した。第62回(2007年)は、レースの途中で気温が20度以上に上昇し、春先とは思えない過酷なコンディションに見舞われた。日本の招待選手10人が暑さに対応しきれず惨敗した。単独での最終開催となった第76回(2021年)は大会史上初めて2月開催となった。

2008年、国際陸上競技連盟は、マラソンなどの世界のロードレースを格付けする制度を導入した。びわ湖毎日マラソンは、2009年、国内で初めて最高位の「ゴールド」にランクされた。2010年もこの年に初めてランク入りした東京マラソンともに2年連続「ゴールド」にランクされている。

2021年の第76回大会で大津市での開催を終え、2022年に大阪マラソンと統合し「第10回大阪マラソン・第77回びわ湖毎日マラソン統合大会(仮称)」として行われることが決定した[11]。2022年2月27日(第4日曜日)に第10回大阪マラソン・第77回びわ湖毎日マラソン統合大会が統合後初開催された[12]。2023年は2月26日に「第11回大阪マラソン」として開催されるため[13]、「びわ湖毎日マラソン」は名実ともに終了となった。なお、毎日新聞社は大阪マラソンの共催に加わり、NHKによる中継も引き続き行われている。

2023年より、当大会の後継イベントとして市民マラソンの「びわ湖マラソン」を開催することになり[14]、同年3月12日に第1回大会が開催された。同大会は大阪マラソン共催のひとつでもある読売新聞社が後援している。スタートは同じ皇子山陸上競技場であるが、大津市、草津市、守山市の3市にまたがり、3度折り返した後、烏丸半島をフィニッシュとするコースに変更された。

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歴代優勝者

要約
視点

※第77回(統合後)は大阪マラソンを参照。

  滋賀県開催における(当時の)大会記録
さらに見る 回, 日付 ...
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参考文献

毎日新聞社(編)『びわ湖毎日マラソン大会60年史』びわ湖毎日マラソン大会実行委員会、2006年

脚注

外部リンク

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